05話.[聞けば聞くほど]

「え、過去のわたしはそんなことをしていたの?」

「うん、毎時間来てくれていたんだよ? 勇気が出なくて教室に行けなかった私のところにさ」


 聞けば聞くほど、それは別人説が濃厚になってくる。

 いいことをしていたのなら忘れるわけがない。

 さすがのわたしでもそこまでぽんこつというわけではないんだからそれは絶対だ。

 悪いことだけはよく覚えている。

 だから忘れようとするのなら、蓋をしようとするのならこっちにするだろう。


「久島さん、やっぱり人違いだよ、わたしが誰かのために動くとかありえないし」

「……絶対そうだから、間違いなく裕子ちゃんだったもん」


 この人――この子の中のわたしはいい子すぎる。

 わたしなんかあれ以降ずっとびくびくおどおどして普通に授業を受けることすら大変だったんだ、そんな余裕があるわけがないだろう。

 また、それよりも前は明るかったけど、あくまで自分優先で動いていただけだから誰かのために行動するなんて絶対にないんだよね。

 しかも毎時間保健室に行っていたとかもおかしい。

 保健室は教室から結構遠かったし、なによりあの雰囲気が好きではなかったから余計にさ。


「ねえ、また文香って呼んでよ」

「後でやっぱり違くて、時間を無駄にしたとか言わない?」

「言わないよっ、お願いっ」


 後で責められたりがなければ名前で呼ぶぐらいなんてことはない。

 ただまあ、こういうタイプはなあ……。

 大抵は時間の無駄にしたとかでね、まあそうなってもいいけどさ。


「文香ちゃん、これでいいでしょ?」

「呼び捨てがいいっ」

「文香」

「嬉しいよっ、また名前で呼んでもらえてっ」


 なんか申し訳ない気持ちになってきた。

 多分、本当にこの子を助けた人がいて、彼女はその人と記憶違いをしていて。

 それなのにわたしがしてあげたみたいになっていて、……申し訳ない。


「ねえ、裕子ちゃん」

「うん?」

「……なんで燐さんの匂いがするの?」


 え、あの衝突されたときだって一瞬だったのに……。


「ねえどうして? もしかして義理の姉だからって抱きしめたりしているの?」

「いや、燐ちゃんが衝突してきただけ、いたっ」

「姉妹になったからってべたべたするのは良くないと思うよ?」


 ……なるほど、もしかしたらわたしはこれを消したかったのかもしれない。

 暗くなったのってこれも関係しているのではないだろうか?

 だって怖いもん、違う子と話しているだけで怖い顔になりそう。


「いい?」

「な、なにを?」

「上書き」


 こっちがいいと言う前に彼女は密着してきた。

 あ、意識していなかったからだろうけど、いい匂いがする。


「うざいって言ったのはなんだったの?」

「……裕子ちゃんが手に入らないから、あとは放置されたからだよ」

「そんな物じゃないんだから……」


 それでうざいって言われるこっちの身にもなってほしい。

 でも、人の温かさって凄く落ち着くんだなーなんてそんな風に思っていた。

 父に抱きつくことなんて小学生以降していなかったから余計に。

 そうとなればひとりだし、彼女みたいにハグできるような友達がいなかったからどうようもなかったというか。

 なので、今日は菜帆さん――お母さんに抱きついてやろうと決めた。


「女の子と会うときは言ってね、私がチェックしてあげる」

「燐ちゃんとぐらいしか話さないよ、あとは文香ぐらいだし」

「なら良かった、燐さんは最強のライバルだけど」


 彼女はこちらを抱きしめるのをやめて笑みを浮かべた。

 あくまで自然なものだったから「怖い顔より笑顔の方が似合っているよ」なんて言ってみたりもして。


「まあ、燐さんを選んでも邪魔はしないよ、他の子だったら絶対に許さないけどね」


 と、彼女は口にして不自然な笑みに変えたのだった。




「こんにちは」


 放課後。

 文香も燐ちゃんも用があるということでひとりで帰ることになったそんな日のこと、校門のところで女の人に話しかけられて足を止める。


「あんたよあんた」

「……久しぶりだね」

「そうね」


 止めをさしてくれた張本人だった。

 まあ、いま思い返してみると確かににやにやへらへらしていてうざいから言ってくれて良かったとも言えるけど。


「わざわざ来てくれたの?」

「はぁ、あたしたちは友達じゃないでしょ」

「そうだけど、桑本さんは別の高校に進学したわけだからさ」


 って、単純に友達のために来てくれた可能性の方が高いのか。

 勘違いしてしまったことを謝罪し、別れて帰――れはしなかった。


「どうなの?」

「桑本さんに言われてからはなるべく謙虚にって生きているつもりだけど、難しいね」

「ま、あのときはその……あたしも悪かったわよ」

「え、どうしたの? あ、熱が出ちゃっているとか?」

「ベタな反応をありがとう、でも、そうじゃないわよ」


 明るすぎても文句を言われるし、暗すぎても相手の足を引っ張るし。

 その間の絶妙なところに合わせるのが凄く難しい。

 わかったことはわたしがそもそもマイナス寄りの人間だったということ。

 だからやっぱり勇気を出して言ってくれたことは感謝しかなかった。

 もしあそこで止めてくれなかったら、ああ、考えたくないな……。


「ほら、あんたって文香のところに行っていたじゃない? あたしがああ言ってからは行かなくなっちゃったから」

「あ、文香と関わりがやっぱりあったんだ?」

「忘れたの? あんたは毎日、教室に来られない文香のところに行っていたけど」


 なんでそんなことをしたんだろう?

 哀れんでいた? 教室に来られない子を心配してあげて優しーとか考えて動いていたのかな? 

 なんかそういう可能性が高そうだ。

 普通のわたしだったら逆効果とか悪い方に考えて心配だけど動けない、ということになるはずだから。

 というか、なんでわたしの中から消えているんだろうなあ。

 それか、もしかして周りの子がおかしいのだろうか?

 苛めをしていたとかではないみたいだから別に実害はないけど……。


「文香は元気?」

「うん、元気だよ、にこにこ笑みを浮かべてさ」

「なら良かった、高校でも行けなくなったら嫌だから」

「って、桑本さんたちが苛めていたわけではなくて?」


 保健室登校しかできなかったということはつまりそういうことだ。

 他にも持病があったりの可能性もあるけど、大抵は苛めなどで教室に行くのが怖くなってしまったからだろう。


「は? 幼馴染で大切なのにするわけないじゃない、仮にそういうのがあったとしても他のグループよ」

「幼馴染なら守ってあげてよ」

「無茶言うな、あたしはあたしで自分の人生を歩むことで忙しいのよ」


 少し考えてみたんだけど、もしかしたら苛めていたのってわたしなのかもしれない。

 そうでもなければ文香に関する情報だけが抜け落ちるなんてことにはならないだろう。

 進んで悪口を言うような人間ではないものの、不平や不満を口にしたことは何度もあるから。

 だから、いま文香が来ているのはその復讐というか、殺すとまではいかなくても仕返しがしたいからに決まっているんだ。

 それなら受け入れないとな、過去にしたことが返ってくるというのは本当のことなんだなーって客観的にそう思った。


「桑本さん、わたしが苛めていたって言ったらどうする?」

「それはないわね」

「なんでそんなことが言えるの? 表ではそうでも、裏では相手のことを悪く言っていたかもしれないんだよ?」

「ないわ、あんたは文香のために動けていたんだから。さっきはあんな言い方をしたけど、あんたは文香を悪く言っている人間にやめなよってぶつかったから」


 過去のわたし勇敢すぎでしょ。

 多分、ありがとうと言われる度にもっと言ってほしくなったんだと思う。

 そのためになら衝突だってすると。

 ……本当にわたしか? ってなる。


「元気なら良かった、あんたのことも気になってたし」

「ありがとう、文香にも言っておくね」

「うん、よろしく」


 どうせなら文香と会わせてあげたかったなというのがひとつ。

 そして、違う女の子と会ってしまったけど言った方がいいだろうか? というのがひとつ。

 ……別にやましいことはしていないんだから言っておくことにした――というか、言っておかないと怖いことになりそうだから。

 なので、先程の桑本さんみたいに校門のところで待つことに。

 二時間ぐらい出てこなかったものの、友達と一緒に十九時前に出てきてくれて助かった。

 本当はもう帰ってしまったのかもしれないと不安になっていたから本当に良かった。


「あれ、先に帰ったんじゃなかったの?」

「文香を待っていたんだよ」

「わかった。ごめん、ふたりとも」

「いいよ、ばいばーい」

「じゃあねー」


 友達さんもあくまで普通だ。

 わたしは悪く考えすぎてしまったなと苦笑。


「それでどうしたの?」

「さっき桑本さんと話してさ」

「え、友梨ゆりちゃんと? わざわざ来てくれたんだ」

「うん、文香の様子が気になったんだって」


 だからって高校を同じにするなんてできないか。

 余計なことを言ってしまったなと反省しておく。

 こちらに謝罪をしてきたのは困惑しかないけど。

 

「あ、それでなんだけどさ、中学のときはやっぱり文香のところに行っていたみたい」

「だからそうだって言っているのに……」


 なんでいいことをしたはずなのに忘れているのか。


「って、友梨ちゃんに会ったことを言ってくれるのは嬉しいけど、連絡先を交換しているんだからアプリとかでも良かったと思うけど」

「ほら、他の女の子に会うときはチェックするって言っていたからさ、隠したら怒られるだろうからって待っていたんだ」


 故意ではないけど会ったことには変わらない。

 これはあくまで自分を守るためにしていることだ。

 だから文香のことは全く考えていないということになる。

 わたしという人間は昔から変わらないところがあって、とにかく自分優先で動いているというのが当たり前で。

 だからやっぱり文香のために動いていたというそれが嘘とかそういう風にしか思えなかった。

 お礼を言われると確かに嬉しいけど、そのために他の人間と衝突するなんて面倒くさいことはしないよ。


「あ、いや……あれは冗談というか、あんまり他の子と仲良くされると嫌だなって思っただけなんだよ……」

「そうなの? でも、やましいことがあるわけじゃないから。そうだ、どうせならこのまま一緒に帰ろ?」

「うん、帰ろう」 

 

 まあいいか、さらに面倒くさくなったわけじゃないし。

 いまは普通に高校生活というやつを楽しもうと決めたのだった。




「裕子なんて嫌いだ……」

「機嫌直してよ、確かに忘れていたのはあれだけどさ」


 土曜日に遊びに行こうと約束をしていた私たち。

 でも、わたしがそれを忘れて文香の誘いを受け入れてしまったことによりいまに繋がってしまっている。


「ただ忘れるだけならいいけど、あいつと遊んでいたっておかしいだろ」

「ごめん……」

「ゆ、許さないからなっ」


 もう六月の二十日を超えている。

 つまり、燐ちゃんが家に来てから一ヶ月が経過したことになる。

 順調に仲良くなれていた。

 でも、ちょっといまは止まっているかな。


「今日は一日中私の相手をしろっ」

「わ、わかったから」

「じゃあ行くぞっ」


 別に大変だということもなく、あくまで普通のお出かけだった。

 わたしにとって少し大変だったのはカラオケとかボウリングとかファストフード店とかに行くことになったこと。

 どれも利用したことがない場所ばかりだったからわたしだけ場違い感が半端ない感じがした。


「楽しいなっ」

「うん、楽しい」


 それでも、誰かとこうして遊べる時間というのは貴重だ。

 燐ちゃんがわたしを誘ってくれたことが嬉しいかな。

 ……昨日行けていたらもっと良かったけど、これからは気をつけよう。


「なあ」

「なに?」

「……あんまりあいつの相手ばかりするなよな、たまには私の相手もしてくれよ」


 こんなことを言われるなんて思わなかった。

 燐ちゃんって意外性の塊だなって、寂しがり屋なのかもしれない。


「どっちかに偏らせたりはしないよ、ちゃんと相手をするよ?」

「うん……それならいいんだけどさ」


 こっちの手を握ってきて少し弱々しい笑みを浮かべた。

 わたしよりも身長が高いのに手は小さくて可愛らしい。


「そうだ、次は裕子の行きたいところに行こうぜっ」

「いいよ、今日はお詫びというかそういうあれなんだから燐ちゃんが行きたいところに行こう」

「そうか? そうか……」


 あれ、逆に残念そうな顔をされてしまった。

 別に変な遠慮をしているとかじゃない。

 寧ろ燐ちゃんといたいからこそしたいことをしてほしいのだ。

 付き合うぐらいならわたしにもできる。

 前と違って不快にさせないようにって行動してる。


「行こ? 今日はいっぱい付き合うからさ」

「おう……」


 とはいえ、慣れないことの連続で既に結構体力を消費してしまっている自分がどこまで付き合えるのかがわからなかった。

 それでも今度こそちゃんと約束を果たさないといけないから頑張ろうと決める。


「なあ、ちょっと海に行かないか?」

「行き方わかるの?」

「わかる、裕子が」

「はは、確かにわかるよ、それじゃあ行こっか」


 もう七月が近いからなのか雨が降っていないのはいいことだろう。

 この前までは雨ばかりの日が続いていたから単純に気持ちがいい。

 それに不安になる必要がない相手と一緒に行動しているんだから。

 なにかがあるかもしれない学校に行っているときよりもフリーなそんなわたしだった。


「どう?」

「綺麗だな、私の県は海に行くのに交通機関を利用しなければならなかったから普通に羨ましいところもあるぞ」

「徒歩で行けてもたまにしか来ないけどね」


 でも、確かに綺麗だな。

 ここに何度も来ていればよかったかもしれない。

 そうしたらぼけっとしていても落ち着けたことだろう。

 誰にも邪魔されないそんな場所。

 あの頃のわたしには余裕がなかったからこういう場所が必要だったんだよなって、いまさらながらにそんなことを考えてみた。


「えっ、なんで泣いているの?」

「たまにこうして出るんだ、いまは海が綺麗だからだよ」

「なんか格好いいね」

「そうか? ふとしたときに出るから格好よくなんかないよ」


 間違いなくあの頃に行っていたら自分も泣いていただろうな。

 いまとなっては感謝しかないけど、当時は厳しかったし。

 一気に周りがみんな自分のことを嫌っているように見えて、どんどんと縮こまる負の悪循環だった。

 勉強だけはそれでもしっかりやっていたから受験時には全く困らなかったけど、対人能力が著しく下がっていたから困ることも多かった――って、同じことばかり考えすぎか。

 いまはとにかく目の前のこの綺麗なものをしっかり見ておこう。


「裕子、膝を貸してくれ」

「うん、どうぞ」


 許可を貰ってから髪を優しく撫で始める。

 少しでも安心してほしかったし、単純に気に入ってほしかった。


「……本当はさ、引っ越したくなかった」

「うん」

「大好きな友達がいたんだ、離れたくなかった」


 それはそうだ、大好きな人がいたら離れたくないと考えるのが普通で、父のことを考えなければこっちが引っ越せばよかったのにと思わずにはいられない。

 どうせわたしは環境が変わろうがなにかが変化するというわけじゃなかった。

 燐ちゃんとはこうして話せるようになったものの、家族以外で話せる人はほとんどいなかったんだから。


「付き合いたいぐらい?」

「そうかもな、ただ、残念ながら向こうには好きな人間がいてさ」

「そうなんだ、それだと苦しいね」

「ああ、だから離れられてよかったって考えたときもあったんだけどな、やっぱり会えない方が苦しいってわかったよ」


 親が決めたことに文句を言ったところでほとんど意味はない。

 まあ父としては自分が働く代わりに家事などをやってもらうつもりでいたからこっちに来てもらったんだろうけど……。


「ごめん」

「別に誰が悪いというわけじゃない。母ちゃんがゆっくり過ごすことができているのは間違いなく父ちゃんのおかげだからな、いまはあんなことを漏らしたけどそれで十分なんだよ」


 たまに甘えてくれていたのはそういうことだったのかと納得がいった。

 別にわたしじゃなくてもいい、たまたまその先にいた人間にそうしているというだけでさ。


「ちょっと水の方に行ってくるから」

「おう」


 ……それって虚しいな。

 燐ちゃんのことは普通に好きだけど、利用されているだけって。

 土曜日に約束していたのだって全ては紛らわせるためって。

 ま、所詮は利用されるだけの人間ということなんだろうけど。

 ちょっと納得のいかないところがあったから近くにあった石を水面に叩きつけたら水が跳ね返ってきた。

 八つ当たりをするからそうなるんだよと言われているような気がした。

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