第19話 そんなこと

 二次予選二回戦の日がやって来た。相手は最上もがみ向町むかいまち高校で、この試合に勝てば県大会の出場権を手にすることになる。

 でも今は、そんなことはどうでも良かった。『そんなこと』と言ってしまったら県大会に失礼だが、気持ちに偽りはなかった。

 試合前、雰囲気は最悪だった。

 誰かが失言したわけではない。誰も何も喋らなかったのだ。同じチームなのに、全員がどこか違う方向を向いているように思えてならなかった。


「吹浦先輩、大丈夫ですか?」

「へ?」

 声をかけてきたのは白河だった。今日は遊佐ではなく、白河が記録員としてベンチに入っている。

 というか、監督がどさくさに紛れて遊佐と白河の二人を記録員として登録しているのだ。それは規則に違反しないだろうかと思ったが、たとえ違反していても、出場選手に関係するものじゃないから軽い処分を食らうだけだろう。例えば、この大会の公式記録の抹消とか。

「ああ、俺は大丈夫。もしかして、遊佐に何か言われた?」

「あ、まあ。というか嫌味とかではなくて」

「何言われたの?」

 聞き返すと、白河は口元を俺の耳の近くに寄せてきた。


「……『今、チームがバラバラになってるけど、心配しなくていい』って」

 あいつ、そんなこと言ってるのか。

 試合に出たいのに出られないから、応援とサポートに回らざるをえなくて。それでも頑張っていたのに、今度はチーム内で分裂が起きてしまった。

 3対7で負けたのが問題なのではない。最後まで一度も追いつけなかったのが問題というわけでもない。点差が開いたからといって気のないプレーをしていたのが問題なのだ。全員それに気づいているからこそ、空気が重苦しかった。

「……でも、遊佐先輩も本当は、悔しいはずですよね」

 白河がそこまで言ったところで、整列の号令がかかった。

「ごめんね、白河さん。入って早々にこんなことになって」

 俺がそう言って整列に向かおうとすると、白河は少し語気を強めた。

「謝るのは大会が終わってからにしてください。……試合は待ってくれませんから」

 俺は、背を向けて聞くしか出来なかった。


 *****


「なんか、パッとしないなぁ」

 記者席で試合を観ながら、記者の山寺弘香ひろかは呟いた。

 勿論、選手たちはマスコミのために学生スポーツをやっている訳ではない。全力で臨むからこそ、逆転があればコールドゲームもある。

 しかし、今日の最上向町対舟形の試合は、それを差し引いてもパッとしない。というか、全体的に覇気が無いのだ。

「今日、曇りだからじゃないすか? 心なしかカメラ映りもイマイチですし」

 隣にいるカメラマンの楯山一朗いちろうはそう言って、またカメラを構え直した。

「うーん、そーかなー」

 曖昧な返事をした山寺だが、それとは少し違うことも感じ取っていた。

 両チーム、ここまで失策はない。攻撃にもそつがない。まるで、同じチーム内で紅白戦をしているような感覚に陥りそうになる。

 同じ攻め方、同じ守り方、同じ雰囲気……。何か、元気がない。

 記事に書けないほど些細な事だったから、山寺は余計に気になった。


 *****


 6回を終了して4対4。

 2点のビハインドを2点のリードに変えたものの、最上向町打線は気落ちしていなかった。5回6回と、確実に1点ずつ。流れは向こうにいきかけていた。

「タイムお願いします」

 そして7回表、最上向町は二死ながら走者三塁。勿論ワンヒットで1点が入る。

「なんで来た」

「なんでも何もねえ。ピンチだからだよ」

 米沢はついそんな口調で言い返してしまったが、同時に今泉の苛立ちも感じ取っていた。

「まったく、監督は何も指示してくれねえしよ」

 今泉は、未だに指示待ちしている。この男、頑固なのか愚直なのか、あるいはその両方を兼ね備えているのか分からないけれど、自分のことをあまり曲げない。

「指示をくれないなら、俺たち自身でやんなきゃなんじゃない?」

「どうやってだよ」

「それを考えるんだよ。全員で考えるの。一人だけが突っ走っても駄目だからな」

 監督はまだ動かない。

「そんなこと?」

「正解か間違いかじゃなくてさ、自分たちで考えてやることに意味があるんじゃねえのか。勿論、勝つためにな」

 球審が駆け寄ってきた。

 今の米沢には、それ以上思いつかない。


 *****


「米沢くん。さっきのは、どういう配球だったの?」

 監督がやっと喋った。

「ああ、えーっと。外角を打たれてたんで。内角中心で。3球目は見せ球のつもりだったんですけど、ライト前に流されちゃいました」

「そう」

 怒ってはいないようだ。

「なら、良し」

 監督は確かに、そう呟いた。米沢は今泉の方へ視線を向ける。

 たった今、九番の瀬見が三遊間への内野安打で出塁した。無死一塁。

「吹浦、次に繋げよ」

 次に繋げ。

 バッティングの言葉としては最適解だ。

 俺は額面通り、その言葉を受け取った。


 高瀬も出て無死一・二塁。4対5、点差は1点。

 ここですることは何か。ベンチを見やる。

 サインは出ない。

 ならば――。


 勢いの死んだ打球が、ピッチャー前にコロコロと転がった。

 送りバント成功。これで一死二・三塁。

 しかし次の今泉は今日、良いところがない。最上向町エース、本城ほんじょうのスライダーに手を焼いている。

 1点差で得点圏に走者二人。ここで点が入らないとすると、正直この試合はかなりきつい。

 同点、さらに逆転に繋がる走者が出ていながら、一人もホームを踏めないということ。それは、こちらの流れを止め、相手を増々調子づかせることになる。

 その焦りの空気が今泉に通じてしまったのだろうか。三振に倒れる。

 しかし、一塁上から打席を見ていた俺からは、それほど落ち込んでいるように見えなかった。

 そんなことを考えているうちに、次の泉田もフルカウントになった。

 そして6球目、落ちるスライダー。空振り三振。チェンジ――と誰もが思った。


「泉田、走れ!」

 誰かが叫ぶ。

 相手捕手が大きくボールを逸らしていた。振り逃げが成立する。

 瀬見と高瀬も、ここぞとばかりに次の塁へ走る。

 ホームベースにボールが投げ返される。が、そのボールも三塁側ベンチの方向へ逸れた。

 泉田が二塁にスライディングした時、本塁には2人の走者が還っていた。

 その向こうに、白河と監督の姿が見えた。

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