第42話 選手登録

「じゃあ、これでいいね」

 監督の言葉に、俺たちは頷いた。

 今日は、登録選手の提出日だ。


 ◆◇◆◇◆

『選手:

 ① 今泉 優一

 ② 米沢 健吾

 ③ 高擶 修斗

 ④ 吹浦 透

 ⑤ 古口 幸太郎

 ⑥ 泉田 千太

 ⑦ 瀬見 浩司

 ⑧ 高瀬 将(主)

 ⑨ 荒砥 晴樹

 ㉑ 遊佐 樹

 ㉒ 白河 兎羽

 責任教師・監督:千歳 香奈』

 ◆◇◆◇◆


「んで、初戦の相手は寒河江中央か」

「そう」

 米沢が相手を確認し、くじを引いてきた高瀬が返す。もう何度見たかというやり取りだが、米沢も高瀬もさして面倒臭そうではなかった。

 女子選手の登録が認められたのが、何より大きいだろう。

 春の大会では人数が足りなくなって没収試合となったが、それはこちらが9人だったから。今度の大会は11人で臨むわけだから、1人を負傷退場にさせたところで、没収試合にして勝つことはできない。

 前回のを狙ってやっていない可能性もあるが、どちらにしろ舟高うちが被害を受けたことは変わらない事実だ。

「そんじゃ、やっつけに行きますか」

「試合、明後日だけどな」

 今泉の鼓舞は、泉田の冷静な発言で台無しになった。

「いーんだよ細けえことは!」と反論する今泉を、米沢は嬉しそうに眺めていた。


 *****


(あー、マジか……)

 柴橋富美彦は、外野へ飛んでいく打球を見ていた。


 元々柴橋は、吹浦のことが嫌いだった。

 確かに柴橋の方が投手としての実力も経験も上だし、吹浦の本職は二塁手。中学時代の選手起用には、未だに納得がいっていなかった。

 そのこと自体は、そう思っても仕方ないだろう。共感か同情の眼差しくらいは向けられるかもしれない。

 しかし柴橋の残念な所は、その疑問と怒りの矛先を、監督ではなくチームメイトに向けてしまったという点である。

 もちろん実力というのは大事だが、中学生時代に所属していたチームの監督は、礼儀にも同じくらい厳しかった。

 上手ければノープロブレム、ではない。野球はチームスポーツなのだ。

 寒河江中央高校では、3年生ということもあってエースの地位についている。しかし、周囲からは白い目で見られている。

 柴橋も、それに気が付かないほどの人間ではない。しかし、積極的に改善しようとはしなかった。

 今だってそうだ。

 試合中なのに、過ぎたことばかり、それも試合に直接関係ないことを考えている。

 ただ彼には、現実逃避したくもなる理由が、ないわけではなかった。


 スコアは0対9。回は5回表、一死。

 先攻である寒河江中央は、ここまで舟形のエース今泉に、一人の走者すら許してもらえていなかった。

 四番の柴橋はつい先ほど、あえなく二打席連続となる見逃し三振。ますます腹が立っていた。

 更に投球内容の方も、いまいちピリッとしていなかった。

 どのコースに投げても打たれる。ヒットゾーンに運ばれる。打たれたくないと思えば思うほど、相手打線は憎らしいほどにボールを見極めてくる。

 四球で走者を溜め、置きにいったストライク球を痛打される――。完全に悪循環だった。


 *****


『000 00|0

 302 4 |9』


 5回表が終わって9対0。

 今泉は5回表一死から初ヒットを許したが、その後を確実に抑えた。

 次の回に1点でも取れば、コールドゲームが成立する。

 これ以上ないシナリオ。仕返し――おっと、勝つには理想の展開だ。

 試合に私情を挟むべきではない。挟んだら余計な力が入るし、相手の思うつぼになる可能性もある。

 だが、その私情を差し引いても、今日の試合運びは完璧に近いものだ。監督が言っていた「相手の嫌がること」を実践できている。

 極めつけは4回裏だ。

 先頭の九番・古口がセーフティーバントで出塁。5点差で、次は一番打者。だからヒッティングでくると思ったのだろう、内野は深めだった。

 そこへ一番・高瀬も、二者連続となるセーフティーバントで畳みかけた。

 結果、相手守備の乱れもあり4点を奪った。


 監督は、ベンチにちょこんと座ったままで、特に指示も出していない。守備の方は(今泉の投球内容が良かったからだが)盤石だったとしても、攻撃でも何もしていない。ノーサイン野球を勘ぐられるのではないかというほど、サインすら出していない。

 その監督が5回裏の攻撃前、一つだけ言った。

「この回で終わらせられたら、一番いいね」


 八番・瀬見が左中間を破る二塁打。九番・古口は四球で続く。

 無死一・二塁。

 高瀬は送るだろう。1点でも取れれば勝ちなのだ。

 しかし、高瀬はヒッティング。綺麗なセンター返しの打球は、あっという間に二遊間を抜けた。

 これで無死満塁だ。

『二番セカンド、吹浦くん。背番号4』

 1回戦にしては観客が多いスタンドから、拍手の音が聞こえる。女子選手がベンチ入りしているということで、注目度も高まっているようだ。

 対峙するのは、寒河江中央エースの――柴橋富美彦。

 ヒットはもちろん、ボーク、ワイルドピッチ、もっと言えば捕手のパスボールや味方守備陣のエラーすら許されない。

 ここで負けたくなければ、柴橋は俺と勝負するしかないのだ。

 まさか高瀬、お膳立てをしてくれたんじゃないよな?

 まあ、それは今は関係ない。

 この回で終わらせられれば、それでいいのだ。


「ボール!」

 ツーボールナッシング。

 初球はスクイズ警戒からか大きく外したものだったが、今のボールも高めに浮いた。捕手が立ち上がりながら捕るほどに。

 相手捕手の白岩しらいわは、申し訳程度に落ち着くようジェスチャーした。

 大変だっただろうなぁ、柴橋の機嫌とるの。

 それはさておき、カウントはツーボール。

 まさか、当てには来ないよな? 来ないはずだ。

 なぜなら、俺に当てればその時点で負けるからだ。

 柴橋が首を振る。もう一度振る。頷いたのは五度目くらいだった。

 球速だけはあるんだよな。ってことは――。


 ◆◇◆◇◆


「おい」

 試合後、俺に声をかけたのは、柴橋だった。

「何?」

 また何か言われるんだろうか。最後のヒットに文句を言いに来たんだろうか。

「……悪かった」

「は?」

「中学時代のことだ。俺がなんやかんやちょっかい出したせいで、お前は辞めたんだろ?」

「……まあ、そうだけど」

「高校に入ってから気づいた。俺は、井の中の蛙だったってことをさ。中学時代に調子乗ったツケが回ってきたんだな」

「なんでそう思うの?」

「俺が背番号1をつけてたのはな、ただのおこぼれなんだ。本当のエースは今の2年生。俺が足元にも及ばないくらいの実力のピッチャーだよ」

「………」

「まあいい。今のお前には、俺なんて関係ないしな。俺の自己満だが、ただ一言、謝りたかっただけだ。本当にすまなかった」

 柴橋はそう言うと、帽子を取って頭を下げてきた。

 俺は、苛立ちなんて微塵もなかった。

「もう関わんなよ」

 それだけ言って立ち去った。

 あいつが俺の言葉を、許しと捉えたかは分からない。

 でも俺には、舟高の皆とやることがあるのだ。他校の投手一人にかまっている場合ではない。

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