第50話 代理

「なあ、監督は?」

「知らん。まだ来てないな」

「え、どうすんの?」

 準々決勝当日、集合時間に監督が現れない。

 このままだと……不戦敗?

 それは嫌だ。

「待たせたな、諸君」

「へ?」

 集合場所に数分遅れてやってきたのは、数学教師の幕ノ内と教頭の大滝だった。

「なんで……ですか?」

「ん、ああ」

「幕ノ内先生、ここは私から」

 そう言って大滝がしゃしゃり出た。

「時間もないので単刀直入に言います。千歳先生はどうしても外せない用事ができたとのことで、試合日ではありますが今日はお休みです。書類上は代理を立てておきましたから、心配しないで下さい」

「どうしても外せない用事ですか?」

「どうしても外せない用事です。監督は幕ノ内先生、責任教師は私、大滝です。幕ノ内先生、何かありましたらどうぞ」

 大滝に促され、幕ノ内は少し面倒くさそうにしながら「あー、まあ俺は、野球とかよく分からんから、好きにやってくれ」とだけ言った。

 勝てる気がしないまま球場入りすることに、俺は不安しかなかった。


 ◆◇◆◇◆


 カキーン!

(あ、やべぇ)

 米沢がそう思った時には、もう遅かった。

 一死一・二塁から四番の青梅が放った打球は、左中間スタンドに突き刺さった。

 先制のスリーランホームラン。加えて、今泉がこの大会で初めて打たれたホームランだ。

(青梅は長打警戒だったな、そういえば)

 今更そんなことを思い出しても遅い。もう3点取られてしまっているのだ。


 米沢は、千歳がいないことでここまで動揺するとは思っていなかった。

 この大会では確かに、千歳はほぼ指示を出していなかった。

 だがそれは、指示しなくても勝ててきたのと同時に、何かあれば指示を仰げば良いという一種の「余裕」でもあったのだ。

 その「余裕」がなくなった今、先制スリーランを打たれた。

 米沢は慌ててタイムを入れ、今泉が立つマウンドへ向かった。


 *****


(やけにあっさりと先制させてもらえたな)

 出羽学館高校野球部監督の関根は、不思議に思った。

(1点くらいかと思ってたけど、まあいいや)

「……督。監督!」

「ん?」

「どうかしたんですか?」

「ああ。いや、別に。悪いな、ボーッとして」

「そういえば監督、元々は舟高にいたんでしたっけ」

「そうだよ」

「やりにくくなったりしないんですか?」

「そんなことでやりにくくなってたら、勝てるもんも勝てなくなる。それに、プレーするのは君ら選手だろ」

 不祥事の責任を取って県の教職員を辞したことは、就任した時に伝えてある。

(しかし、記憶力がいいな。捕手の武器としては、当然なのかもしれないが)

 関根は、守備に出ていく捕手の青梅たけるを見た。


 *****


 一死一・三塁。またピンチだ。

 今日一度目のタイムを取って集まる。

「前進?」

「セカンドとショートは中間。ファースト・サードは前進」

「おっす」

 スコアは依然、0対3。追加点は取られたくない。

 この前と違って、うだるような暑さだ。


 ボテボテのゴロが、三塁手前に転がる。

「バックホーム!」

 古口が取り、素早く送球。

「アウトォ!」

 球審の声が響く。

「オッケ、ツーアウトー!」

 米沢の奮い立つ声が聞こえた。


 どうにかスリーアウト目を取った。

 強烈なセカンドライナーだったが。

「よし、抑えた抑えた」

「しかしあっちーな」

「それな。今日の最高気温、34℃らしいぜ」

「マジ? その情報、言わぬが花ってやつだぜ」

「どっちかって言うと知らぬが仏じゃね」

「どっちゃでもええ。とにかく追いつくぞ」

 皆、関係ない話題ばっかりだな。

 そんなことを思っていた。

 すると、清川さんが思いもよらぬ情報を口にした。

「中盤以降、三鷹投手は変化球のキレが悪くなると思います。そこを狙っていくと、点が取れるかもしれません」

「え、なんで?」

「まだ仮定の話なので、詳しいことは言えませんが」

 掴みどころがないが、正直いって、どんな情報でもありがたかった。

 3回裏まで完全パーフェクトに抑え込まれているからだ。

 こちらがチーム打率低めの貧弱打線というのもあるだろうが、それ以上に三鷹の投球は完璧だった。変化球も直球もキレがあり、加えてフォームの独特さで球の出所が見えづらく、打ちにくい。

「まあ、こう言ってくれてるんだから、参考にしようぜ。最低でも皆、あと二回りは打席が来るんだからな」

 主将の高瀬が、清川さんの意見をくみ取った。


 *****


(あ)

 三鷹は、しまった、と思った。

 だが、手から放たれたそのボールをコントロールする術は、どこにもない。

 スパァーン! と芯で捉える音の直後、センター方向に大きな打球が上がった。

 中堅手の永覚えかくが懸命に追った――が、それも無駄だった。遥か上を通過していったからだ。

 二塁塁審が、右腕をクルクル回した。

 ツーランホームランだ。


 *****


「すげぇじゃんよ、高擶!」

「あはは。これで『当たれば飛ぶ』の証明がようやくできたな」

 そういえば、高擶はこの大会初の長打だ。

 これで2対3。まだ分からない。

 続く瀬見は三振に倒れチェンジになったが、1点差に詰め寄ったのは大きい。

「なあ、吹浦くん」

「はい」

 守備につこうとしたとき、口を開いたのは大滝だった。

「君たちは……その、自棄やけになったりしないのか?」

「何がですか?」

「いや、ね。私が言うのもなんだが、君たちは学校から期待されていない。それでも野球を続ける意味は、なんだ?」

 そんなの、簡単だ。

「得意なことを伸ばして、勝負に勝つためです」

「勝つためだけに?」

「勝つための練習じゃないと、面白くならないじゃないですか」

 恐らく浴びせられるであろう反論は受け付けず、俺は足早にセカンドの守備位置へと走った。


 *****


(まずいな)

 青梅はピンチのことより、三鷹のコンディションを心配していた。

 三鷹は、気温が低ければ低いほど投球内容が良くなるという謎の性格をしており、反対に暑いと、イニングが進むごとに球威が落ちる。その様子は、さながら陸に打ち上げられたクラゲのようである。

 5回裏、二死からのホームランは少し痛い。

 しかもそれに続き、この6回裏もチャンスを作られている。

 今度は塁上の走者が2人。1人還って同点ならまだしも、一塁走者まで還したくはない。

(でも、キレが悪くなる変化球を狙われてる。誰がそのことに気づいた?)

 気温と投球内容を結びつけるデータ班までは、舟高にいないだろう。

 清川がベンチで笑みを浮かべていることに、青梅は気づかないのだった。

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