第28話 年明け

「あけましておめでとう! 透くん」

「あけましておめでとうございます」

 叔母さん――母方の妹である蒼依あおいさんは、いつもの調子でフレンドリーに喋りかけてくれた。

「はい、これお年玉」

「通帳に積んどいてください」

「今年もー? 好きに使ってくれていいんだよ?」

「入り用になったら、必要な分だけ引き出してもらいますから」

 別に今、特別に欲しいものがあるわけじゃない。

 それなら、後々欲しいものができた時のために貯めておいたほうがいい。

「それより、俺を引き取って丁度10年ですよね。改めて、ありがとうございます」

 俺がそう言うと蒼依さんは、「いいってそんなことぉ」と謙遜した。

 だが、蒼依さんがいなかったら、俺は恐らく児童養護施設に入っていただろう。


 ◆◇◆


 10年前のクリスマス、12月25日だった。

 その日は2学期最後の登校日で、終業式やら成績表やら冬休みの宿題やら、そんなイベントを数時間で終わらせて帰るだけだった。そう思っていた。

「ただいまー」

 俺が玄関のドアを開けると、家の中には誰も居なかった。

 その時はまだ、大した問題だとは思わなかった。父は25日も仕事だと聞いていたし、母は買い物に行っている可能性があったからだ。

 でも、夕方になっても、夜になっても、父も母も誰も帰ってこなかった。

 底冷えのするアパートの一室で、ひどく空腹を感じたのを覚えている。電話が鳴っても、出る気にすらならなかった。腹が減っていて動くのが億劫だった。

『ピンポーン』

 夜10時近くだっただろうか。インターホンの音がした。

 きっと、父さんと母さんだと思った。

 だから俺は、疑いもせずドアを開けた。

「あ、透くん……」

「え、叔母さん?」

 そこに立っていたのは、叔母の蒼依さんだった。

 そして俺は、蒼依さんの面持ちを見て、何かを察してしまった。

 察したくはなかった。だから「お父さんとお母さんは?」なんて聞いたのだ。

「お父さんとお母さんは……透くんのお父さんとお母さんはね……」

 その言葉を聞いた後、数時間の間は、記憶がない。


 気づいたら葬式も終わっていた。

 親戚の1人に「透くんはちょっと出ていてくれる?」と言われ、俺は蒼依さんと一緒に近くの公園で遊んでいた。

 アパートの一室で、何かが行われていることは分かった。

 その「何か」は、児童養護施設への受け入れを検討していることだった。

 数時間後、俺に直接告げられたその宣告。

 その場にいた全員が賛成だったならば、俺はおとなしく従っていただろう。


 ◆◇◆


「蒼依さんって、怒ることあるんですか?」

「あんまりないね。あるっちゃああるけど」

 でも俺は最近、蒼依さんが怒ったところをほとんど見ていない。

 最後に見たのは10年前だ。

 俺がその時のことを話すと、「あん時はねー、まあ必死だったね」と蒼依さんは言った。

「必死って?」

「透くんはさ、言ってみりゃお姉ちゃんの形見みたいなもんなんだよ。それを蔑ろにして、誰も何もしようとしなかったのが、あの時は無性にムカついたんだ」

「………」

「本音を言えば、君がいい子だったからってのもあるよ。たまに私が『泊めてくれ』ってお姉ちゃんに迷惑かけた時も、懐いてくれてたでしょ。気遣いができてた。でき過ぎてたんだよ、あの時もね」

「………」

「だから必死で、私は怒った。自分が引き取るっていうことまで持ち出してね」

 俺は言葉が出なかった。

 あの時施設に行けと無言で言われて、それが一番波風を立てない方法なのだろうと思っていた。でも蒼依さんは、意見が言えなかった俺のために怒ってくれた。

 俺を守ってくれたのだ。


 ――信じてくれなくてもいい。私が引き取りたいの。君と暮らしたいの。――


 親戚と別れた後切り出した言葉の意味が、今現在とようやく繋がった。

「うん、だからね……え?」

「へ? あ、え、あれ?」

 こんなに俺を、大切にしてくれる人がいた。

 そんな人を俺は、形ばかりで全然信じてこなかった。

 でもまだ、見捨てないでいてくれた。

 感謝なのか、申し訳なさなのか、安心感なのか。

 俺が流した涙は、訳も分からぬまま沢山出た。


 *****


「お餅、何個入れる?」

「3個!」

「あんた、自分のウェイトと相談してから言いなさいよ」

「まだ大丈夫」

 私は年明け、どうせ運動することになるからね。正月くらいいっぱい食べたっていいでしょ。

「樹、吹浦くんとはどうなの?」

「ゲホッゴホッ」

 姉からの不意打ちに、私はむせた。

「えーまだ告白してないの?」

「今年度中にはケリをつけるよ」

「ふーん。まあせいぜい、後悔しないようにやんなさいな」

「ふぁい」

「何なら既成事実でも作っちゃえば?」

「吹浦にそれはダメ! いや吹浦に限らずダメだけど」

 吹浦はいつも、一歩引いている。

 それは、常に冷静に状況判断をしているからだ。試合中でも、どこか冷めた目線を送っていることがある。

 そしてそれは、学校生活でもそうだ。

 遠くなり過ぎず近づかせず、あまり他人に踏み込ませようとしない。野球部員以外で喋っているのを見たのは、クラスメイトくらいだ。

 踏み込ませないかわりに、自分も不用意に踏み込まない。

 彼がそうしているのは恐らく、周りを信じていないからだろう。


 *****


「ありがとうね、健吾くん」

「いえいえ、お構いなく」

 そう言って米沢は、餅をパクつく。遠慮を知らない奴である。

「お前、正月まで家に来てどうすんだよ」

「いいのいいの。親はなんか忙しいみてえでさ。新聞と医者に休みはねえから」

「いや、新聞でも正月休みくらいあるぞ。医者は知らんけど」

 今泉も米沢の両親が忙しいことは分かっているが、ここまで遠慮なく居座られると辟易する。

『第○○回の箱根路、往路優勝は蒼洋大学です!』

 テレビでは箱根駅伝を生中継している。

「いいなあテレビ。テレビ出てえなあ」

「高校野球でも準決勝から地上波生中継だろ? ベスト4に入れば出れるじゃん」

 今泉は事もなげに言った。

「ああ、なるほどそうか。だから甲子園なんて言ったんだな」

「何が?」

「監督が来てすぐの頃だよ。あえて『甲子園』っていう高めを投げておいて、皆が妥協して『県ベスト4』って言うのを待ってたんだろ」

「いいや別に。なんか、あいつらが俺らと本気出せば、いけるんじゃないかと思っただけ。勘だよ、勘」

 今泉がそう返すと、米沢は苦笑いをした。

 今泉の勘は、割と当たるからだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る