第17話「劣等感」
……………ん。
沈んでいた意識が浮上し、ふと、目が覚める。
走馬灯のようなものを見ていた気がする。私、何してたんだっけ。
どうやら今、私は仰向けに寝ているみたいだった。見慣れない天井だけど何処の天井かは分かる。病院だ。
確か……バイクで前に出たら車がぴゅーん!って突っ込んできて……吹っ飛ばされた。
全身が物凄いズキズキする。取り敢えず生きてはいるみたい。
首を軽く動かしてみると賢人くんが居た。唇の端が切れて出たと思われる血が瘡蓋になっている。
あまり血の赤は似合わないと思った。
「零っ!起きたのか!?」
私と目が合った賢人くんが血相を変える。
慌てている顔は珍しい。
「うん……これ、体起こしても大丈夫かな」
「待て待て。一人で起き上がろうとすんな。俺が手伝う」
痛む体を賢人くんの手を借りて上半身だけ起こす。ベッドもそれに合わせて稼働させて貰い、椅子のような状態になる。体重を預けられるのはとても楽だった。
「皆んなは大丈夫?」
「あぁ、平気だ。誰も事故ってねぇよ……」
「そっか、なら良かった」
ちょっとだけ、明るく振る舞って見せた。
けれど賢人くんの表情は病室と同じで暗いまんま。話す声も元気さがほとんど感じられない。
なんだろう。私、死ぬの?
「私の容態は?」
「骨折はないけど軽いヒビが数箇所だってよ。夏休み明けと同時に復帰するのは難しそうだとか言ってたな」
「そっか……」
痛いのは嫌だけど一先ず命に別状がないなら運が良かったと言えるかも。店主さんの友達は三、四人も死んでるのを聞けば本当にラッキーだと思う。
それに何より賢人くんや木葉さんたちが巻き込まれなくて良かった。
静かな時間が過ぎる。
賢人くんは何やら落ち込んでいる様子で自分から会話を始めようとしない。
悲しんでる賢人くんは見たくないのでなんとか話題を探す。
気になることと言えば。
「私を跳ね飛ばした人はどうなったの?」
すると賢人くんの握り拳に力が込められた。
「今も逃げてる。あの信号無視野郎……見つけたらぶっ飛ばしてやる……!」
怒りの炎が燃え上がった。
語気も強くなったけれど私が求めていたのはそう言う元気じゃない。逆効果だったみたいだ。
このままでは賢人くんが病院の窓ガラスを破壊しかねない勢い。それは困る。
話題、話題、話題。
「あっ」
「どうした?どっか痛むのか?」
「………バイク」
賢人くんから受け継いだ大事な大事なバイクのその後。
賢人くんは「バイク」の単語を聞いて決まりが悪そうに視線を私から逸らした。
その仕草をされたら嫌でも分かっちゃう。
本当の本当に申し訳なさそうに顔を顰める賢人くんが私を見た。賢人くんは一切悪くないのに。
「フレームが完全にイカれた。もう修理は無理だ。新しいのを買い直すしかない」
私のバイク……賢人くんから託された大事なバイクだったのに。
ぶわっと目から涙が溢れてきた。
「ごめん……ごめんね……大事にしてくれるからって私に譲ってくれたのに……」
「泣くなよ……零は悪くない……そうだな、次は自分が乗りたいって思ったバイク買おうぜ、な?って言っても無理か。最初のバイクだもんな」
「うん……そう言えばお母さんは?」
派手な事故で入院までしているのにまさか高校生だけで手続きをしたとは思えない。少なからず両親に連絡が入っているはず。
もしそうならどれだけ叱られるだろう。
今までも怒られたことなんて数回しかないけれど、だからこそ怖い。お母さんが怒ると手の付けようがないほど暴走する時がある。
「父親もセットで来てる。ハッピーセットだ」
「頭がハッピーってこと?」
「かもな。俺は父親がどんな奴かは知らねぇけど」
「何か言われなかった?」
「もう零に近付くなって言われたよ」
「……そっか。賢人くんはそれに従うの?」
事故した時と同じような衝撃が頭を揺らすのと同時にやっぱりと言う感情もあった。
お母さんなら言いそうな言葉。
「さぁな、まだ考え中だ」
賢人くんは抑揚のない声で言う。木葉さんのクールな話し方とは違う。感情が完全に落ちてしまっているような声。
そんなアホみたいな言葉に従う訳ねぇだろ!と笑い飛ばして欲しかった。
折角好きと伝えて恋人同士になれたのに……。
「まあ零の母親が悪人だと思ってるのは俺だけだ。木葉や大作たちは普通の友達だと認識させたから安心しろ」
賢人くんは言い捨てるようにして椅子から立ち上がる。
考え中と言っていたから多分、会えなくなる訳じゃないと思う。
賢人くんがどんな判断をするのか不安だけど私は信じてみることにした。
「賢人くん」
「なんだ?」
「喧嘩はしないで。その……血の赤はあんまり似合ってない……」
この一件がきっかけでまた喧嘩に明け暮れるのは嫌だ。店主さんの彼女の気持ちが今、分かった気がする。
賢人くんは黙って体を回転。病室の出口に向かいながら言った。
「善処するよ……お大事な。後、母親には十分注意しろ」
右手を軽く振って去っていく賢人くん。
引き止めることは出来なかった。
正解がないことを考えて選ぶのは難しい。木葉さんが言っていたのはこれだ。
学校のテストはなんて簡単なんだろう。
「零ちゃん!起きたのね!無事で良かったぁ……本当に心配したのよ……」
賢人くんと入れ替わりで入ってきたお母さんが私に抱き付いてくる。
力加減がないから事故後の怪我と相まってすっごく痛い。
賢人くんが体を起こしてくれる時はまるで赤ちゃんを抱き抱えるような優しさがあったのに。
「痛い……」
「ごめんなさい。つい」
少し遅れてお父さんも入ってきた。
「本当に良かったわ……バイクなんかに乗って事故するなんて……」
バイクなんか……。
私の心が毛羽立つ。
「あの男に脅されて仕方なく乗ったんでしょ?ね?正直に言っていいのよ?零ちゃんがそんな馬鹿げたことするはずないものね!」
お母さんは決め付けた物言いをする。とても不快だ。
賢人くんは脅してまでバイクに乗せようとはしない。バイクに乗るのも馬鹿げたことなんかじゃない。
正直に言っていいのならこの機会に全部ぶちまけよう。
「違うよ。バイクは私が乗りたいから乗ったの。自分で決めたこと」
「……何言ってるの!そう言えって言われたの!?」
「違うって言ってるでしょ!そんなに私の言葉が信じられないの!?」
「何よその言葉遣いは!親に向かって……」
「今は言葉遣いのことなんかどうでも良いでしょ!」
話を変えようとするお母さんの逃げ道を塞ぐ。
大声を出すだけで体が痛む。それでも私はちゃんと自分の意思を伝えないといけない。
「二人共……ここは病院なんだからもっと静かに……」
お父さんは口論が激化しそうな私たちを宥めようとする。
「お母さん、知らないでしょ。バイクってね、とっても楽しい乗り物なんだよ。速くて気持ち良くて楽しいんだ」
「バイクなんて迷惑なだけよ。騒がしくて危険な運転ばっかり」
「それはバイクの所為じゃない。乗ってる人が悪いんだよ。ナイフは人を殺さないからそれと一緒」
賢人くんの受け売り丸パクリ。
でも実際にそうだ。物を扱うのは何時だって人間だから。
前まで私もお母さんと同じ思考だったと思うと途端に今までの教育方針が怖く思えてくる。
「……」
お母さんは言葉では説明出来ないくらい複雑な表情で黙り込んだ。
「私ね。薬剤師になりたくない」
「ちょっ!?何を!」
お母さんが分かりやすく慌てふためく。
お父さんは考えごとをしているようで黙っていながらもこちらから目を離さない。
「分かってるの!?今は学歴社会で男女平等なの!何になるつもりなの!?」
「絵を描きたい」
お母さんの顔が般若の顔にすり替わった。成り代わった。
「絵を描く?そんなお金になるかどうか分からない仕事を許す訳ないでしょ!良い?薬剤師になっておけば絶対に食いっぱぐれることはないそれに薬剤師になれるほどの頭があれば周りの印象が良くなるの、大学卒業しておかないと困ることになるの分かる?女なんだからしっかり考えなさい」
聞き取るのも難しいほどの早口で、鬼の形相をしたお母さんが私を怒涛の勢いで必死に責め立てる。
息が切れるまで急いで話さなくても私は聞くのに何を慌てているんだろう。
「考えたよ。考えた上で言ってるの」
「そんな……こと……!」
「男女平等って言ってるお母さんが一番劣等感を持ってるように見えるよ。女なんだからとか言うし……」
まるで男は何も考えなくて良いみたいな言い方だ。
「意外とそうでもないんだよ?高校辞めちゃった人も立派に働いてるのを知ってるし、高校卒業後に社長になる人だって居る」
木葉さんに関しては例に出して良いのか分からないくらい特殊な立場だけど。
「駄目なのは大学行けなかったからもう終わりだと思っちゃうことだよ。そう思っちゃったらきっと何も出来ない」
勿論、大学で資格を取らなきゃ就けない仕事はある。
けれどそれが全てじゃないと私は思う。
「それに大学行かないとも言ってないよ。私、美術系の大学に行きた——」
「ふざけないで!」
「!」
お母さんの声で体が跳ね、全身に一瞬の激痛が走る。
「お母さんは痛い思いをしたのに自分勝手で親不孝な娘……!」
右手を大きく振り上げるお母さん。
叩かれる。
それを覚悟して目をぎゅっと瞑った。
…………あれ?
いくら待ってもほっぺに衝撃がやってこない。てっきり平手打ちをされるものだと思っていた。
恐る恐る目を開けると、お父さんがお母さんの手を掴んで止めていた。
「今日はもう帰った方が良い。おかしいぞ?」
「……」
お母さんは荒々しくお父さんの手を振り解き、不機嫌さを隠さずに病室から出て行った。
「ごめんな。お父さんがあまりにも家庭に無関心過ぎた」
「ううん、良いよ。お母さんにあんまり干渉するなって言われてたの知ってるから。庇ってくれてありがとう」
「当然のことだ。それはともかくさっきの美大に行きたい話は本気か?」
「本気だよ」
真面目な顔から一変してお父さんの顔が優しい子犬のようになった。
口角を上げ、暖かい目で私の目を見つめる。
「分かった。そうしたいのなら応援する。母さんの説得は頑張ってみるよ」
「ありがとう」
「それと聞きたいんだが、信頼出来る同性の友達は居るか?母さんがあんな様子じゃ入院中の世話を任せるのは怖くてな」
信頼出来る同性の人と言えばカフェの真奈美さんか木葉さん。
真奈美さんは仕事があるから頼むなら木葉さんかな。
「うん、居るよ」
「明日、こちらからもお願いしたいから呼んでおいてくれないかな」
「分かった」
それだけ言ってお父さんも病室から出て行く。
この日、私はお母さんから人魂のような灯りを奪えた——気がする。
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