第46話 失敗

(正直、打ち損じてくれることを願うしかないんだけど……)

 立花は米沢に対し弱気になっていた。

「タイム」

 咲は球審に向かって言うと、立花に「ちょっと来て」というジェスチャーをした。

(え?)

 珍しいことである。咲が自分からタイムを要求することはほとんどない。

「どうしたの、咲?」

「こっちのセリフだよ」

(へっ?)

「弱気じゃん。ゲームセットの瞬間まで、強気を貫くんじゃなかったの? 前、そう言ってくれたよね」

(……そうか。忘れてた)


 ――ピッチャーはいつでも強気でいいんだよ。もし強気になれないんだったら、あんたの分もアタシが強気でいるよ。


 バッテリーを組んですぐの頃、エースとしての威厳も貫禄も資質も持ち合わせていない咲に向けた言葉。

「中学に入ってすぐの頃じゃん、それ」

「いいじゃないか。いつだって俺、立花の後ろをついてきてたんだよ。選手として、ずっと追いつけ追い越せでやってきたけどさ、そんな簡単に抜けるような選手じゃないでしょ」

「………」

「強気でいてほしい。俺も、頑張るけど」

「……内角、攻めてくよ。バントはさせないよ」

「そうこなくっちゃ」


 *****


「ボール!」

(まあ、初球はそうだろな)

 米沢は捕手なので、まず捕手がどう考えているかを読む。

(となると、次は……)

 スパァンッ!

「ストライク!」

(内角球か。強気だな)

 考えを巡らせていると、板垣が声をかけてきた。

「まだ若木は、限界じゃないっスからね」

「上等」

 三塁走者を見る。投げる。


「ストライク!」

 ボール球だった。米沢は空振りを取られたのだ。

(ここで縦のスライダーかよ。後ろに逸らすの怖くないのか)

 カウント1-2。追い込まれた。

(やっちゃいけないのは、ダブルプレーだよな)

 一死満塁という場面だ。ここでダブルプレーになってしまうと、サヨナラの好機を逃すばかりか、相手を勢いづかせる。

 だから消極的な考えとして、アウトになるにしても三振で、というのが米沢の頭の片隅にはあった。


(っと!)

「ファール!」

 ただ、そう簡単に打ち取られるわけにもいかない。

 依然、カウントでは追い込まれている。ボール球のカウントも余っている。

 とすれば、ボール球で空振りを誘いにくるだろう。

「ボール! ツーボール、ツーストライク!」

 縦のスライダーを、今度は見極めた。

(次はボールにしたくない……はず)

 満塁で1点取られたら負け。そんな状況で、フルカウントにはしたくないだろう。

 若木は再び、三塁走者に目をやった。

(振っていこう)


 若木が投げる。

(速い……いや少し遅い!)

 ボールは米沢の手元で、下への変化を見せた。

(またスライダーか!)

 だが米沢も、変化球についていくだけの打力とバットコントロールはある。

 キィン。

 少し鈍い音がして、山なりの打球は一・二塁間後方へ飛んだ。

 二塁手の六田ろくたが飛びつこうとしている。


 *****


(ヤバい! スタートだ)

 三塁走者の高瀬は、落ちると判断してスタートを切った。

 もしライト前に落ちたとすると、それからスタートしていたのではホームでアウトになる可能性もなくはない。満塁だからだ。

 数秒考えれば、チームで一番足が速い高瀬がこの状況でアウトになることなどそうそうないのだが、一瞬で判断を迫るのも酷というものである。

 しかし、ボールは落ちていなかった。

 高瀬がホームに飛び込みライト方向を見た瞬間、東根高校の二塁手・六田が一塁へ送球しているところだった。

 一塁走者の泉田も落ちると判断していたのだろう、飛び出していて戻れない。

「アウトォ!」

 一塁の塁審がコールした。

 ダブルプレーだ。


 *****


「っしゃあ!」

 咲が吠えた。

 それに呼応するかのように、周りの士気が上がっていくのが、立花には分かった。

「ナイス六田!」

「オッケ、勝ち越すぞ!」

 立花を含めた全員、ベンチに戻って大はしゃぎだ。

 ギリギリ頭を越えるかという打球だった。

(でも六田、よく腕を伸ばしたな。セカンドライナーでツーアウト、それから一塁へ送って……‼)

「あっ」

「どした、板垣?」

 気づくのが数十秒早ければ、よかったのかもしれない。

 しかし、では、もう無理だった。


 *****


(やっちまった……)

 米沢は分かりやすく落ち込んでいた。

 ダブルプレーはしたくない。と思いながら打席に入ったのに、真剣勝負の蓋を開けて術中にはまってしまった。

(せめて、あとのボールは全部見逃しときゃよかったじゃんよ)

「……あれ? 吹浦と高瀬は?」

 ふと気づいた。2人がベンチにいない。

 米沢の疑問に、一塁に戻れずベンチに戻る羽目になった泉田が答えた。

「あそこ」

 見ると、ホームベース近くで、球審と話をしている。

(あれ? それに、まだ「0」が入ってないな)

 米沢がスコアボードの表示を不思議に思った時、吹浦と高瀬の2人がベンチに戻ってきた。と同時に、4人の審判が集まって話し始めた。

「吹浦、いや高瀬でもいいけど、何を話してたんだ?」

「あとで分かる」

(教えてくれないのかよ)

 客はそれなりに入っているが、球場は静寂に包まれている。

 疑いようもないキャッチとダブルプレー。一見、議論の余地などない。

 審判の協議が長くなるにつれ、観客席もざわつき始めた。

「ああ、なるほど。そういうことか」

 監督も何か、確信したようだ。

 その発言の数分後、主審がマイクを取った。


『えー、……ただ今の協議について、ご説明いたします。えーっと……ワンアウト満塁で、打者がセカンドへライナーを打ちました。これをセカンドが直接捕球しましたので、ツーアウト。で、えー、その後にファーストベースへ送ってスリーアウト。

 ですが、このスリーアウト目というのは、踏んだら直ちにアウトになる「フォースプレー」ではなく、「アピールプレー」です。ですからスリーアウトの成立より前に進塁していた場合、それは認められます。

 先ほど審判団で協議をした結果、スリーアウト目より前に、三塁走者がホームに生還していました。……そして、えー、東根高校側からは三塁走者の離塁が早いというアピールはなく、全員がベンチに戻りました。よって、アピール権が消失したと見なし、……舟形高校側への1点追加を認め、2対1で試合終了と致します』


 突然に告げられた、終了の宣告。

 米沢は、試合に勝った実感が湧かなかった。

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