第3話 心理

 数日後の昼休み。瀬見、高瀬、荒砥の外野手三人組は、昼食後の駄弁り時間を楽しんでいた。

『ピンポンパンポーン。野球部顧問の千歳です。野球部の皆さんは今日の放課後、三階の視聴覚室に集合して下さい』

「え? 練習じゃないの?」

 真っ先に高瀬が反応する。流石に主将で、こういうことは聞き漏らさない。

『練習はします。ですが、いつも通りではないことをご承知おき下さい』

「一体、何をやるんですか?」

『来てからのお楽しみです。それでは放課後、視聴覚室でお待ちしています。以上、顧問からの連絡でした。ポンパンポンピーン』

 放送が終わった後、「おいおい、なんでここと放送室とで会話が成立してるんだよ」というツッコミがクラスメイトから入ったが、今はそんなことはどうでもいい。今度は何をするつもりだろうかと、高瀬は思考を巡らせた。


「よし、皆集まったね。休みの人も居ないし、結構結構」

 放課後、俺たち十人を視聴覚室に集めた千歳はそう言うと、一枚のDVDを取り出した。

「まずはこれを見てもらおう」

 果たしてその映像は、去年の夏の大会でウチが戦っている姿だった。三振、失策、連係ミスのオンパレード。見るのも嫌だったし、見終わった頃には全員ゲンナリしていた。

「じゃあ、一旦巻き戻すよ」

 嘘だろ。

「まずこの場面。0対1の三回表、相手の攻撃。一死ワンアウト一・二塁なんだけど、なんで外野が前進守備してるの? この時の監督が出した指示、憶えてる人いる?」

 俺が手を挙げた。この時の関根の指示は、はっきりと憶えている。

「関根…先生は、『この回でもう一点やりたくはないな』って言ってました」

「なるほどねぇ……。じゃあ次。0対3の七回裏、ウチの攻撃。一死二・三塁で、これはスクイズ失敗かな? サイン違いでもあったの? 吹浦君」

「……いや、なかったと思います。スクイズのサインだったと思います」

「……ふむ。……まあ、いいや。過ぎたことだし、そもそも君たちはこの試合でプレーしてないしね。あ、そうそう、皆のアンケート読ませてもらったんだけどね」

 千歳はそこで言葉を区切った。何か言うつもりなのだろう。


「率直な感想を言わせてもらうと、君たちが勝ちたいんだなぁっていうのが伝わってきた。個人的には良いことだと思うよ」

 良いことなどと言うが、勝ちたいというのはイコール「連敗を止めたい」ということだろうと思う。公式戦五十三連敗なんて大恥以外の何物でもない。それに俺たちは、部活動停止期間もあって勝利を経験していない。それどころか先輩方の中には、三年間で一勝もできずに卒業した人だっている。勝利は今の俺たちが最も求めていることだと思う。

「でも、このままじゃ勝てないな」

「なんでですか?」

「『上手くいく』と思ってやっていると思うんだよ、前の学年の人たちはね」

「……?」

「当たり前のことだけど、野球に限らずスポーツには必ず相手がいる。勝ちたいと思うのなら、自分にとって上手くいくと思うことをやるよりも、相手にとって上手くいかないと思うことをやるのが大事だよ」


「……先生」

 今泉が声を上げた。

「先生の指導ってのは、それですか」

「うん、そう。だって君たち、勝ちたいんでしょ? 勝ち方なら教えられるよ。野球はあんまり詳しくないけどね」

 やっぱり、よく分からない。

 指導方針が、ではない。なぜ俺たちにここまで向き合おうとするのかが、だ。

 俺たちは、学校に見捨てられたようなものだ。自分の保身に一生懸命な校長と、風評被害を拡大させる教頭をはじめとした教師陣。千歳も、死神として野球部の最期を見届けるために監督に就いたのだと、そう解釈していた。

 でも違った。この人は、俺たちのやりたいことを考えている。俺たちと正面から向き合おうとしている。

 質問した今泉は、腰を下ろした。

「……じゃあ先生は、野球はどんなものだと思いますか」

 今度は俺が質問した。この人の勝負事に対する姿勢を聞いてみたかった。

「え? ……うーん、野球はまあ、心理戦と情報戦だよね」

 そしてこの回答が返ってきた時、俺は確信した。

 この野球部が、これから先、変わるだろうということを。


「情報は分かるけど、心理が関係するんですか?」

「するよ、勿論。例えば……そうだな、同点で無死ノーアウト一・三塁のピンチで、マウンドを任されたとしようか」

 そう言うと千歳は、視聴覚室前方のホワイトボードに、野球のダイヤモンドとアウトカウント、それにボールカウントまで書き始めた。

「ここで皆ならどうする? 1点は覚悟のうえで投げる? それとも三振を狙う?」

 すると、「えーどうする」「三振だろ。もしくは前進守備」「犠牲フライで抑えられたら万々歳ってとこかな」と、意見が飛び交った。

「さて、じゃあここで一つ前提条件を加えよう」

 千歳はさらに、「相手は甲子園常連校」と書き加えた。

「これならどう? 三振を狙わなくても、1点までなら相手にダメージを与えられると思わない? 無死で走者二人、しかも一人は三塁。ウチみたいなとこを相手に複数点狙えるチャンスを逃したら、どう思うだろう? 少なくともベンチの空気は少し重くなるはずだよ」

 千歳は問いかける。幾人かが頷く。

「その空気は隙を生む。隙は綻びを生む。綻びを突けば戦える。たとえ、戦力が劣っていてもね。そこを突くんだ」

 それからも、千歳の……いや、監督の話は続いた。



◆◇◆追記

 ここまで我慢してお読みくださった方、ありがとうございます。ストックがほぼ無いもので、更新日が空く場合があります。また、試合の描写はあと数話で出す予定です。ほぼ野球をやっておらずすみません(汗)。作者はスポ根系があまり好きではないので、理論系になるかもしれません。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る