第27話 年末

「じゃあ、この数字を見てください。これは日本で、とある死因で死んだ人の1年間の数です。……あーほら、寝ないで。現代社会が眠くなるのは分かるけど、年内最後の授業なんだから」

 千歳香奈は、3年生の教室で半ばヤケクソ気味に注意していた。3年生の冬といえば、大学受験の時期。家業を継ぐ者も少しはいるらしいので当てているが、逆にそいつらばかりだと不公平だと言われる。そのため授業中は、できるだけ多くの人に当てるようにしている。

 それに、「寝ないで」という趣旨の発言はしているが「内職(こっそり他教科の勉強をすること)はダメ」とは言っていない。この時期になると、授業そっちのけで受験対策をする人が多くなる。要は、内職しようが授業中に寝ていなければいいのだ。なぜ寝てはいけないのか、それは校長が抜き打ちで来た時に気まずくなるからである。


 *****


 相変わらず、外は雪が舞っている。

 12月下旬の新庄盆地ではおかしいことではないが、練習がしにくくなるのが恨めしい。室内練習場でもあれば全く別だが、生憎そんなものはない。

「オラー、雪合戦するぞー!」

 ⁉

「雪合戦だぞー、吹浦ー!」

 遊佐が雪玉を持ってこっちに投げる。今日は雪かきして終わりのはずだが。

「遊佐、小学生じゃないんだかrブゴッ!」

「先手必勝! オラオラ!」

 ちょ、待って、止めて、冷たいの苦手だから。

 しかし、言葉を紡ぐ前にどんどん投げつけてくる。

「お助けいたしますよ、吹浦様」

 そこから、少し変なテンションで表れた泉田と遊佐は壮絶な(雪)合戦を繰り広げたのだが、グラウンドがぐちゃぐちゃになり、翌日は全員から責められることになるのだった。


 *****


「明日から正月休みかぁ」

 雪合戦で荒れたグラウンドを整備しながら、誰かがそんなことを言い出した。

 29日から1月3日まで、学校には入れない。「登校禁止」と言われているから、グラウンドは使えない。

「まあ、ゆっくり休めってことだろ」

「それはそうかもしれんけどな」

「定期券更新したし、お前ん家遊びに行ってやろうか」

「なんで上から目線なんだよ」

 米沢と今泉は、相変わらず仲が良い。

 言い合ってるだけに見える? あれはじゃれあいというのだ。


「はあ。明日から休みか~」

 帰りの汽車が途中まで一緒の遊佐が、溜め息を吐いた。

「何。正月休み、楽しみじゃないの?」

「だって、宿題とかもあるじゃん」

「あれは形だけ。答え写してでも提出しとけばいいの」

「うっそ。吹浦ってそんな奴だったっけ?」

「野球で手を抜いたことはないよ」

 列車は、遊佐が降りる駅に着いた。

 が、遊佐は降りようとしない。

「ねえ」

「ん?」

「今日も、吹浦の家に寄っていっていい?」

 俺は、どういうつもりだろうとしか思わなかった。


 *****


 数日前のことだった。

「樹、あんたまだ伝えてないの?」

「へっ?」

 私に声をかけたのは、1学年上の姉、柚希だ。

「だから、誰だっけ、吹浦くんだっけ? こじらせすぎじゃない?」

「でも別に、一緒に野球をやれてるだけで……」

「甘ーーーーーい!」

 某芸人のような口調で、柚希は私を指さした。

「そんな呑気じゃ、誰かに取られちゃうよ!」

「いや、でも、アイツのことはそんな……」

「あの子、気が利くじゃない。しかも野球部のレギュラーで、優しいんでしょ? 他の人から見ても普通に良いじゃん」

 確かにそうだ。

「うん……でも……」

「自信を持て! 玉砕でもいい! 告れ! あんたにも魅力はある! それで勝負しろ!」

 なんでここまで応援してくれるのか、私は分からなかった。

 だってお姉ちゃんとは、いつも喧嘩ばかりしているからだ。

「これは姉妹としてじゃない、女として応援してるの!」

 ああ、そうか。

 お姉ちゃんは、こういう人だった。

「……うん、ありがとう」

 今年度が終わるまでだ。

 それまでに、この気持ちには、ケリをつける。


「過去の名勝負集が見たいのね。ちょっと待ってて、えーと……」

 そうして私は、吹浦の家にお邪魔している。

 お邪魔するくらいなら中学の頃から何度もしてきた。でも、吹浦に対してそういう気があると意識し始めたら、なぜか急に緊張してきた。

 いや、そう考えたらなんか、何もかも魅力的に見える。

 ああ、なんか、後ろから抱きつきたい。ってなんで発情してんだ私。落ち着け。

「透くん、ちょっといいー?」

 そこでちょうど、吹浦の叔母さんが呼んだ。

「はーい。ごめんね、ちょっと待ってて」

 トントンと階段を降りていく音が聞こえると、私は脱力した。

 2人きりで、同じ部屋。今までは何とも思わなかったのに。

「はぁ~」

 あの姉貴め。


 *****


「これ、お菓子ね。あとジュース」

「あ、ありがとう。……アレ? いつもお菓子なんて出してくれてたっけ?」

「いや、出してないけど。でも、叔母さんが持ってけってさ」

「ふーん」

 なんで叔母さん、急にお菓子なんて用意したんだ? しかも「頑張ってね」とか。

 何を頑張れと? 今年の練習はもう終わったぞ。

 まあ、いいや。

「何年のやつ?」

「2007年かな」

「ああ、あの」

 当時小さかった俺たちの記憶には勿論、残っていない。夏の甲子園決勝で初めて逆転満塁ホームランが飛び出した、あの大会だ。


『8回表が終わって4-0。広島・松稜しょうりょうが4点をリードしています』

「ここから逆転しちゃうんだからなぁ」

「そうだね」

 松稜の穂村ほむら大林おおばやしのバッテリーは、7回まで1安打に抑えている。対する佐賀中央は公立校で、4点とはいっても相手打線に12安打を浴びていた。

 残り2イニングで4点差。勝てる要素はほぼ無い。

『ワンアウトから佐賀中央エース久野くの、甲子園初ヒット!』

『抜けた! 代打生川いかわ繋ぎます!』

『見ました四球フォアボール! 満塁!』

 甲子園が、異様な雰囲気に包まれていく。疲労とアウェー感に、相手が追い込まれていく。

 続く伊部いべが押し出しの四球。

「あれってストライクじゃないの?」

「ボールでしょ」

 もしストライクだったとしても、確認のしようがない。

 そして、3番越島こえじまが満塁ホームラン。

 9回表を抑えてゲームセット。


「何度見ても凄いけど、8回裏の判定がなぁ」

 遊佐はあの四球には、未だに納得していないようだ。

「あれがストライクだったとして、フルカウント。そこからもう一つストライク取れたかは分からないしね。それにあの試合の球審は、低めに厳しかった」

「そうだけどさぁ」

「野球をするだけならいいかもしれないけど、勝つためには審判と観客を味方につけなきゃいけない時だってあるんでしょ」

 喋っている間に、駅に着いた。

 やっぱり遊佐と2人でいるのは落ち着く。

 遊佐がどう思っているのかは、全然分からないけど。

「吹浦!」

「ん?」

 列車がもうすぐやってくる。

「…よいお年を!」

「よいお年を」

 遊佐は早口でそれだけ言って、ホームに駆けていった。

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