第36話 決着

 力のないフライが、ファールゾーンに上がる。

 新庄栄の三塁手・栃尾とちおが、がっちりと掴んだ。

「アウト! スリーアウト、チェンジ!」


(延長か)

 9回裏にも「0」が刻まれた。

 3対3。8回表に追いつかれてからスコアが動くことはなく、9回表の舟高の攻撃も三者凡退に終わった。

「今泉くん、どうする?」

「え? 何がっすか」

「延長、いける?」

「いけますよ。何のために走りこみやってきたと思ってんすか」

「いけるならいっていいよ」

 千歳は今泉にそう聞きはしたが、内心は安心感を覚えていた。なぜなら、今泉が降板してしまうと、負ける確率が高くなるからだ。

 もちろん、高瀬、吹浦、状況により米沢のいずれかに投げさせることも、できないわけではない。

 しかし、延長に入ってしまった以上、1点でも取られると苦しくなる。

 その裏に追いつく、もしくはサヨナラの可能性もありはする。が、こちらも1回裏の奇襲と7回裏のボテボテ内野安打での得点以外は、得点どころかヒットすら打たせてもらえていない。

 得点は取れて1,2点という状況の中で、投手を代えて失点でもしたら、大怪我どころか致命傷になりかねない。だからできれば代えたくなかったのだ。

「はい、舟形高校さん、守備について!」

 審判に促され、9人がそれぞれのポジションへ駆けていった。


 *****


(よりにもよって延長がい)

 大石田も内心、頭を抱えていた。

 実は、大石田は延長が苦手だ。

 9イニングというスパンで考え、どうすれば勝てるかというのを常に考えている。

 ただ、選手時代に延長戦の経験が無かったこともあり、延長はいつやっても未知数なのだ。先攻でも、後攻でも。

 しかも今日は、延長では不利といわれる先攻。一つの采配ミスが即、敗北に繋がることも珍しくない。


 七番松本海緒みおからの下位打線も、あっという間にツーアウト。

 そして九番のエース斎藤さいとうもあっさり初球で打ち取られ、この回僅か6球で攻撃が終わってしまった。

(斎藤はピッチャーだがら体力温存で仕方ねぇどすて、海緒ど栃尾でもう少す粘ってほかったな)

 走者が出せないのはまだ仕方がないとしても、攻撃が短い時間で終わってしまうのは流れ的にまずい。

 なぜかというと、一つ目は守備から戻ってきて休む時間が短くなってしまうから。打者として打席に立つ者はなおさらだ。

 二つ目が、相手に勢いを与えてしまう可能性があるから。ポンポンと相手打線を打ち取れると、「よし、いける!」と相手に思わせ、その勢いに気圧されることも少なくはないのだ。

 だから斎藤はともかく、海緒と栃尾はもう少し球数を投げさせてほしかった、というのが大石田の本音だった。


 *****


「よし、行くぞ!」

「吉幾三~」

 こんな時までギャグをぶっこんでくる高擶もどうかと思うが、暗くならなくて済むのでありがたくもある。

 打順は九番の古口から。今日は内野安打を一本放っている。あのシブい適時打である。

 古口もどちらかというと、当たれば飛ぶバッティングである。体勢を崩されてもなんとか当てるから三振は少ないのだが、果たしてどれだけの確率で当たってくれるか。

 カキィン!

「えっ、当たった!」

 ベンチの誰かが驚いたように言った。「当たれば飛ぶ」は伊達ではなく、今度は広く空いている左中間へ打球が飛んだ。

 ワンバウンド、ツーバウンド。歓声が上がる。

 二塁に達した古口は、左手でガッツポーズを作って見せた。

 ――お膳立てはしたぞ。

 そんなニュアンスに見えた。誰へのお膳立てなのかは、まだ分からないが。


「ファースト!」

 新庄栄の捕手、谷地田やちたの声が飛ぶ。足の速い二塁走者古口は、もう三塁へ達しようかとスライディングしている。

 一番・高瀬は送りバント成功。これで一死三塁とサヨナラのチャンスだ。

 にしても、高瀬はバントも上手いのか。一番打者で足も速いから、そのまま打つのがほとんどだったが、少なくとも俺よりは上手い(俺のバントが大したことないのかもしれないけど)。

 次の打者は、二番の俺、吹浦。

 1点取ればサヨナラ勝ち。逆に言うと栄は、1点取られれば即、サヨナラ負け。

 ってことは……?

 ここで栄の大石田監督は、伝令を出さずにサインを出した。

 やっぱりか。

「申告敬遠!」

 球審が告げ、俺は一塁へ歩いた。

 次の今泉も申告敬遠。栄は一死満塁にして、今日ともにノーヒットである四・五番との勝負を選んだ。


 *****


(はぁ~、舐められた。まあ、今日の成績を見ればしょうがないんだけど)

 泉田は、前打者の今泉が申告敬遠されるのを間近で見ながらそう思った。

 今日はノーヒット。1回裏は送りバントだったから仕方ないとして、あとの3打席は凡退している。8回裏のみっともない空振り三振が、俺と勝負する決め手になったのだろうか。

 ただ、それは考えてもしょうがない。

 塁上に走者は3人。つまり満塁。そのうち1人でも還ればサヨナラ勝ちだ。

 つまり、特別大きいのはあまり要らない。要るとすれば外野フライくらいで、その外野フライも前進守備の外野の頭を少し越えるくらいに打てれば還ってこれる。

 問題はスクイズをするかどうかだ。

(監督のサインは……?)

 泉田は一塁側ベンチを見た。

 その直後、千歳から放たれたメッセージに、驚きながらも了解の意を示した。

 するとベンチから、この回の攻撃でまだ出番がない荒砥がこちらへ向かってきた。


 *****


(さて、どうくる?)

 スクイズか、ヒッティングか。

 大石田はスクイズとみて、再び伝令の尾花沢を行かせた。

 もちろんヒッティングも考えられるから、それも頭に入れるように、と。

 舟高は何やら、次打者が話している。

 向こうもタイムを取っているということは、スクイズが前提だろう。三塁走者は足の速い古口だし、ヒッティングならわざわざ伝令を出さずとも分かる。恐らく、詳細な打ち合わせでもしているのだろう。


「プレー!」

 初球、斎藤・谷地田のバッテリーは大きく外した。

 ワンボールナッシングだが、このボール球は想定内。ここからだ。

 しかし、次は僅かに外れた。これでツーボール。

(次はストライク入れねど苦すくなるぞ)

 三球目の投球モーションに斎藤が入った――その時だった。

 泉田が、バントの構えをした。

 外す。

 斎藤は、即座に外した。

 しかし泉田は、なぜかバットを戻した。

 そして、斎藤が下に外したそのボールは、谷地田のキャッチャーミットには収まらなかった。

「後ろ後ろ!」

 叫びながら斎藤は、ホームベースのカバーへ向かう。

 だが、もう間に合わなかった。

 谷地田がボールを拾い上げた瞬間、サヨナラの走者が本塁に滑り込んだ。

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