第11話 なぜ、追い返さなかった
その後、
安心したことに、彼女の言葉は外国語ではなかった。
「おばあさまはどこ? いつものお部屋かしら」
言うなり、踵の高い靴を脱ぎ散らして上がり
スカートの裾が邪魔だったのだろう。ちょっとまろびかけたが、それでも、つい、と背筋を伸ばして歩くさまは、女の志乃が見ても非常に優雅だ。
ただ。
(これは、誰……?)
ひたすら狼狽えながら、志乃は彼女の帽子を持って後ろをついて歩く。
「おばあさま! お久しぶりですわね」
そんな志乃などまるっきり無視し、金髪の女性はまっすぐに千代の居室に入り、華やいだ声を上げる。
「アメリアがいなくて寂しかったでしょう」
廊下から室内をのぞいて、ぎょっとする。
金髪の女性が千代に抱き着いている。
座っていた千代のために両膝をついているため、彼女の長いスカートの裾が畳に広がっていた。
膝の上にいた猫は、というと、押しのけられたらしく、千代の左隣で「しゃあ!」と牙を剥いていた。
ついで、ぎゅ、ぎゅ、と千代の頬に頬を押し付ける。そのとき、リップ音が鳴るので、志乃は更に目を丸くした。
(……まぁ。本当に、あちらの方と言うのは、きす、なるものをするのね)
自分の知らぬ知識を持ち合わせる
「アメリアさん。いつこちらに?」
千代が、金髪の女性の背中に手を回し、幼子にするように、ぽんぽん、と叩く。
それを合図に、彼女は適切な距離を保ち、それから畳に横座りした。
「昨日の夜よ。本当は午前中に来ようと思ったのだけど、眠ってしまって」
くすり、と笑う。
天真爛漫なお嬢さんだ、と志乃はなんだか感動する。
よく変わる表情は見ていて飽きない。
「志乃さん、そこにいらっしゃる?」
千代が廊下にいる自分に呼びかける。
「はい」
慌てて廊下に控えた。
どうしようか、と悩んだ末に、帽子は自分の横にそっと置く。
「志乃さん。こちら、アメリアさん。彼女のお父様が持っておられる商会は、うちの大口の取引相手なのよ」
千代は金髪の女性を手で指し示す。
「アメリア・フォーブスよ。アメリアと呼んで」
屈託なく微笑んでいる。
「志乃、と申します」
廊下に手をついて頭を下げると、「わお」となんだか驚かれた。
「アメリアさん。志乃さんはね、慶一郎のお嫁さんよ」
顔を上げた途端、アメリアが叫んだため、志乃は仰天して背をのけぞらせた。拍子に、正座していたというのに、へたり、と尻餅をついてしまう。
アメリアはレースの手袋をはめた両手で自分の頬を包み、ひたすら外国語で何かを叫んでいる。
おかげで、水雪が背中を丸めて、「ふうっ、ふうっ」と威嚇していた。
(ど、どうしよう……。どうしたらいいのかしら……っ)
アメリアの肌が白いからだろう。一気に紅潮し、千代に向かってしきりに外国語で訴えているが、彼女も早すぎて聞き取れていない。
志乃も、呆然としたまま動けず、ただ、水雪だけが、アメリアを排除しようと、前足で幾度も彼女のスカート裾に攻撃を繰り出していた。
混乱と混沌と異言語がいりまじった室内に、突如響いたのは、玄関扉が荒々しく開く音だ。
まるで、福音にもきこえるその音に、志乃は立ち上がった。
「お、お客様のようで……」
千代に言うと、彼女もがくがくと首を縦に振る。
次いで聞こえたのは、不機嫌極まりない慶一郎の声だ。
「戻った」
「おかえりなさいませ……っ」
志乃は言うなり、玄関に駆ける。
「アメリアが来ているだろう」
志乃が出迎えに行くと、案の定、これ以上にないぐらいの仏頂面の慶一郎が立っていた。
彼が眼鏡越しに見ているのが、アメリアの靴だと気づき、頷く。
「ついさっき、いらっしゃって……」
突き出された外套と鞄を受け取ると、牙を剥かんばかりに唸られる。
「なぜ、追い返さなかった」
「いえ、その……。状況が把握できず、申し訳ありません」
上がり框に座り、革靴を脱いでいる慶一郎を見、ふと違和感に気づく。
「旦那様。今日はお早いお戻りですね」
まだ夕刻だ。
「トマスから、アメリアがこっちに向かったと聞いたんだ」
眼鏡を擦り上げてすごむが、志乃はきょとんとする。
「とます」
「アメリアの父親だ」
ぐるる、と唸りそうな声で言う。では、千代が言っていた取引先の方だろう。
「いいか、今後、あの女が来たら絶対に追い返せ」
できるだろうか自分に、と志乃は返事を言い淀んだが、慶一郎は下がらない。
「出来るな」
ここでも、そう言われた。
「努力はいたします」
精一杯応じると、慶一郎は納得したらしい。
彼が立ち上がると同時に、千代の居室からにぎやかな笑い声が響いてきた。
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