02話.[起きるの早いね]
「ふぁぁ……おはよ」
「おはようございます」
燐さんや菜帆さんに先にお風呂に入ってもらったからいつもより寝る時間が遅れたものの、わたしには少しの変化でしかなかった。
なので、こうして燐さんより早起きできているし、起こしてもらうなんて厚かましいことにならなくて済んでいる。
「おはようございます」
「おはよっ、起きるの早いね」
「はい、いつもこんな感じですね、なにか手伝いましょうか?」
「はは、いいよ、朝はゆっくりしてて」
ゆっくりしててとは言われてもなにもすることが思い浮かばない。
とりあえずは顔を洗ったりと朝の準備をしてみたものの、こんなのすぐに終わってしまうから手持ち無沙汰感がすごかった。
そうか、違和感があるのは父以外の人がごはんを作ってくれているからか。
あとは単純にわたしが父より先に起きたからというのもある。
いつもなら父が家を出てからここに来るから余計に変な感じなのだ。
「裕子……」
「どうしたんですか?」
「眠い……」
「まだ寝ていても大丈夫ですよ」
「いや……母ちゃんの手伝いをしないといけないか……ぐ~」
偉いな、わたしなんかなにもやってこなかったのに。
全て父に任せていた、なければないで割り切れたし。
だから手伝うとか言っておきながらあれだけど、本当はなにもわからないのだ。
「やばいっ、寝坊したっ」
「大丈夫だぞ、母ちゃんがやってくれているな」
「あ……あー、なんかいいよねこの感じ」
「そうだな、そう言いたくなる気持ちは私もわかる」
三人はあっという間に仲良くなれることだろう。
でも、わたしは間違いなくそこには入れずにまた眺めるだけになる。
羨ましい、近づきたい、触れたい。
そんなことを考えつつも端に留まることしかできない人間。
まあ、お父さんが嬉しそうならそれでいいか。
これまでずっと頑張ってきてくれたんだからさ。
「あ、裕子? どこに行くんだ?」
「お腹空いてないからもう行くよ、仕事に行くときは気をつけてね」
まだ六時半とかだけど適当にぼけっとしていればいいんだ。
楽しそうな雰囲気を壊さないためにこっちから行動してあげないといけない。
「おはようございます、早いですね」
「え、あっ、お、おはようございます」
学校に行ってから見回り……というわけでもないだろうからいま出勤中ということか、なんか運が悪いな……。
「いつもこんな時間に出ているんですか?」
「え、いえ、その、父が再婚しまして……」
って、なにを言っているのかという話だろう。
伊東先生からしたら「はあ」としか言えない件だこれは。
「あ、情報が入っていますよ」
「そ、そうですか、すみません……」
そりゃそうか、同じ高校に通うことになるんだから当たり前か。
あれ? だけど学年が違うのに伊東先生が把握するって……そういうものなのだろうか?
いきなり姉ができたら「あの暗い子のですよ」とかそういうことを職員室で……とか?
「どうですか? しっかりお話しできていますか?」
「わたしなりにはですけど」
「ふふ、それなら良かったです」
もう逃げてきている人間がここにいる。
無理なんだ、学校とかなら割り切れるけど、家であの空気は耐えられない。
どんなに頑張ったって、いや、頑張ろうとすればするほど壊すことになるから近づけないのに、父も菜帆さんも燐さんもみんな楽しそうだから。
そういうのもあって直視しないように行動するしかないのだ。
小さな幸せは無くなってしまったと言っても過言ではないかもしれなかった。
「着きましたね」
「はい」
「今日の放課後もよろしくお願いします」
「え、はい……」
歩くのがゆっくりだったのもあって七時十分ぐらいに学校に着いた。
鍵が開いているのか不安になったものの、しっかり入れるようで一安心。
教室に着いたら必要な物を取り出してゆっくりしていた。
不思議な気分だった。
いつもは賑やかなここや廊下が凄くしんみりとしているから。
別の世界に紛れ込んだような気持ちになる。
「おはよー」
誰もいないのにどうしたんだろうと困惑していたら「守谷さんだよ」と言われて慌てて挨拶をした。
クラスメイトの子に話しかけられたのなんて大げさでもなんでもなく初めてだから驚いた。
「早いね、まさか私が負けるとは思わなかったよ」
「あ……今日はたまたまですから、明日からは……勝てますよ」
「あははっ、じゃあ明日からは守谷さんに勝とうかな!」
そもそも勝負できるようなところに行けてない。
名字も名前も知らないこの人の方がなにもかも上。
気まずかったから教室を出た。
適当に歩いて暗くもっと静かな場所を探す。
「裕子っ」
「え……」
なんでそんなに怒っているのかがわからなかったわたしは硬直。
その間にも燐さんはずんずんと近づいてきてこっちの両肩を思いきり掴んできた。
思わず「うっ」と声を漏らしてしまうぐらいにはパワーがあった。
「学校に案内してからにしてくれよ……」
「あ……ごめんなさい」
「いやいい、なんとかわかったわけだからな」
怒っているというか不安だったようだ。
多分、次はないから心配する必要はないだろう。
避けているとも……思われていないよね?
「職員室まで案内してくれ」
「わかりました」
大丈夫、不安になる必要は全くない。
それでも、自意識過剰にならないように気をつけないと。
「裕子、来てやったぞー」
菜帆さんが作ってくれたお弁当を持って出ていこうとしたら燐さんが来てしまった。
怪しまれたくないから教室に居残ることにする。
「どうぞ、わたしの椅子に座ってください」
「裕子はどうするんだ?」
「立って食べますから」
「それなら私が立つからいい、遠慮なく座って食べろっ」
……父にだけは知られたくない、だから大人しく従うしかない。
教室で誰かと話しているところを見られたくない。
見られていないということはわかっているけど、やっぱりわたしなんかが誰かと話をしていると目立つから。
「おい、裕子」
「なんですか?」
「もしかして、ひとりぼっちなのか?」
うぐっ、いや……昔からそうなんだから気にする必要はないか。
「そうですね」
「なら私が友達になってやるっ」
「もしかして、心細いんですか?」
「は、はあ!? そんなわけがないだろっ」
「無理しないでください、わたしなんか急に通う場所が変わったら塩をかけられたナメクジみたいになりますから」
それに比べたら遥かにマシですよ、と。
余計なことだったのかおでこを突かれて涙目になったけど。
「母ちゃんの作ってくれた弁当は美味しいだろ?」
「はい、優しい味付けで落ち着きます」
「だよなっ、とにかく優しいんだよっ」
だからこそなるべく一緒にいないようにするしかない。
最低限のやり取りができていれば怪しまれることもないだろう。
私たちは出会ってから時間も経っていないからそういうものだと向こうも片付けてくれるはずなんだ。
なんだかんだ言っても下手くそだから相手の方がそういう風に動いてくれるのが一番かな。
「卵焼きもらったぁあ!」
「どうぞ」
「こ、これ以上はいいよ……」
美味しいけど、お父さんが作ってくれた方が好きだな。
まだ家族として受け入れられていないんだと思う。
それか、わたしはどうせって考えているのも影響しているかも。
「ごちそうさまでした」
「あ、おいっ、どこに行く気だよっ」
「ちょっと歩こうと思って、いつも食後はそうするんですよ」
「ま、待ってくれっ、私も行くからっ」
目立ちたくないから廊下で待っておくことにした。
言ってからにしたから燐さんが怒ってくるようなこともなく。
「なんか私が通っていた高校とは雰囲気が違うな」
「そうなんですか?」
「ああ、ここには嫌な空気が全くない、明るくていい場所だ」
それは多分、出ないように上手くやっているからではないだろうか。
どうしたってそういうのは出てくるものだ。
心があるからしょうがない、ストレスが溜まるからしょうがない。
もし対象に選ばれたのならしょうがないで片付けることはできないものの、止めようとしたところでどんどんと新しい件が出てきて駄目になるだけ。
「裕子、苛められていないか?」
「はい、大丈夫ですよ」
「そうか、なにか困ったことがあったら絶対に言えよ? 私が動いてやるからな」
なにか困ったことになったら戦うことは選ばずに休むことを選ぶ。
そうでなくても消えかかっている状態なのに嫌われて意地悪なんかされたら完全に居場所が無くなってしまうから。
そして、その状態で堂々と通えるような人間ではなかった。
「お友達、できましたか?」
「ああ、クラスではな」
「良かったですね、同級生にお友達がいるというだけで凄く良くなりますから」
「そうだな、ひとりよりはマシだな」
わたしじゃないんだから初日から友達作りにぐらい成功するか。
基準がどうしても自分になるから怒られないよう気をつけないと。
「燐ー」
「お、来ていたのかっ」
「うん――っと、友達?」
「あ、こいつは――」
「失礼します」
誰かといるってこんなに疲れるんだな。
なんて、白々しいことを考えつつあの暗く静かな場所へ向かう。
中学生時代に思い知らされたことだ、それなのに期待してしまう自分がいて。
わたしは自分のことが嫌いだ。
中途半端なことしかできない、嫌われないようにと考えてしまうところが特に。
それで結局本格的に嫌われて、同じ状況になるというのに。
相手に期待なんかしてはならない。
応えられないから期待する資格なんかない。
この弱い心をなんとかしなければならない。
でも、
「逃げている内はできないか」
難しいなって。
メンタルを鍛えるにはあの空間に居続ける必要がある。
いい雰囲気を壊したくないとか言っていないでちゃんと。
けど、それができたら苦労していないよなって。
どうすればいいのかをわかっているのに実行することが大変なことなんてこの世にはいっぱいある。
だからそういうものだって片付けておけばいいんだけど、これもまた中途半端にしかできない自分がいるせいでどうにもならなかった。
少なくとも学校の人たちには嫌われないよう頑張らないと、そう決めた。
「守谷さん、あなたはお家に帰ってからどう過ごしますか?」
こういう面接みたいなことが続いていた。
窓際の最前列の席に燐さんが座っているため、非常にやりにくい。
伊東先生的にはお姉さんがいる方が落ち着けるから、とか考えたんだと思う。
でも、完全に逆効果だった。
それがまたわたしを落ち着かなくさせる。
「裕子、聞かれているぞ」
「あ、ごはんの時間までは課題を出された場合は課題をやります、出されていないときはぼうっとして、作ってくれたものを食べて、入浴して、上がったらそのまま寝るという感じですかね」
お婆ちゃんやお爺ちゃんに失礼だけど、似たような生活スタイルだった。
朝早くに起床するのもそう――あ、五時半じゃ似ているとは言えないか。
「えっと……ご両親の帰宅時間は遅いんですか?」
「いえ、父は大体十八時までには必ず帰ってきますね」
「それだと寝る時間が早くないですか?」
「やることがないので……」
そういえば菜帆さんは働くのかな、そういうの全く聞いていないからわからないけど。
もし働かないで専業主婦になるとしたら食事時間などはもっと早まるかもしれない。
まあ先に食べるつもりなんかはないけど。
「そ、そうだ、燐さんとお話ししてみるのはどうですか?」
「できますよ」
「どうぞっ」
駄目だ、心配されているというわけではなく馬鹿にされているようにしか思えない。
わたしだって人とぐらい話せるよ、好かれることはないかもしれないけどさ。
それにあくまで普通に話せるという意味でできますと言ったのにいまここでなんてつもりはなかったんだけどな……。
しかも空気を読んだつもりなのか伊東先生は教室から出ていってしまった。
まあ、やることがたくさんあるからそれはしょうがないのかもしれないけども。
「さて、帰るか」
「あ、すみません、わたしはちょっと寄りたいところがありまして」
もちろん、そんなのはない。
一緒にいたくないのだ、こう言っておけばわかってくれるはず。
「そうなのか? じゃあ付き合うぞっ」
「秘密の場所なんですっ、あまり知られたくなくて……」
「それならしょうがないな、先に帰っているから帰るときは気をつけろよ」
「はい、燐さんも気をつけてください」
燐さんが出ていき教室内は凄く冷たくなった気がした。
幽霊に憑かれているとかそういうわけではなく、わたし単体だとこういう風になるんだろうと考えた。
いつまでもここに残っていると伊東先生の時間を無駄に消費させることになってしまう可能性がある、だから三十分ぐらい待機してから外に出た。
なるべく味わわなくて済むように公園で時間をつぶしてから帰ることにした。
あまりにも遅すぎると「なんでなんだ?」と言及されてしまうから十八時までにした、これぐらいならどこかに寄った場合には自然だから。
「ただいま」
部屋に直行して制服から着替える。
リビングから話し声が聞こえていたからみんな集まっているんだろう。
わたしはごはんの時間までここにこもることに。
「ったく、あいつどこにいる、ぎゃ」
ごはんのために呼びに来てくれたのかななんて考えていた自分。
でも、燐さんの反応的にこれはどうやら違うようだ。
「い、いつ帰っていたんだよっ」
「十八時ですかね」
「それなら顔を出せよっ、家族なのになに遠慮してんだ!」
「……今度からは気をつけます」
家族にすら気づかれない空気さって逆にすごい。
どうやればそうなれるのか自分のことなのにわかっていなかった。
同じように過ごしていればそうなれるのかな?
「まあいい……ご飯の時間だぞっ、今日は父ちゃんが作ってくれたんだっ」
「はい……先に行っていてください」
「ああ……」
それで四人で食べていたんだけど……。
大好きな父の味付けなのに味わうことができなかった。
息苦しい、沈黙に包まれているわけでもないのにどうしてかこうなる。
いたくない、ひとりでいいから時間をずらしてほしいぐらいだった。
「裕子、顔色が悪いけど大丈夫?」
「大丈夫だよ」
わかった、自分が日陰者だからだ。
だからきらきらと眩しいこの人たちといると息苦しいんだ。
素直に吐いてしまうことにした。
それならしょうがないと相手も折れてくれるだろうと信じて。
「駄目だ、私は許可しないぞ」
「「燐……」」
「大体なんだよ、初日からずっとこんな調子でさっ」
何度も言うけど、クラスメイトであれば割り切って動くことができた。
だけど、家族の場合はそうもいかない。
話しかけてくるという時点でクラスメイトと同じように扱うわけにもいかないからだ。
「しょ、しょうがないでしょ? いきなり家族が増えたら困惑するよ」
「違う、こいつのはそれだけじゃない」
「と、とりあえずいまは食べよう、せっかく作ったんだから。冷める前に食べてほしいなって」
「はぁ、まあ父ちゃんの言う通りだな」
わたしの人生にはないものだった。
それなのにいきなり変化したらわたしだったら普通にこうなる。
責められてもどうにもならない。
おかしいと言われてもすぐには変えられるものではないし、変えるつもりもなかった。
「風呂に入ってくる」
燐さんがいなくなったことで先程よりかはマシになった。
父が心配そうな顔で聞いてきたけど、軽く流しておく。
全部自分に原因があるんだから父や菜帆さん、燐さんは関係ない。
部屋に戻って布団を敷いた。
寝ることはできないけど、それでも真っ暗な部屋の中寝転んで。
憂鬱だ。
でも、合わせないともっと強く言われることになる。
大声で怒鳴られるとかそういうのは苦手だから合わせるしかない。
大丈夫、食事の時間なんて三十分にも満たないんだから。
「ふぅ、気持ち良かった」
電気を点けることは確実だから横を向いて目をぎゅっと閉じて。
「おわっ、い、いたのかよ……」
「ちょっと疲れてしまって……」
「風呂に入ってからにしろ」
「はい、そうします」
もちろん、父や菜帆さんに先に入らせてからにしたけど。
……待っている時間がただただ退屈だった。
けど、ひとりの時間はやっぱり落ち着けていいなってそんな風に思って。
「ごめんね、最後にしちゃって」
「いいんですよ、早く休んでほしいので」
それに追い焚きを遠慮なくできるのだから悪いことばかりではない。
温かいお風呂には順番が最後だろうと入ることができるのだ。
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