04話.[それになにより]
微妙な時間が続く。
その割には解散とは言ってくれず、久島さんはただただ歩いていた。
先程と違ってお店に寄るようなこともせずに真っ直ぐに。
「はぁ、裕子ちゃんって中学生の頃からなにも変わってないね」
唐突なそれに心臓が一際強く跳ねた。
中学生時代のわたしのことを知っている人がこんなに身近にいるとは思わなかった。
まあでも、遠く離れた高校に通っているわけでもないのだからそれもそうかと考える自分もいたけど。
「いや、変わったか。だってあの頃は明るかったもんね、空気の読めないぐらい真っ直ぐにさ」
うざいと言われてから出せなくなってしまったもの。
……自己評価が真反対になってしまった日のことをいまでもよく覚えている。
「……いいじゃないですか、いまは静かに過ごしているんですから」
「いや、そういう影のある感じも同じくうざいなって」
へらへらしていてうざい、暗くなったらうざいって、一体どうすればいいんだよ……。
まあおかしいと思ったんだ、いきなり近づいて来るなんて不自然すぎたからさ。
先程貰った物を叩き返し、お金も何円かはわからないから千円札を押し付けて別れる。
下手に出たところで嫌われていることには変わらないんだから装うなんてださいし。
「ただいま」
一度失敗したら何度でもそのことについて言われなければならないのか。
なんだそれ、わたしなんかじゃどうしようもできないじゃないか。
「あ、おかえり」
「うん、ただいま」
この人の前では絶対に出さないようにしないといけない。
教室にも絶対に来ないでと言っておくべきだと思う。
「お友達を優先して、わたしなら大丈夫だから」
「ま、確かに裕子はしっかりできているみたいだしな、たまにでいいのかもな」
「うん、心配してくれてありがとね」
……本当だったら敬語に戻したいところだけど、そんなことをしたらなにかがありましたよと言っているようなものになってしまうからできなかった。
こんな人間のことで時間を無駄に消費してほしくないからこれでいいのだ。
別に迷惑をかけているというわけでもないんだから問題もない。
それになにより、これは自分で片付けなければならないことだから自分ひとりで動こうとすることは当然のことなのだ。
「燐ちゃん、一緒にごはん食べよ」
「ああ、食べるか。腹が減っていたんだよ、だからそこそこ早く帰ってきてくれて良かったぜ」
「はは、これからはなるべく早く帰るから」
余計な寄り道をせずに真っ直ぐに。
ある程度強気に対応することが可能だから絶対に遅くまで付き合ったりはしない。
駄目な人間であったとしても家族でもない、仲良くもない人相手に丁寧に対応する必要はないから。
「裕子ちゃん、一緒にご飯を食べようよ」
「どういうつもりなの?」
「あれ、似合わない敬語はやめたんだ?」
面倒くさいから暇人という風に扱っておこう。
相手をしてもらっているのではなく、相手をしてあげているのだと考えればいい。
ふっ、人に八つ当たりすることでしか発散できないなんて哀れな人間だ。
「いただきます」
わたしといるからなのか友達がやって来るようなことはなかった。
ひそひそ話をしているわけでもない、というかそもそもこっちを見ている人間がいなかった。
これはどういうことなのだろうか?
彼女がリーダーで、わたし如きひとりで十分と考えたのだろうか?
「裕子ちゃん、おかず交換しよ」
「え? なんで……」
なにがしたいんだろう。
うざいとわかっているんだから巻き込まれないように離れておけばいいのに。
「そんな嫌そうな顔をしないでよ、ほらほら、ウインナーあげるからさ」
「うざい人間から貰って嬉しいの? まあこれはお母さんが作ってくれたお弁当だけど」
「あ、昨日のは口が滑ったというかさ……」
そういう風に思っていなければ口が滑った際にも出たりはしないんだよ。
にこにこと可愛らしい笑みを浮かべているくせに随分と内側はあれだなと買ってきていたジュースを飲みながらそんなことを思った。
「その……また戻さないの?」
「戻さないよ、というか、中学生の頃のわたしは演じていたようなものだから」
この感じが本来のそれだと気づけた。
そこからはどうしてもマイナス方向に引っ張られてしまったけど、それで大して苦労もしていないんだから気にする必要はないだろう。
「私、明るかったときの裕子ちゃんをもう一回見たいな」
「過去に戻ればいいよ」
「戻れるわけがないでしょっ」
彼女はひとりハイテンションになり「無茶なことを言うねきみはあ!」と。
無茶なことを言っているのは彼女の方だ。
うざいと言われてから封印したそれをもう一度晒せと言っているのだから。
「ごちそうさまでした、歩いてくるね」
「待って待ってっ、私も行くからっ」
燐ちゃんと違って家族でもなんでもないんだから待つ必要はない。
ひとりで歩いている間、わたしはとても自由だった。
ま、その自由も彼女が来たことですぐに終わったんだけど。
「ね、燐さんと仲良くできてる?」
「どうだろう……」
「仲良くしておいた方がいいよ」
「って、なんであなたにそんなことを言われなければならないのかわからないよ。どうせわたしのこと、内側では笑っているくせに」
こんな人がいたのかはわからないけど、そもそもうざいと止めをさしてくれた人たちがいるからこんな風になっているのに。
「マイナス思考すぎない?」
「嫌ならどこかに行きなよ、わたしは頼んでなんかいないよね?」
内側にずかずかと土足で踏み込んできて容赦なく荒らしていく人間に優しく対応できる人間の方がおかしいんだ。
卑屈だとかそういう風に言われても構わない。
もしそんなことを言ってくる人間がいたら「じゃあ自分を守るなよ?」とぶつけさせてもらうだけだ。
「わたしが気に入らないのはわかったからさ、もう放っておいてよ。別に悪口でもなんでも言ってくれればいいからさ」
喋るのだって疲れるんだから。
それなのにこうして付きまとってくるなんて余程気に入らない存在だということだ。
それならわたしだって動く。
少しでも不快な気分にさせないために教室から出るとかそういうことで。
「嫌だ、私は裕子ちゃんのところに行くから」
「それは発散させたいからでしょ? あ、それとも今度こそ燐ちゃんに興味があるとか?」
「そう、発散させたいからだよ」
まさか堂々と宣言してくるとは思わなかった。
なんで近づいてきているのかがわからないよりはいいのだろうか?
「こんなこと言うのは情けないけどさ、わたしに自由に悪口なんか言ったらあっという間に不登校になるからね?」
「矛盾してるじゃん、いま自由に言えばいいって言ったのに」
「……怖いことには変わらないでしょ」
「そうだね、悪口を言われたい人はMな人ぐらいかな」
そうやってわかっているのにうざいとこの人は言ったんだ、怖がる資格なんかない。
自分を守るために邪魔な存在を排除しようとしているのかもしれないけど、いつか自分が対象にされるだけだからやめておいた方がいい。
「戻るね」
「裕子ちゃんが戻るなら私も戻るよ」
やっぱりよくわからなくて気持ちが悪かった。
本当に違うことで時間を使えばいいのにとしか言えなかった。
「裕子っ、てめえこのやろうっ」
「え?」
帰宅した瞬間に壁に押さえつけられて大混乱。
燐ちゃんになにかした覚えはないんだけど……。
「私が買ってきた菓子を食べただろ!?」
「あっ」
リビングに設置してある机の上にやけに美味しそうな、そして大好きなお菓子が置いてあったから菜帆さんが買ってきてくれたものだと考えて食べてしまったことを思い出す。
慌てて「ごめんなさいっ」と謝ったものの、燐さんを包む雰囲気が柔らかくなるようなことはなく。
「はぁ、罰として付き合え、いまから買いに行くぞっ」
「あ、はい……」
「行くぞっ」
……そもそも菜帆さんやお父さんが買ってきてくれた物だとしてもそれを勝手に食べるのは悪い存在としか言いようがなく……。
「つか、どうしてまた遅くなっているんだ?」
「避けているとかそういうわけじゃ……ないですからね?」
「敬語の時点でそうだと言っているようなものだろ」
相手が家族だからって調子に乗らないようにしているんだ。
またうざいと言われないためには敬語で、そして家にはなるべくいない方がいい。
何度も繰り返せば「こいつにはなにを言っても駄目なんだな」とわかってくれることだろうからね。
「まあいいや、そういえばあいつのことなんだけどさ」
「あいつ?」
「ほら、私が友達になってあげてくれって頼んだやつ」
久島さんのことだとは聞く前からわかっていた。
だって燐ちゃんと同学年の人のことをあいつと言われてもわからないし。
「なんか怪しくね?」
「そ、そうですか?」
「まあ裕子はまだ一年だし、まだ二ヶ月目だからおかしくはないのかもしれないけどさ」
そう、そこなんだ。
わたしが二年生でそんなときに唐突に話しかけてきたのなら確かに気になるところはあるけどそうじゃない。
それにふとしたきっかけで友達になるんだからいつでもおかしいわけじゃない。
ただまあ、今回のことについては燐ちゃんの予想が当たっているわけだけども。
「笑顔が嘘くさいんだよな」
「わかるの?」
「ああ、なんか自然じゃないんだ」
実際、内側は相当汚い……のかな?
うざいとは言ってきたから間違いなく綺麗というわけではないだろうけど。
「まあいい、なにかされたら言え」
「なにもされてないよ、あ、ほら、スーパーだよ」
「わかるよ、私にだって目があるんだから」
でも、コンビニで済ませようとするのではなくスーパーで買おうとするところが可愛い気がするんだよなと。
少しでも安い方がいいもんね、けちりたくなる気持ちはわかるよ。
「なにか欲しい物とかないのか?」
「欲しい物……あ、これ懐かしいな」
「よし、買ってやるよ」
「え? あ、ちょ」
これも仲良くしたいからしてくれているだけなんだよね?
仮にそうでもわたし相手によくそんなことをしてくれるなって思う。
「帰ろうぜっ」
「うん、ありがとう」
「はは、いいんだよ」
……好きだな、優しくて。
わたしに優しい人なんて父ぐらいしかいなかったから余計にそう感じる。
燐ちゃんはわたしがこんな人間でも歩み寄ろうと努力をしてくれているんだ。
それなのにわたしがずっとこんな調子でいいのだろうか?
……でも、ずっとこんな調子でいたからどうすればいいのかがわからない。
わからないから動かない方がいいんじゃないかってすぐにマイナスな方へ引っ張られてしまうのが私だった。
「なにか考え事か?」
「わたし、燐ちゃんと仲良くなりたい」
「お? はは、これは嬉しいことを言ってくれたな」
ちょっと勇気を出して燐ちゃんの手を握ってみることにしたら、そうしたら燐ちゃんがぎゅっと握り返してくれて嬉しかった。
そうだよ、こうして向き合おうとしてくれている人には信じて自分もそうすればいい。
久島さんみたいなよくわからない人と戦うためにも味方がいてくれた方がいいんだ。
「燐ちゃん、それほとんどちょうだい」
「はっ? 嫌だよっ」
「ふふ、冗談だよ」
あ、なんか自然に笑えた気がする。
……やっぱり誰かと仲良くできるのっていいなあ。
「久島さん」
「あれ、裕子ちゃんから来てくれるとは思わなかったな」
友達とお喋りしているところを邪魔するのは悪いけど、細かいことを気にしないと決めているので怯まずに自分のしたいことを優先。
「あ、廊下で……」
「わかった」
彼女は友達に「行ってくるねー」とあくまで軽く口にしてから付いてきた。
本当によくわからないな、支配している感じでもないし。
内が汚れているとわたしが勝手に考えているだけなのかな?
「あの、勝手に久島さんの内側が汚れているとか考えちゃっているんだけど、実際のところはどうなの? うざいとか言ってくるぐらいだから中学生時代の自由に言ってきたあの人たちと同じってことだよね?」
「でもさ、うざいとかそういう風に考えることって誰にでもあるでしょ?」
「そうかな? 面倒くさいとは感じたことはあるけど……」
「似たようなものだよ」
うーん、答えにはなっていない気が。
まあ、自ら汚れているとか綺麗とか言いづらいか。
関わる中でわたしがそれを見極めなければならないんだよね。
「あ、そういえば今日はちょっと違う感じがする」
「違う感じ?」
「うん、完全には戻れてないけど明るかった頃の裕子ちゃんに似ているって感じかな」
それなら間違いなく燐ちゃんのおかげだ。
「久島さんはわたしにどうしてほしいの?」
「明るかった頃みたいに戻ってほしい」
「うーん、どういう感じだった?」
「にこにこと笑みを浮かべて話しかけてきてくれてたよ」
「え? わたしたちって知り合いだったの?」
困惑していたら「やっぱり忘れてたんだ」と少し寂しそうな感じの表情で呟く。
「でも、途中から一気に暗くなっちゃって、全く来てくれなくなった」
「待って、それ別の世界の話?」
「……保健室に行くだけで精一杯の私のところに来てくれていたのに」
思い出そうとしても思い出せなかった。
色々なことは覚えているからそのことだけ覚えていないなんてそんな漫画的な感じのものはないと思うけど。
「人違いだよ、わたしがそんなことをするわけがないし」
「……人違いなわけがないよ」
「じゃあ、なんでそんなわたしにうざいって言ったの?」
彼女は黙ってしまった。
意地悪なことを聞いてしまったことを謝罪し、お礼も言って教室に戻る。
まあ、唐突に来てくれなくなったからうざいというかむかついたというところなんだろう。
とりあえずは授業だからそちらに集中する。
なんとなく久島さんを見てみたものの、特に代わり映えのしない感じだった。
休み時間になったらいつも通り廊下に出て時間をつぶす。
「裕子ー!」
「わっ、危ないよ」
「やっぱり心配になってな、あいつはどうなんだ?」
「うーん、それがよくわからないことになってね」
先程のことを説明しておく。
燐ちゃんは「全く覚えていないなら人違いの可能性が高いな」と言ってくれた。
「私はそもそも明るい裕子というのが想像できないんだけど」
「いや、これでも明るかったんだよ?」
「じゃあそのときの感じを出してみてくれよ」
よし、それなら最高に明るかったときのわたしを見せてあげよう。
「きらーんっ」
ちゃんとぴーすも忘れない。
本当にこんな感じだった、うん、うざいと言われる理由がある。
「ぷふっ、無理している感じが半端ないなっ」
「燐ちゃんはお母さんとふたりきりのとき、どういう感じだったの?」
「私か? 私は変わらなかったな、あ、よく調子に乗った男子を泣かせていたりもしたけど」
「あはは、なんか想像できるよ」
暴君とかじゃなくて女の子を守るために動けていそう。
友達もたくさんいただろうに、よかったのかな?
ま、よかったのかなーなんて考えたところでどうしようもないことだけど。
「ごめんね、友達とかもいたよね」
「別にいい、連絡先は交換してあるから連絡はできるしな」
「顔を見て話したいよね?」
「ビデオ通話だってできる、それに私は母ちゃんが父ちゃんと結婚して大変な生活から解放されたというだけで十分だ」
「お母さんも喜んでるよ、燐ちゃんがいい子に育ってくれて」
手伝いとかもしっかりやっていたという話だからわたしとは違う。
マイナスな思考ばかりしてきて迷惑をかけたことがたくさんある。
燐ちゃんだってそういうことはあるだろうけど、多分全く違うはずだ。
調子に乗らない範囲で明るくいられたら良かったんだけどな。
「どこ目線だよ、そう言う裕子はいい子に育ったのか?」
「いや……お父さんの良さを引き継げなかったかな……」
「ふっ、そんなことはないだろ」
「そう? 燐ちゃんがそう言ってくれるならそう信じてみようかな」
マイナス思考をしてもいいことなんてなにもない。
それどころかより一層悪い方へ傾くだけだから、これからはポジティブでいたいかな。
「裕子ちゃん」
久島さんがまたやって来た。
先程の答えを聞かせてくれるのだろうか?
「燐ちゃん」
「おう、また後でな」
これはわたしがしっかりと向き合わなければならないこと。
変なことに巻き込みたくないからこれでいい。
「ごめんっ」
「あ、それはこの前の?」
「うん……うざいなんて言って」
「いいよ、事実どんよりとしていたのは本当のことだし」
せっかく明るいのにわたしひとりのせいで暗くなっていたかもしれないし。
偉そうだけど、謝れるだけあの人たちとは違うななんて思ったのだった。
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