第49話 雨

『200 000 2 

 000 020 0 』


「向こうのエース、ポーカーフェイスだな」

「んだな」

「っつか、全然表情変わんねえな」

「だからそれをポーカーフェイスっつーんだよ」

 8回表、2点リードしている舟高こちらの攻撃は、二死ながら走者を一・二塁に置いている。

 一番・高瀬、二番・吹浦(俺)と簡単にツーアウトを取られたが、今泉と泉田が連続ヒットで繋いでいる。

 五番の米沢は、カウント2-2。追加点が取れれば御の字だが。


 マウンドが目に入った。そこには相手エース、綾瀬が立っている。

 試合開始から、全然表情が変わらない……ように思える。

 1回に味方のエラーで失点、5回に自らの2点適時打タイムリーで同点、7回に犠牲フライと適時打で2点を勝ち越された。

 おまけに、中盤からは雨が降ってきた。マウンドの状態にも少なからず影響はあるだろう。

 にもかかわらず、全く何も気にするそぶりを見せない。まだ逆転のプランがあるのだろうか。

 それとも、とっくに諦めてしまっていたのだろうか。

 しかしその背中からは、試合に対する諦めは感じられない。

「ストライクスリー!」

 そんなことを俺が考えていたら、米沢は三振に終わってしまった。


 *****


『九番ピッチャー、綾瀬くん。背番号1』

 8回裏、吉大山形は綾瀬から。ここでも監督の新谷は代打を出さない。

「雨が強くなってきたな」

 このまま終わってほしくないだろう。綾瀬がどう思っているかは知らないが。

 綾瀬がどうかはともかく、高校野球の規定では試合成立は7回。それ以降の「最終均等回」、つまり先攻後攻どちらもスリーアウトまで攻撃を終えているイニングまでのスコアで決着する。

 仮に今この瞬間で中断になると、最終均等回は7回。「7回以降」の条件を満たしているので、そのまま試合終了になってもおかしくない。


 カスッと綾瀬が打った音が響く。どう見ても引っかけただけの打球が三遊間にバウンドして転が――らない。途中で止まった。

「これ、記録はどうなるんですか?」

「内野安打だな」

 遊撃手の泉田が悔しそうにボールを拾う姿が見えた。何はともあれ無死一塁だ。

「タイム!」

 しかし、球審がタイムをかけ、塁審3人を呼び寄せた。

「まあ、この雨じゃな」

「中断っスかね」


 *****


「舟形高校の皆さん、雨が強くなってきたので一旦ベンチに引き上げて下さい。試合を中断します」

『お知らせいたします。雨が強くなってきましたため、一旦試合を中断致します』


「うひゃー」

「すっごい雨」

 中断後も、雨は降り続いた。むしろ中断した時より強くなっているのではないかと感じる。

「このまま終わると、雨天コールド?」

「7回終了してるから、まあそうなるかな」

 そんな話が出たところで、高瀬が「まだ終わりと決まったわけじゃないぞ」とたしなめた。

 確かにそうだ。

 リードはたった2点。しかも相手はシード校。1回表に岐阜のエラーこそあったものの、エース綾瀬を始めとする吉大山形の守備は固い。

 それにこういうことで気持ちを切らしていては、ベスト4など届くはずもないのである。

 参加チーム数が50余りという山形では、3回戦の次が準々決勝。つまり、この試合に勝つとベスト8に進出する。

 ベスト8となれば恐らく学校創立以来初……かどうかは調べていないので分からないが、低迷していたチームがそこまでくれば上出来といえるだろう。


 数十分が経ち、球審一人が出てきた。

「ああ」

 誰かが漏らしたその言葉で、大体どうなるかが分かった。

「8回途中、雨天コールド。4対2、舟形高校。礼!」

 ベンチ内からではあるが、相手が揃って頭を下げた。

 それにつられるように、こちらも挨拶をした。


 *****


『200 000 20 |4

 000 020 00x|2』


「綾瀬」

「ん?」

 帰りのバスで国定は、隣に座っている綾瀬に声をかけた。

「野球、高校までか? もう辞めんのか?」

「……『もう』ってなんだよ」

「?」

「聞いたんでしょ? 監督から。……アレほとんど、事実だよ」

「……ああ、聞いたよ」

「みっともないでしょ。信頼されないとか思って諦めてきた。自分が信頼しなきゃ、人間関係が始まるはずなんてないのにな」

 綾瀬はずっと、考えていた。

 他人からの信頼を得る前に、自分が信頼したらどうだ、と。

 結局、他人を責めることの原因は、自分自身にあったのだ。

「まだ間に合うだろ」

「は?」

「遅いことは遅いかもしれないけど、人生はまだ長いんだぜ」

 高校3年間。

 それが何だというのだ。

「考えておくよ」

 綾瀬はそう言うと、帽子を目深にかぶった。


 *****


「はい。これが出羽学館高校野球部の資料です」

「おお、ありがと。有栖ちゃん」

 2回戦が終わった翌日、俺たちは清川さんが集めてきたデータを見ていた。


 ◆◇◆◇◆

 出羽学館の勝ち上がり


 1回戦 7-0 長井ながい情報科学(7回C)

 000 000 0|0

 100 312 ✕|7


 2回戦 10-2 ぬか野目のめ泉岡いずみおか(7回C)

 014 022 1|10

 010 100 0|2


 3回戦 4-1 南陽総合

 100 001 020|4

 000 000 001|1


 チーム打率.268

 本塁打1、三塁打2、二塁打10、一塁打14

 四死球11、失策1、犠打飛6

 ◆◇◆◇◆


「打率も結構いいし、ここまで合計23イニング。勝ち方も効率的だな」

「イニング数で言ったら、舟高うちのほうが少ないけどね。5+9+7.5くらいだから、22イニングとちょっと?」

「1回戦って、相手ノーヒット? 参考記録だけど無安打無得点試合ノーヒットノーランじゃん」

 それらもそうだが、何より第4シードの南陽総合に勝っていることだ。

 試合内容も完璧。先制・中押し・ダメ押し。9回裏に1点返されてはいるが、これは相手の四番打者によるソロホームランだ。そのホームランを含め4安打。エースの三鷹みたかから点を取るのは、なかなか難しそうだ。

 そして、俺だけではないだろう。

 恐らく3年生全員が目を奪われたのは「監督:関根栄介」の文字だ。

「やってくれるね」

「まあ、倒しがいがあっていいね」

「勝てるか知らんけどな」

「試合する前からそういうこと言わなくていーんだよ」

 だが、マイナスな言葉を並べ立てる奴はいなかった。

 まあ、この部が廃部まで追い込まれているのは関根の責任だけではないし、彼も被害者の一人だ。

 監督は腕組みをして、何か考え事をしているようだ。

 俺はそれを特に深くは考えなかったし、他の奴らも気に留めなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る