第5話 それじゃダメ
「まったく……。監督が千歳先生なんて聞いてねえよ。あの人、担任も部活も持ってなかったのに、なんで急に野球部なんか指導し始めるんだ。……これじゃ食事に誘えるチャンスが……」
職員室に戻った幕ノ内は、そう独り言ちた。
正直、最初の職員会議での一目惚れだった。大きな瞳に明るい笑顔、庇護欲をかき立てるちんまりとした体。そして、身長の割には大きいと思われる胸を見れば、男の欲望(劣情?)をかき立てることなど、造作もないことである。
が、本人は超が二つか三つ付くほどの鈍感で、教師として勤務する間は女としての意識が薄い。というかほぼ無い。体育会系でもないのに「楽だから」という理由でジャージを着用している。昭和時代か、と言いたくなるような風貌である。
しかし、気に入られたいのならば、少しの言動にも気を付けなければならない。そこで幕ノ内は、説教をほどほどに切り上げたのだった。
ところ変わってグラウンド。野球部は練習後の片づけをしていた。
「え? ピンポン玉?」
「そうです」
高瀬が目論んでいるのは、どうやら打撃力の強化のようだ。
「ああ、芯に当てる練習? 確かに有効みたいだね。でも……うーん、ゴメン! 買ってあげたいのは山々だけど、廃部が決まったから部費がほとんど出ないんだ」
「あ、そしたら俺ん家にペットボトルのキャップ山ほどありますから、それで代用しません? 空気抵抗で不安定なのは変わんないし」
学校の最寄駅から五駅のところに住んでいる米沢が、助け舟を出した。
「あー助かる。じゃあ次の火曜に持ってきてくれる? 無理のない範囲で」
「了解です。もしかして、先生も勉強してるんですか? 練習方法」
「そりゃ少しはね。今まで、戦術とかにしか興味なかったからさ。あ、来週の月曜は視聴覚室集合ね」
「はい。じゃあ、グループチャットに流しておきます」
他の部員も、千歳のことを監督と認めるようになってきていた。今泉もとりあえずは納得したようだ。
**********
「さて今日なんだけど、目標を決めてほしいんだ。大会でどこまで行きたいかの」
週明けの月曜日。視聴覚室に俺たちを集めた監督は、唐突にそう口にした。
「はい」
「はい高瀬くん」
「まず一勝を目指すのが良いと思います」
監督は前のホワイトボードに「1勝」と書いた。
「なるほど。他には?」
「……あの、目標っていうか、疑問っていうか」
次に手を挙げたのは遊佐だった。
「1勝を目標にして、1勝できるんでしょうか」
沈黙が訪れた。確かにそうだ。
県予選は大体一回戦からだが、組み合わせの都合で二回戦からになることがままある。その場合ほとんどは一回戦を勝ち上がってきたチームとの対戦になるので、相手は勢いづいている。勢いだけで勝てるほど甘くはないが、大事な要素でもある。それにこれは、この前監督が言った心理にも当てはまる。
「実に良いね、ゆっちゃん」
なぜか監督は、遊佐のことだけあだ名で呼ぶ。
「そう、同じ1勝でも、組み合わせによって違う。だから単に『1勝』を掲げても、はっきり言ってそれじゃダメなんだ」
となると……。俺は手を挙げた。
「はい、吹浦くん」
「俺はベスト8を目指したいです」
突拍子もない目標だ。今の俺たちには。
「『三年の夏まで』に、県ベスト8に入りたいです」
集まった十一人のうち、俺を除いて八人が驚きの表情を見せた。俺は気にせず続けた。
「教頭先生が『実績を出せ』って、言ってましたよね。ベスト8レベルなら、文句は言われないと思います」
しかし、監督は動じなかった。
「……それは、教頭先生に言われたから目指すの?」
「違います。このメンバーなら、ベスト8まで行けると思ったからです」
根拠はないです、すみません、と俺は付け足した。
しかし、それに同調、いやそれ以上を出してきた男がいた。俺のベスト8宣言に動じなかったもう一人、今泉だ。
「はい先生。どうせなら甲子園目指したいです。俺はやれると思います、このチームなら。根拠はありません」
俺以上のバカがいた。
**********
「甲子園かぁ。考えたことなかったな」
「今泉以外そうだと思うけど。っていうか来週は、春季大会の組み合わせ抽選だろ」
「ああ、そうだった。……で、やっぱり俺?」
「主将が行かなきゃ話になんないだろ」
「えーっ、参ったな」
くじ運悪いんだけどなぁ、と高瀬は肩を竦めた。
ウチからしたらどこだって格上だし、あまり変わらないだろうとこの時は思っていたが、組み合わせの結果を見た時に、改めて高瀬の引きの弱さを実感することとなる。
「マジかよ……」
トーナメント表を見て、俺はそう呟いた。俺たちが通う学校の名前「
「弁解のしようもありません。大変申し訳ない」
そう平謝りした高瀬を、監督は「いや、くじって運なんだから、謝ることないよ」と慰めた。
しかし、
それに甲子園出場経験と言っても60年前に一度出たきりで、古豪と化している。それなのに、まったく勝てない。
何より、いい方向に行きかけていたチームのムードが台無しになったことのほうが気にかかる。そんなマイナス思考に陥っていると、監督が言った。
「よし、じゃあまずは相手の研究からだね」
◆◇◆追記
登場人物の苗字で気付いていた方もいるかも知れませんが、一応舞台は山形県のつもりです。ただし方言はあまり出てこないと思います(作者がそんなに詳しくない)ので、その点はご承知おきくださいますようお願い致します。また実在する(した)学校名が出てくることがありますが、あくまでフィクションですので現実世界と関係はありません。
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