第45話 ふたりと、ともだち1
「社長。フォーブス商会のアメリア様が……」
そっと背後から部下に声を掛けられ、
話し相手の外国人商人も察したらしい。どうぞ、とジェスチャーをする。
「後は、この者がお話を伺いましょう」
慶一郎が部下を簡単に紹介する。握手を交わすのを確認してから、その場を離れると、アメリアが待っていた。
「やあ、アメリア」
片頬を吊り上げて笑う。腕を組み、睥睨した。
「随分とやってくれたな。皇后陛下の首飾りとドレス一式。フォーブス商会が納めたそうじゃないか」
ふふ、とアメリアは勝気に笑い、手に持っていた扇を揺らして見せる。
「誰かさんが我が国に取り付けた交易ルートに比べれば……。譲ってくれてもいいでしょう、これぐらい」
「なにが、これぐらい、だ。皇后陛下はいたくお気に召して、〝御用達〟を命じる勢いじゃないか」
「あら、光栄だわ」
陽気に笑うアメリアを、食えん女だ、と目をすがめて睨む。
もともと目を引く容姿をしているが、マーメイドスタイルのドレスを身に着けた彼女は、最小の宝飾品で最大の光を放つほど、美しい。
だが、扇の房をもてあそぶ今日のアメリアには、珍しく愁いが滲んでいた。
(……なにか、あるのか? いや、あったのか?)
そういえば、この夜会会場に到着した当初、露台でアメリアは新しい恋人と何か話していたようだった。
恋人がタキシードのポケットに手を入れたが、アメリアがその手を、押しとどめている。
皇后陛下の件を言ってやろうと足を向けたのだが、なんだかひどく深刻そうな顔をしていたため、声をかけるのはやめたのだ。
(また、うまくいっていないのか?)
前回の恋人とも仕事のことでもめて破局しているのを本人から聞いた。
仕事より、自分との生活を優先してほしい、と言われたのだそうだ。
今日も、彼女が会場で大口の商談をまとめた、と部下が報告してきている。同じような理由で、今の恋人からなじられたのだろうか。
「ねえ、志乃は? 一緒なんでしょう?」
ぱちり、と扇を閉じ、アメリアが周囲を見回す。
「ああ。さっき、子爵の奥方とそこで……。ほら」
慶一郎は会場を見回し、それから東側の壁を指さした。
そこには、志乃と複数の女性たちが会話に花を咲かせている。
中心になっているのは子爵の夫人だが、全員貴族階級か、というとそうでもない。志乃のような者も普通にいる。
「初めてパーティーに参加した時、あの子、ひとりぼっちでいじめられてたのにねぇ」
感心したようにアメリアが言うから、慶一郎は顔をしかめた。
そうだ。
あの時は、古めかしいドレスを着た化け物どもに取り囲まれていたのだ。
ふと、改めて会場を見回す。そういえば最近、こういう場で雪宮家を見ない。
「志乃が着ているドレス、素敵ね。あまり見ないタイプだわ」
「仕立て屋を、お前の国から引き抜いたんだ」
給仕を呼び止め、シャンパングラスをふたつ取り上げる。ひとつをアメリアに渡すと、彼女は当然のように受け取った。
「この国の女に似あうドレスを今後も作って売り出す。あの子爵は新し物好きだからな。すぐに食いついてきた」
「まあ。志乃を餌に使っているの」
「モデルだ。しかも最上級の」
自分では妙案だと思っているのに、アメリアは「あきれた」と言って肩を竦める。
「今日、子どもはどうしているの?」
クリスタルのグラスを唇に寄せ、アメリアが尋ねる。
「お祖母様に預けて来た。もうこの時間なら眠っているだろう」
新生児期はあれほど寝かしつけに手を焼いたというのに、首が座り始めたころには、放っておいても一人で眠るようになった。
なんだったんだ、あれは、と、あきれるやらおかしいやら。
最近は、はいはいや、つかまり立ちをし始めたので、夜よりも日中、手がかかるのだ、と志乃は苦笑いしている。
シャンパンを口に含みながら、慶一郎は女性たちと一緒に楽しそうに会話している志乃を眺めた。
夫だから、というひいき目を差し引いても、綺麗な娘だ。
アメリアは磨き抜かれた
「ねえ、慶一郎」
「なんだ」
視線を志乃からアメリアに向ける。
彼女は細長いグラスを片手に、自分をまっすぐに見ていた。
「今でも志乃のことを変わらず愛している?」
「どういう意味だ」
「子どもを産み、母になった今の彼女を、出会った時と同じぐらい愛しているか、って聞いているの」
「出会った時と……」
ふと呟き、シャンパンを口に含む。頭の中でいろいろと思いめぐらせ、それからアメリアを見た。
「同じじゃないな」
「同じじゃない?」
きゅ、とアメリアの瞳が細まり、やけに険を帯びる。だが、慶一郎は構わず続けた。
「今の方が断然、愛しい。というか、日ごとに可愛い。多分、この先もっともっと愛らしくなる気がする」
正直にそう伝えた。
不思議なもので、志乃という女は、年々色彩が濃くなる。
出会った当初は薄墨のような印象だったのに、日が経つにつれ、様々な色合いを帯びていく。今では多彩な光を放つ輝石のようだ。
「自分の手元で、ずっと大切に囲っておきたいが……。それは過保護なんだろうな」
まじめな顔で告げると、アメリアはぽかんと口を開いて自分を見ている。
(……せっかく、綺麗な顔をしているのに。台無しだな)
そんなことを考えていたら、アメリアは、く、と喉で笑い声を潰し、いきなり爆笑をし始めた。
「ちょっとやめてよ、なによ、あなたったら、もう」
アメリアは言うなり、ばちりと肩を叩いてきた。痛い。なんだ、こいつ。
「志乃も変わったけれど、貴方も変わったわねぇ。いまじゃ大所帯で会社を動かしているし……。一匹狼の慶一郎はどこにいったのやら」
目に浮かんだ涙を指で拭い、アメリアは、「ああ、可笑しい」とまた笑い続ける。
「どうなさったんです? すごく楽しそうですね」
騒がしくしていたからだろうか。志乃が女性たちの輪から離れて近寄ってきた。にこにこと笑みを浮かべる様は随分と華憐だ。とても、一児の母には見えない。
「慶一郎がのろけるのよ、もう」
「のろけてなどいない」
むっつりと答えたのに、アメリアの興味はもう志乃にしか向いていなかった。
「今度、外国の絵本を翻訳するんですって?」
「まだ、お話が進んでいる、という段階で……。注意や指導ばかりされています」
志乃は恥ずかしそうに頬を染めるが、アメリアは嬉しそうに笑みを浮かべている。
「慶一郎の家族になったし、子どももできたし……着実に夢をかなえているのね。素敵だわ」
ふ、と下げたアメリアの視線に。
慶一郎は影を見た気がした。
それは志乃も同じだったらしい。
「どうかなさったのですか、アメリアさん」
ためらいがちに声をかけた。
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