中編—福武零
第14話「出会い」
私は暗い暗い闇の世界を歩いている。
右も左も分からない。けど、かろうじて前後だけが分かる。
でもその前後もなんとなく。ただ、私の背後にお父さんとお母さんが居て、お母さんが人魂のような灯りで先の道を照らしているからそう思っているだけ。
お母さんが照らす道は真っ直ぐで絶対に曲がり道はなく、興味本位で道から外れようとすれば力で引き戻された。
だからお母さんに従わないのはずっと悪いことだと思っていた。
娯楽もやらず、出席停止レベルじゃないと基本学校は休まない。
全てを甘えだと言われて従ってきた。
けれど、限界値に達してしまった。
精神的に追い詰められた私はびちゃびちゃの制服で廊下を歩いている途中で視界が霞み、バランスを崩したところで誰かに受け止められた。
「濡れた体だと風邪引くわよ。保健室まで歩ける?」
私は小さく首を横に振る。
歩く気力さえなかった。
私を助けてくれたのが誰なのか分からないまま保健室に運ばれ、ジャージに着替えてやっとまともな意識が戻ってきた。
助けてくれたのは保健室の神代先生。髪も肌も真っ白で赤い目をした妖精みたいな先生。海外の大学を飛び級で卒業したみたいで、年齢もまだ二十二歳。
ベッドに座っていると、何故か保健室にあるコーヒーメーカーを使ってコーヒーを淹れてくれた。
「はい、召し上がれ。落ち着いた?」
「ありがとうございます。大分落ち着きました」
「廊下ではほんと幽霊でも出たかと思ったわよ。びしょ濡れで死んだ目をしているんだもの」
神代先生は椅子に座り、コーヒーを啜る。
それに倣って私も冷める前にコーヒーを飲んだ。夏だけれど保健室の中は冷房が効いていて、ホットコーヒーでも美味しく飲めた。
「ま、それだけ見れば不当な暴力を受けてるのは分かったわ。他に何か悩み事があれば言ってくれない?」
「でも……」
前に担任の先生に相談した時は何も進展しなかった。
相談と言うより突き放された。
「俺のクラスでいじめなんか起きる訳ない」の一点張りで詳しい話を聞き入れてすら貰えなかった。
今更……別の先生に言っても。
そんな感情が私の頭で渦巻く。
「福武ちゃんの担任はあー、あの先生。どうせまともに取り合って貰えなかったのね。全く、先生としての役割くらいちゃんと果たしなさいよ……」
……?
「私の名前……知ってるんですか?」
制服で学年が分かるようになっているけど名札は付けていない。保健室に来るのも神代先生と話すのもこれが初めてのはずだ。
「当たり前でしょ。全校生徒の顔と名前、担任まで全部把握してるわ」
先生は誇らしげにすることもなく、あっさりと言ってのける。
飛び級で医師免許と薬剤師と教員免許の資格を取ったのはただの噂ではないことが分かった。
「学校もアホよね。いじめをゼロにしますなんてバカげた目標掲げちゃって。実現する訳ないでしょ。いじめはダメですって言ってなくなるなら苦労しないわよ」
鼻で笑い、自分の勤める学校を猛烈に批判する。
神秘的な見た目からは想像出来ないくらい歯に衣着せぬ物言いは更に続く。
「大事なのはそれが起きた時に正しい対処をすることなのにね。まっ、学校批判はこれくらいにして、どう?話す気になった?保健室の先生としては精神面の保護もしたいんだけど」
外を見つめていた先生はパッと私の方を向いた。
どうして良いのか分からなくて俯く。
あ……私だ。
両手で持つカップの中にはまだコーヒーが残っていて、黒の世界に私がもう一人。
顔色が優れているとはとても言えない。今にも死にそうな顔。
「福武ちゃんが今してる我慢はあまり良くないと思うわ。授業中にトイレ行きたくなったら行くわよね?それと一緒よ」
「一緒……ですかね?」
「精神擦り減らして自殺か教室で垂れ流して社会的に死ぬか。ほらね、大体一緒」
うーん……一緒かなぁ……?
全然違う気がする。
「福武ちゃんが漏らしたら喜ぶ人が居るかもしれない」
「うぇっ!?それはどう言う意味ですか……」
理解出来ないけど体に悪寒が走る。
「物好きも居るってことよ。さて、気分は戻ってきた?」
「あっ……」
言われてみれば地獄の底まで堕ちていった気分が幾分が良くなっている気がした。
私は他の先生とは雰囲気が違う神代先生に淡い期待を寄せて相談してみることにした。
クラスの人にいじめられていること。悪口だけでは収まらず暴力も、今日のようにトイレで水を掛けられることもある。
そしてお母さんの期待を裏切ってしまうのが怖いこと。
主にその二つを先生に打ち明けた。先生は途中で話を遮るなんてことはせず、真剣に私の話を聞いてくれた。
「ふーん……福武ちゃん、勉強に囚われ過ぎよ」
「勉強に囚われ過ぎ……?」
それの何が悪いのだろう。
勉強さえ出来ればこの先安泰だとお母さんには教えられてきたのに。
「うん、そうね。今日はもう帰りましょ」
「えっ!?今からですか!?まだお昼前ですよ!?」
「親御さんには連絡したことにしてあげる。だから、今日はもう早退。はい、制服」
「乾いてる……なんで……」
びちゃびちゃで濡れ鼠になったのに下着含めて全部がカラっカラに乾いている。
パッと見、洗濯機はない。あったとしてもそんな直ぐには乾かない。
私が驚いて着替えている間に神代先生がコーヒーカップの後片付けをする。
説明は一切してくれない。
「なんで乾いたのか聞いても良いですか?」
「良いけど企業秘密」
「それ駄目って言ってるのと同じじゃないですか……」
経歴が経歴だから自分で発明したトンデモ製品を持ってるのかも?
教えてくれなさそうなので大人しく帰ることにする。
先生が持ってきてくれたリュックを背負い、保健室を出ようとすると、声を掛けられた。
「なんですか?」
「午後やることないなら河原に行って。そうしたらきっと面白い人に会えるわよ」
「は……はぁ……分かりました」
河原と言うと学校から少し歩いた場所にあるあそこのことだろう……だと思う。
大通りがあるから使ったことなんて一度もない。使っている人が居るのも聞いたことがない。
けれど、面白い人ってなんだろう?
先生と話している時は大丈夫だったのにいざ学校から抜け出してみると途端に緊張してきた。鼓動が早い。
サボったのバレないかな?お母さんにバレたらと思うと……凄い怖い。
人気のない河原を歩く。
初めてだけれど景色は大体想像通り。人も居なくて、自然を感じられるけど寂しさも同時に感じる場所。
落ち着く場所なのは分かる。
それでも先生がここに行けと案内した理由は分からない。揶揄うような先生ではないと思いたい。
「ん……?」
ふと前を見てみれば珍しい物がある。
バイクだ。
高校では『三ない運動』があるから乗っている人は見たことがないし、お母さんもバイクは悪い物だと言っていた。
けれど、珍しい物に変わりはない。
小走りで駆け寄り、ありとあらゆる方向から眺めている時、その人に出会った。
「おー!モーレツ!!」
「きゃあっ!?起きてたんですか!?」
その人は私と同じ制服を着ていて、パンツを覗いた不良さん。
真っ暗な世界で真っ直ぐな道を歩く私の前を横切ったのは同じクラスの山葉賢人くん。
賢人くんは私と違って自分の手で人魂を持ち、歩く道を照らしている。
それから楽しいをくれた賢人くんを好きになるのは自分でも驚くくらい短期間の出来事だった。
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