第21話「相対」


 病院で安否を確認してから俺は一度も零に会わず、連絡すら取らなかった。

 俺しか居ない家でコンビニ飯を食べ続けて残りの夏休みを過ごした。台所にはゴミが溜まる。片付けをする気も起きない。

 零にバイクを勧めるのは正しかったのだろうか。

 バイクは便利だが、同時に多大な危険性も孕んでいることは良く知っている。

 自分が気を付けていても事故は起きる。何故ならそれが事故だからだ。

 そんなことは分かっている。

 分かっているはずなのに零に合わせる顔がないと思ってしまう。

 

 「……もう、昼か」


 学校は始まってるが何日も行ってない。犯人探しもする気が起きず、自堕落な生活を夏休み後半から引き継いでいた。零が復帰しているのかも分からない。

 あのぐらいの怪我だともう退院はしてるだろう。

 学校には自転車に乗っている際に轢き逃げをされたと伝えているらしい。零の普段の優等生ぶりが幸いしてかその嘘はすんなりと信じて貰えたようだ。大作が前にそんな連絡をくれた。

 俺はカップ麺にお湯を入れ、部屋に運ぶ。その待ち時間で再び台所に。冷蔵庫からジュースを、箸立てから自分の箸を持って部屋に戻る。

 タブレットで適当な動画を横目に簡素な昼ご飯。

 その時、一階で音がした。

 

 「ん……?」


 恐らく玄関が開いた音。

 チャイムも鳴らさずに家に入ってきたその客人は礼儀などお構いなしに階段を登ってくる。

 こんなことをしてくる奴は一人しか知らない。

 部屋の扉をノックもなしに開けたのはやっぱり木葉だ。


 「おはよう、賢人」

 「おはよーさん。もう昼だけどな」

 「そっちに合わせたんだよ」

 「知ってる」


 俺の部屋には来客用の椅子などないので木葉はベッドに座る。


 「来客に飲み物すら出ないの?女を部屋に上げといて」

 「お前が勝手に来たんだろ」

 「来る理由があるからね」


 窓の外から入り込む光だけに照らされた部屋を見渡しながら木葉が言う。

 木葉が連絡も寄越さずに来るのはつまり急用、もしくは大事な話の時だ。

 その来る理由とやらに心当たりしかない。

 

 「しょうがねぇな……甘いのと甘くないのとマズイのどれが良い?」

 「不味くないやつ」

 「これまた面倒な答えだ」


 俺は部屋を出て、冷蔵庫を開ける。この短時間で二度目だ。

 これで選ぶ相手が面倒な彼女とかだと選んだ飲み物によってはそれで関係は終わりなんだろうな……まあそんな奴と付き合いたいと思わない。こっちから願い下げだ。

 零なら何を選んでも喜んで飲むだろう。

 木葉は正直なんでも良い。青汁でもあれば良かったんだが。

 

 「お?」


 冷蔵庫の奥の方にとある物を見つけた。

 俺はそれを二本持って部屋に戻る。

 

 「おーい、持ってきた……何やってんだ?」


 電気を点けると木葉が俺のゲーミングチェアに座ってパソコンにがっついていた。

 右手でキーボードを叩き、左手でマウスを滑らかな動きで操り、俺が良くやるFPSゲームを勝手にやっている。

 別にやるのは良いんだが。

 いや、木葉お前……それ右利き用のマウスだぞ。違和感で気持ち悪くならないのかよ。


 「意外と面白いもんだね」

 「初心者がパッと出来るゲームじゃないんだけどなぁ。ほら、飲み物」

 

 冷えた空色の瓶を渡す。

 ラムネ瓶を受け取った木葉は目尻を下げ、ベッドに座る。入れ替わりで俺が自分の椅子に座った。


 「懐かしい。三人でよく飲んだよね」

 「姉さんが好きだったもんな。オラっ!」

 「そんな喧嘩腰じゃなくても開くでしょ」


 初めに俺が、追って木葉がプラスチックの器具で飲み口に圧迫されたエー玉を突き落とす。ガラスとガラスが衝突する音は耳に優しい。

 二人で同時にラムネを飲む。一気飲み出来ないが、それが良い。長く味わっていられる。


 「なんで零に会ってあげないの」

 

 木葉は何時だって率直だ。大事な話や話しにくい時は大体クッション置いたり周り道をしたりするのに速攻で本題に切り込んでくる。


 「合わせる顔がないと思っちまうんだ。俺があんなにバイクに乗れ乗れ言わなかったら……って」


 『たら』とか『れば』の話は好きじゃない。だが、そう思う時だってある。


 「そんなの零だって覚悟してたことでしょ。賢人は事故で零を殺す為にバイクを勧めたの?」

 「んなことあるはずねぇだろ」

 「なら普通に会ってあげれば良い。零は賢人を信じてずっと待ち続けてるよ」

 「待ち続けてるってそんな頻繁に零と会ってんのか?」

 「だって零、わたしの家に居候してるから」

 「ほー……居候……いそうろう?」


 木葉の家に零が居候!?

 俺は何度かバイクに乗る為に木葉の家まで行ってるのに全然気付かなかった。と言うか昼間は学校だから零は木葉の家には居ない。気付けるはずがないか。


 「なんでまた木葉の家に」

 「零ね、両親に言ったんだよ。薬剤師になりたくないってね」

 「はぁ!?もう言ったのか!?」

 「病院で賢人と話した直後に言ったらしいよ」


 あの後直ぐか。母親はきっとバイクに乗ったのを俺の所為にしたのだろう。あいつの考えは全部零に都合が良いようになる。

 だが、そんなことを言われた零は戸惑うか怒るかだ。

 自分のした選択を母親が信じてくれないのだから。現実とかけ離れすぎた都合の良さに甘んじる零じゃない。

 結果、俺たちと関わることで持っていた母親に対する疑いが明白になる。

 そして遂に母親の呪縛から離れる為に本音を打ち明けたと見るのが妥当だ。


 「そのおかげで母親が暴力を振るい始め、家庭は崩壊。離婚が成立するのも時間の問題だって。父親は多少まともだったみたい」

 「父親がまともで本当に助かったな」

 「零は前へ歩いてる。バイクに乗ったことも後悔してない。当人がそれなのになんで部外者の賢人が悩んでるの?馬鹿じゃないの?」 

 「お前なぁ……いや、全くもって正論だけど」

 「じゃあ彼氏さんはどうするの?会うの?」


 木葉が問いかけながら空っぽになった瓶を投げる。

 俺はそれを片手でキャッチし、言った。


 「まだだな」

 「は?」

 

 木葉が睨む。美人が台無しだ。


 「彼女がそれじゃあ俺も逃げてる訳にはいかないな」

 

 俺が椅子から立ち上がり、そう言うと木葉は鼻で笑った。

 ただし、決して嘲笑じゃない。

 例えるならずっと垂らしていた釣り針にやっと獲物がヒットしたような面持ち。


 「頑張れ」

 「おう。んでさ、話は変わるんだけど」

 「……聞くだけ聞いてあげる」


 俺の話題転換に木葉の機嫌の良さそうな顔がコロッと変わる。

 ゴミを見るような目。その目は当たらずも遠からず……寧ろゼロ距離。

 

 「台所の掃除手伝ってくんね?」


 ぎこちない笑顔で木葉に頼む。

 旅行が終わったのが夏休みの八月中旬。

 その時からコンビニ飯や宅配サービスだけを利用する食生活が続いていた所為で台所の流しは現在、見るに堪えない有り様。夏だから余計に酷い。

 食べ物の容器、ペットボトル、エナドリの空き缶……それはもう一人暮らし始めて、自由にし過ぎた大学生の家みたいになっている。

 

 「………マスターのところで何か奢りね」

 「そりゃあもちろん!手伝ってくれるなら!」

 「はぁ……賢人はさっさと零と同棲すれば良いんじゃない」

 

 大きな溜息を吐いた後、投げ捨てるように木葉が言う。

 俺は木葉と一緒に山のように積み重なったゴミを処理した。臭いが半端なくて途中からマスクを着けた。

 家事は勉強やバイトなんかとまた違う大変さがあると思う。



 向き合うとは言いつつも親父も母さんも家に帰ってこない。帰ってきたとしても二人同時に家に居るのは稀だ。

 だからと言って大事な進路の話をメールや電話で済ませるのは個人的に嫌だった。

 俺は大事な話があるから時間が出来たら二人一緒に家に帰ってきて欲しいとメッセージを送っておいた。

 職場が同じじゃないからこう送っておけばどちらかの都合が合わなければ無理して家に帰ってこない。あくまで二人の都合がぴったり合った時に帰ってきて欲しいと頼んだのだ。

 それまでは取り敢えず学校に行くことにして過ごす。

 零とは話さず、山野と一緒に行動することが多くなった。

 そして、意外にもその時は直ぐに訪れた。

 リビングの四人用テーブル。俺の向かい側に親父と母さんが横並びで座っている。


 「大事な話とはなんだ?」


 親父は明らかに厄介そうな顔をしている。

 息子から大事な話って言われてんだぞ。そんな顔してんじゃねぇよ。

 逆に母さんは何か問題でも起こしたのかと言いたげに眉毛を困らせている。

 これから悪いことをする訳じゃないのに心臓がバクバクする。緊張で腹までぐるぐるしていて気持ち悪い。

 ふー……大丈夫……落ち着け落ち着け。俺は言うんだ。

 

 「進路のことなんだけど」

 「何処の医大にするかと言う話か?別に何処でも構わな——」

 「違う」


 親父の言葉を途中で遮る。

 親父は苛立ちを隠そうともせずに顔に出す。分かりやすい。

 もうここまで来てるんだ。周りくどい話はせず、木葉みたいに率直に行く。


 「俺、医者になるつもりはない」

 「なんだと……?」


 親父の怒気がものの数秒で増した。声の重厚感で分かる。

 こちらの感情を全て恐怖で支配してしまいそうなくらい怒りが漏れている。それはさながら人の形をした憤怒。

 姉さんはこの恐怖に負けた——殺された。

 負けねぇぞ。木葉を怒らせた時に比べれば怖くないはずだ。木葉を本気で怒らせたことはないけど。

 

 「俺はバイク関係の仕事をしたい。一応知り合いのバイク屋に就職しても良いと言われてるけど、高卒でそこ行くか工業系の大学行くかどうかはまだ考え中」

 「ふざけてるのか?」

 「本気だよ」


 睨み付けるように親父の目を見て言ってやった。

 ふざけて忙しい両親呼び出すほど構ってちゃんじゃない。そもそも親父のことは嫌いだ。

 激しい音と共に揺れるテーブルに母さんの体が跳ねた。

 親父が本気で台パンしたのだ。

 張り詰める空気。


 「ふざけるな!医者の息子がバイク屋だと!?親の顔に泥を塗る気か!!」

 「俺がバイク屋になったところで泥を塗ることになんねぇだろ!馬鹿か!!」


 荒げた声が空気を弾けさせる合図になった。


 「恥ずかしくて外も歩けなくなったらどうする!」

 「自分の息子がやりたいことやって自立したら恥ずかしいのか!?そんな馬鹿なこと言う奴はほっとけよ!俺は親父の装飾品じゃねぇんだぞ!!」

 「俺の病院はどうなる!」


 親父の病院がどうなるかだって?知るかよ。俺は家業を継ぐ気なんてないと言ってるんだから血筋とは別で後継者を探すしかないだろう。


 「そもそも後継ぎを殺したのは他でもない親父だろ」

 「何?」


 俺は恐らく山葉家で一番の禁忌に触れる。


 「姉さんは必死だった。お父さんの病院を継ぐんだってずっと言ってた」


 誰よりも親父を凄い凄いと褒め称え、医者に憧れていたのは姉さんだ。

 なのに高校に入って学力が落ちた瞬間、親父は冷たく突き放した。あの時、姉さんが言われた言葉は一言一句覚えている。


 「高校の問題如きで梃子摺るのか、使えない娘め」

 

 親父の顔が引き攣った。

 その言葉の所為で姉さんは寝る時間も食事の時間も削り、勉強に明け暮れた。

 しかし、成果は出ず、親父のプレッシャーだけが増加していく。

 このままでは大好きなお父さんに見捨てられる。

 認められたい。その一心で勉強をやっていたのに褒めるどころか点数が低いと言うだけで貶すことしかしなかった。

 

 「親父は俺たちに医者になることを期待して、姉さんはその期待に応えようとしてたんだぞ。もっと言ってやるべき言葉があっただろ」

 

 医者が人殺してどうすんだ。

 親父は力の入れ過ぎでプルプルしている拳を解いた。

 

 「俺を恨んでいるから医者にはならない……と言うことか」

 「違う。恨んではいるけど理由は姉さんと一緒だ」

 「巴と?」

 「俺がやりたいと思ったからバイクの方向に行くんだ」

 「……少し、考えさせてくれ」


 親父は席を立ち、部屋に行ってしまった。殴り合いも覚悟していたからちょっと拍子抜けだ。

 話には入ってこなかった母さんは笑顔で言った。

 

 「頑張ってね」

 「ほどほどに頑張るよ」


 そう返して俺も部屋に戻ってベッドに体を投げ出した。

 姉さんは確かに親父が好きで、医者になりたいと思うきっかけも親父の教育方針から来るものだった。

 だが、姉さんにも自分の意思はしっかりとあった。

 ただ……真面目過ぎたんだ。

 自分の理想と現実、大好きで憧れの親父からは突き放され、精神的に限界が来てしまった。

 人は追い詰められれば意外にあっさりと死を選ぶ。

 きっと考えることに疲れてしまったのだと思う。

 

 「せめて俺か木葉に一言でも相談してくれれば良かったのに」


 もう何を言ってもどうしようもない。 

 だが、帰らぬ人となるって言うくらいだからきっとこちらに帰る気が起きないくらい楽しいのだろう。そうに違いない。

 姉さんの性格なら黄泉の世界でも仲良くやっている。

 そんなことばかり考えていると、頭がおかしくなりそうだ。

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