第20話 考える

 8回表の守備を終えて戻ってきた俺に、白河が再び声をかけてきた。

「さっき、凄かったですね」

「まあ……」

「『振り逃げと悪送球で逆転しただけ』ですか?」

 俺が思っていたことを分かるかのように、話を続ける。まあ、実際そうだが。

「さっきの話の続きなんですけど……私も少し分かるんです、先輩たちの気持ち。私が中学時代にいたチームは、結構強くて」

 そういえば、白河は福島県のクラブチーム出身らしいと、遊佐から聞いた。

「でも、不思議と皆仲が良かったチームでした。良い意味で切磋琢磨っていうか。でもある時、今の舟形ここの野球部と同じような状況に陥ってしまって……」

「そういうのって、結構あるものなの?」

「さあ。それで、皆必死でした。負け試合が続いて、それぞれがやれることやろうとして、空回りして……。言い合いになったこともありました」

 言い合いこそ無いが、まさに今の舟高のような状態だ。

 何とかしなきゃと焦り、熱くなり、結果何もできない。そんな悪循環だ。

「でもある時、相手のエラーで先制した1点を守り切ったことがあったんです。それも、何度もピンチがありながら。何本も何本も、連続で良い当たり。ヒットを打たれて、三塁まで進められて……。本塁封殺が何度あったか分かりません」

 ベンチ内が静かになる。

「だから、その……、上手く言えないですけど。皆で考えれば、何か残るんじゃないかと思うんです。勝っても負けても」

 皆で考える。

 ――一人で考えても、それは一人の意見だ。チームプレーだからこそ、皆で共有するんだ――。

 中学時代の監督がそう言っていたのを思い出した。

「なるほどな」

 気が付くと、打者とコーチャー以外の全員が白河の話を聞いていた。

「大事なことって、何もプレーの中のことだけじゃないもんな」

「考えるってことか。単純だ」

「でも、その単純なこと、俺らは気づかなかったな」

 そうだ。考えるんだ。

 俺たちの練習を、試合を、プレーを、野球を、考えるんだ。

「あと1イニング、考えるぞ。考えて喋って、共有して、この試合勝つぞ」

 高瀬が迷いなく言った。


『四番センター、法田ほうでんくん。背番号8』

 相手ベンチとスタンドが盛り上がる。

 九回表。1点差。一死二・三塁。

 今日2回目となるタイムを取り、内野手の俺たちはマウンドに集まった。

「さて、どう料理する」

 泉田がさもありげに切り出す。

「まあ、この場面なら」

「敬遠もありか」

「今泉は?」

 そこへ、監督の言葉を聞きに行っていた米沢が戻ってきた。

「監督は何て?」

「ん。えーっと、……あ、ごめん忘れた」

「マジかよ」

 しょうがねえなあ、と皆笑った。米沢がわざと忘れたふりをしているのを笑った。

 監督と話している時間は、多く見積もっても5秒くらいだった。そんな単純な指示(あるいは雑談か)を、この僅かな時間で忘れるはずがない。

 米沢は俺たちを試しているのだ。

「じゃあ、俺たち皆で考えるしかないな」

 今泉がニヤリと笑みを浮かべて言った。


 一死満塁になった。四番の法田は当たっているし、逆転の走者は既に二塁にいる。

 ならば申告敬遠。実にシンプルだ。

 ここで3度目のタイムを使い、米沢は外野手まで呼び寄せた。

「外野、定位置よりちょい後ろに」

「前進守備じゃなくていいのか?」

 中堅手の高瀬が聞き返す。

「確かに最終回、満塁のピンチ。でも今はで、俺たちは1んだ。同点や逆転にされたとしても裏の攻撃が残ってる。何としても防ぎに行くべき1点じゃない」

「よし、それでいこう」

 今泉が言った。俺も同じ気持ちだったから「そうだな」とだけ言っておいた。

「内野はダブルプレー体制な」

「よしっ」


 *****


「ようやく、かな」

 千歳はふうと息を吐いて言った。

「何がですか?」

「いやー、私の口下手さが出ちゃったね。負けから学ぶことを知ってほしかったんだよ。白河さんありがとね」

「え? いや、その……そこまではまだ行ってないと思いますよ。まだ『考える』段階になっただけでしょうから」

「まあ、一歩前進ってとこかね。でも白河さんも意地が悪いね。全部は教えてくれないんだ」

「だ、だって、入ったばかりの後輩が偉そうに言ったらそれこそ……」

「大丈夫。実力は皆認めてるよ」

「それならいいんですが……」

「監督と女子選手がベンチから出ることができない以上、ここから先は見守るしかないね。今日『自分で判断して』しか私、指示してないし」

「ですよね。フォースプレーですよーっ、落ち着いてアウト一つぅ!」

 一塁手の高擶がファーストミットを動かして答えた。


 *****


 フライが上がる。スタンドから溜め息が漏れる。

「インフィールドフライ!」

 まずい。風に流されている。これでは俺が後ろ向きで捕るしかない。

 インフィールドフライは、たとえ落としてもアウト一つ取れる。問題はその後だ。

 捕球の位置によっては、三塁走者がスタートを切る可能性がある。

 風が吹いている。体で受け止めるつもりでスライディング。

 どうにか捕った。

 ここからだ。

「バックホーム!」

 やはりそうだ。アウトもセーフも、間に合わない距離ではない。

「今泉!」

 肩がそれほど強くない俺は、直接米沢へ投げるのではなく、マウンド左寄りの今泉に投げ返した。

 今泉は一瞬目を見開いたが、すぐ表情を戻し捕球。振り向いて数メートル先のホームベース上、米沢へ。

 少し三塁側になったが、丁度走者が突っ込んできてくれた。キャッチャーミットが、三塁走者に触れた――かどうか。米沢が捕球したミットを掲げる。

 球審の右腕が、高く上がった。

 県大会出場が決まったとは思えないほど、球場は静まり返った。

 だが、一瞬遅れて歓声とどよめきが巻き起こった。

 勝ったことはスコアボードが証明している。

「6対5で舟形高校!」

 拍手がようやく耳に入った。秋季大会では一度も無かった。

 いや、これまでは情けなくて聞きたくなかっただけだろう。

 見てくれている人がいたんだ。

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