第23話 油断大敵

 響く金属音。

 少し上がる歓声と、大きく漏れる溜め息。

 一死一・三塁から、4番泉田の打球は、またも一二塁間を破っていった。これで三塁走者が還った。

 1点返して4対1。

 スコアの上では、まだ3点の差がある。だが、今の1点は、光彩大山形の守備陣を浮足立たせるために必要な1点だ。

 なおも走者が一・二塁の場面で、光彩大山形は、この試合初めて、伝令をマウンドに送った。

「監督は何て?」

「知らん。何も言ってなかった」

 ――お前なりにチームを励ましてこい。

 伝令の江津ごうつが聞いたのは、それだけだった。

「まあ、まだ3点あるんだ。落ち着いて一つずつアウト取っていこう」

 江津は、そんなありきたりな言葉しかかけられない自分を、少し歯痒く思った。


 *****


「凄いですね、1点返しましたよ」

 楯山は、興奮しながらシャッターを切っている。

 だが、話しかけられた当の山寺は、表情一つ変えていなかった。

 確かに、1点返せたのは、舟高にとって大きい。ただそれは、追加点を取れる見込みがあればこそだ。

 そしてそのチャンスは、もうあまりない。しいて言うならばこの回と、上位打線に確実に回る最終盤だが、果たしてそこまで投手陣が粘れるか。

 それを少しでも払拭しておくためには、この回に追加点を取る以外ない。

 次は5番の米沢。ここで適時打タイムリーが出れば、まだ食らいつく望みはある。

『矢橋くんに代わりまして、ピッチャー木次きすきくん。9番ピッチャー木次くん』

「やっぱり強豪だね」

「え?」

「先手先手でやってるでしょ。常に相手の二手三手先を読んでる。今出てきた木次だって、4回途中あたりから準備してたからね」

 まあ、1点取られることを想定していたかまでは分からないが、光彩大山形は監督の手腕も確かだ。

 そして、マウンドを継いだ左投げの木次も、評判通りのピッチング。二者連続三振で、見事に流れを止めた。


 *****


「城崎、矢橋」

 藤島ふじしま監督の、2人を呼ぶ声が響いた。

「『油断大敵』って言葉を知ってるか?」

「はい!」

 油断は常に物事の失敗のもとで、それは恐ろしい敵であること。

 頭では分かっている。

「点を取られる前に気付いたか?」

「……」

「格下、格上、そんなものは一発勝負のトーナメントでは関係ない。目の前の4対1というスコアが、事実としてあるだけだ」

 ベンチは黙りこくっていた。

「相手にチャンスを作られるのはしょうがない。でも『光彩大山形うちだから勝てる』なんて保証はどこにも無い。相手を見くびると、最後に痛い目を見るぞ。いいか!」

「「はいっ!!」」

 2人を呼んだだけなのに、返事はベンチ全員がしていた。

 やっぱり、監督は監督だ。

 選手として2度甲子園に出場、1度は相手に毎回得点を達成されて敗れている。

 そして3年の夏は、地方大会決勝で逆転サヨナラ負け。相手は初出場を目指していた学校だった。

 監督からは何一つ聞いていないが、ネット社会では調べると意外と出てくる。

 城崎は、バックスクリーンのスコアボードをもう一度見直した。


 *****


「タイム!」

「すまねえ。高瀬、あと頼む」

 6回裏。まるで別人かのように光彩大山形の打線が繋がり始め、2点を失った。

 なおも無死一塁。

 ここで高瀬に託すのは酷な気もするが、目先を変えて打ち取る可能性にかけるしかない。

「さすがは強豪だな」

「え?」

「やっぱりさっき、2点目を取っておくべきだったな」

「米沢」

 高擶が制した。

「終わったことより今のことだ」

「……そうだな」

 しかし、米沢は少し落ち込んでいる。暗い雰囲気を払拭しなければ。

「なんだったら、俺と捕手キャッチャー代わる?」

「はあ⁉」

 真っ先に声を上げた泉田が、呆れ顔で俺を見た。

「いや、冗談冗談。でも、米沢に頼りっぱなしじゃだめでしょ」

「まあな」

「勿論、他の人でも。野手は8人いるんだから、ジャンジャン打たせな」

「確かに。俺たちが勝つなんて、誰も思ってないし。開き直っていこうぜ」

 だが、その開き直りを持ってしても、油断が消えた(ように感じる)光彩大山形打線の前には、歯が立たなかった。


 数分後、うなだれた高瀬からボールを受け取り、俺は再びマウンドに上った。

 一つアウトカウントを増やしたまでは良かった。しかしそこから二者連続の二塁打で2点を献上。1対8となってしまった。

「序盤と同じで、緩急使っていくからな」

「んー」

 了解とも不満ともつかない声を返したが、米沢は何も言わず戻っていった。

 落ち込んでるな、米沢は。

 それでリードが単調になって、高瀬は打たれた……かもしれない。

 今度もそうだ。初球スローカーブを要求してきた。

 最初にそれを投げたら、次は直球にするつもりだろ?

 俺は首を振った。サイン交換に時間がかかったが、何とか打ち気に逸る3番妹尾の狙いを外した。ナックルカーブ、ナックルカーブ、ボールゾーンへ直球、そしてシンカー。見事なまでに、変化球に手を出してくれた。

 続く4番高山たかやまもライトライナーに抑え、7点差で6回を終了した。

 つまり、7回表に点を取らないとコールド負けを喫する。


『7番サード古口くん。背番号5』

 下位打線。おまけに下位3人は誰もヒットを打っていない。

 しかし、木次の球が荒れている。動画を見た通り、イニングを跨ぐと制球力に差が出るようだ。カウント3-1からアウトハイの球を叩いた打球は、内野手と外野手の間にポトリと落ちた。

 だが木次は、走者が出ると途端に制球力が増す。打たせてもらえず、三振と内野フライであっという間にツーアウト。走者を進められない。

 1番高瀬が打席に向かう。繋げば俺に回るが、俺には木次の球を打つイメージが全くできていない。しかし、ネクストバッターサークルで迷っていた俺とは対照的に、高瀬に迷いの気配はなかった。

 初球、高めのスライダーが僅かに浮いた。

 それを高瀬は逃さず捉えた。ボールは左中間へのライナーとなって伸びてゆく。

 ツーアウトで、一塁走者の古口は既にスタートを切っている。おまけに俊足だ。

 落ちれば1点。落ちれば――。

 中堅手が打球に飛びつく。

 転びそうになりながらも、ボールを放しはしなかった。

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