第35話 一進一退

 カキィン!

(やべぇ)

 今泉は一瞬、やっちまったか、と思った。

 7回表、二死二塁。

 4回に連続二塁打で1点を返されたが、それ以外はチャンスらしいチャンスを作らせないでいた。

 米沢のリードも冴えている。

 それだけに、ここで同点にはされたくなかった。

 打球はセンター方向へ伸びていった――が、下がり気味に守っていた高瀬が追いつき掴んだ。

 スリーアウト。

「よっしゃ」

 珍しく米沢の声が聞こえた。


 *****


(さて、どうするがなぁ)

 新庄栄高校監督の大石田は、考えを巡らせた。


『000 100 0|1

 200 000  |2』


 スコアの上では1点差。しかし4回表以外、チャンスをなかなか作れないでいた。米沢・今泉のバッテリーに翻弄され、なかなか打ち崩せない。

 そうこうしているうちに、チャンスの後にピンチあり――というかどうかは分からないが、舟高にチャンスを作られた。

 六番荒砥が四球で出塁し、七番高擶が送りバント。あっという間に一死二塁となった。

 これまでは送りバントをするにしても2球目以降だったのに、今度はあっさり初球で送ってきた。

(チャンスが潰えて即ピンチ)

 大石田は、相手の攻め方が段々分かってきたようにみえた。

「タイム!」

 ここでタイムをかける。嫌な流れを少しでも止めるためだ。

 大石田は、背番号15の尾花沢おばなざわを呼び寄せた。

「外野は前進すねしない。外野前のヒットでも、返球は内野がカット。伝えでぎでぐれ」

「はい」

(1点もやりだぐねえのが本音だが、2点はもっと嫌だな)

 八番瀬見、九番古口と続く舟高打線。

 下位打線だから、大石田としては無失点で切り抜けたいと思っていた。しかし、下位打線だからと油断していると、あっという間に上位打線に戻る。つまり確実にアウトを取ることが大切なのだ。

 しかし。


(うえっ⁉)

 痛烈な音を立ててライト方向に打球が上がる。瀬見は当たれば飛ぶのだ。

 だが、僅かに球威が勝ったか、右翼手・温海あつみがどうにか追いついて取った。

 走者は進んで二死三塁。

(危ねがったなぁ)

『九番サード、古口くん。背番号5』

 ツーアウトで九番。さすがにここで切りたい。

 球威で押し、詰まらせた。――そこまでは良かった。

 しかし詰まり過ぎた。

 二塁手の犬川が突っ込む。ホームはもう間に合わない。

 俊足の古口も、一塁を駆け抜けていた。

 どこからか歓声が湧く。これで1対3だ。

(落ぢ着いで、バッター勝負だ)

 大石田はあくまで冷静に、マウンドへ向かってジェスチャーをした。

 しかし内心は、やはり少し落ち込んでいた。


 *****


(古口くんを九番に下げた意図とは、少し違うけど。結果オーライかな)

 千歳は、ついに追加点が取れたことを内心喜んだ。

 しかし、まだ試合に勝ったわけではない。浮かんだ笑顔を一瞬で消し、すぐに平静を装った。

 足が速いこともあって出塁率が高い古口だが、内野安打での出塁が多い。内野安打というのは、守備側がファインプレーをすればアウトの可能性もある、という打球が多いから、九番がそうやって出塁すれば一番の高瀬が打つ確率も少しは上がる。

 そんな思惑で入れ替えてみたのだが、まさかその古口が(予想通りの内野安打とはいえ)適時打タイムリーを打つとは思わなかった。まさかというと古口に失礼だが、千歳は正直そう思った。


 2点差になったのは良かったが、スコアが動くということは、停滞していた試合が動き出すことにも繋がる。

「8回表、アウト一つずつ大事にね」

「「はーい」」

 一応全員返事をしてくれた。大事に取っていく、ということを分かってくれてはいるのだろう。

 生返事ではなかった。が、やはり、停滞していた空気は、動くときも一気なのだ。


 *****


「ボール! フォアボール!」

 マジか。

 今泉が出した四球に、俺は少し驚いた。

 今泉が先頭打者に四球を出すことはほとんどない。死球ならたまにあるがそれはコントロールミスだろう(もっとも、死球のほとんどがコントロールミスだろうが)。

 つまり、少し流れが悪い。点を追加できたのだからポンポンいければ良かったのだが……。

 そう思っていると、俺の正面に鋭い打球が飛んできた。

 常に止めるつもりではいたが、やはり怖さが先にきた。

 必死に伸ばしたグラブに走る、鈍い衝撃。

 目を開け、必死にボールを視界に入れようとした。

「後ろ!」

 身体の後ろ、真下にあったので見つけるのに数秒を要してしまった。

 無死一・二塁。

 とりあえずボールを取り、今泉に渡す。


「悪い。取り損ねた」

「今のはしょうがねえ」

 そう言ってくれたが、考え事をしていたというのもあるんだろう。初動がもう少し早ければ……いや、そんなことを言ってもしょうがない。

 2点差で、走者2人。やはり送ってきた。

 今度は状況を把握していたため、冷静に一塁カバーに入ることができた。

 これで一死二・三塁。

 できれば1点で乗り切りたい。監督もそう思っているだろう。

 しかし相手も、そう簡単には勝たせてくれない。


「走った!」

 三塁走者がスタート。同時に打者はバントの構え。

 スクイズだ。

 この状況で、今泉・米沢が選択したのは――チェンジアップ。

 遅く変化する球にも、栄の打者はしっかり合わせて当ててきた。

「くそっ」

 今泉の声が聞こえた気がするが、今は一塁へのカバーだ。


 *****


「よーーっしゃ!」

「ナイスバントォ!」

(よし、これで分がらねぐなった)

 2対3。点差の上ではまだ1点負けている。しかし追われる方というのは大なり小なり、無意識に逃げの姿勢を取ってしまうことが多い。

 今だってそう。簡単に緩い変化球を投げた。

 そして、犬川が見事に転がしてくれた。

(とすれば、やるごどはこれだな)

 直球を、打て。

 大石田はそのサインを、二番の五日町いつかまちに出した。


 *****


 2点目を取られた直後。

 同点に繋がる打球が、あっという間に三遊間を抜けた。

 これで3対3。

(やられたぁ)

 千歳は、振り出しに戻されたことよりも、タイムをかけて伝令を頼まなかったことを悔やんだ。

(流れに乗った方が勝つ。勝負事の鉄則)

 その鉄則にのは簡単だ。しかしのは難しい。

 同点にされ、なお二死一塁。

 米沢がこちらを見た。

(逆転はされたくない)

 今からでも、まだ遅くはない。

 千歳は手を挙げ、審判へ言った。

「タイム!」

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