第8話「騒乱の教室」
テスト当日。
俺は河原にバイクを停めてから学校にやって来た。どいつもこいつも知らない顔ばっかりだ。一年の時の奴も顔は覚えているが人が多すぎて分からない。
徒党を組んで歩いている奴らの間を通り抜け、昇降口。
俺のクラスは二年三組。出席番号は後ろから三番目。下駄箱には丁寧に名前のシールが貼られていたので探す苦労はなかった。
乱暴にスニーカーを突っ込み、上履きに履き替える。
三階にある教室に向かって歩く。登校時間だからやたらに人が多い。生徒も先生も行き来している。
その間を潜り抜けるとお目当ての教室。中は生徒の会話でざわついている。
うわ……ドア開いてないのかよ。
夏だから開いてるのもんだと思っていたのに教室のドアは前も後ろも丁寧に閉められていた。クーラーを付けているらしい。
学校のドアはやけにうるさい。誰が入ろうと一瞬視線が集まる。
仕方ないので前のドアを開けて入る。
「「「………?」」」
教室中の視線が全て俺に集まってきた。注目の的になるのはやはり気分が良いものじゃない。今いるクラスの奴らは全員頭に疑問符を浮かべているように見える。
誰だ誰だとひそひそ話す声が聞こえる。
そんな視線を無視して教卓に置かれた名前と席がプリントされた紙を見る。俺の席は窓際の一番前。
リュックを机のフックに引っ掛け、どかっと大袈裟に腰掛ける。
「お、おい……あの席って……」「だよな……」
俺のことなど無視してさっきまでのざわめきを取り戻せば良いのに。
「俺に何か用か?」
聞こえるように言ってやれば視線は外れ、少しずつ俺が入る前の教室の雰囲気に戻る。それでも全員が全員気にしないと言うのは無理なようだ。
その証拠に一人だけ俺の席に歩み寄ってくる。ちっこくて可愛い太陽みたいな女。
「え……用あるけど?不良さん……なんで学校来てるの?」
「前に言ったろ。気が向いたら行くってな。気が向いた」
「そそそうじゃなくて。その席……」
「あぁ、ここが俺の席らしい。
学校に来たらまずは挨拶。挨拶する相手なんか零くらいしかいないけど。
「えぇぇぇぇ!!!?」
「なんだよ朝っぱらから騒がしい奴だな」
ただでさえ目立っているのにこれ以上目立つようなことしないで欲しい。ほら、後ろで男子どもが「あいつ……福武ちゃんとどんな関係なんだ……?」みたいな敵意剥き出しの目で見ている。
下の名前で呼んだのはプレミだったかもしれない。
「だってだって山葉くんと言えば万年学年一位で全国一位の……」
「そう、それが俺。だから学年二番手の名前は知ってた」
全国模試はともかく校内のテストだと毎回毎回俺の下に『福武零』の名前が引っ付いていた。珍しい苗字だから河原で名乗られた時に直ぐに察した。
零は相当衝撃的だったようでそのまま床にへたり込んだ。
「う……嘘ぉ……今までテスト何処で受けてたの?」
「保健室」
「今日はどんな風の吹き回しなの?」
強いて言うなら零の派手なリアクションを期待してた。強いて言わないなら顔を見たかった。どちらも正解のようで不正解。
「ま、けしかけたのは俺だ。今日とは限らないけどどうやって馬鹿どもに反抗するのか気になってな」
「それで心配して来てくれたの?」
「まあ……そんなところか」
改めて言わされると恥ずかしい。なんとか顔は赤くなっていないと思うが耳が熱い。髪の毛が長いからバレていないはず。はず。
このまま話しているとボロが出そうなので話題を切り替える。
「馬鹿どもの顔が分からない。どいつだ?」
「えーっとね……廊下側の一番後ろ」
零が他に聞こえないように顔を近付けて小声で話す。更にはずかしい状況になってしまった。
良い匂いがする。じゃなくて!
零と話しながら視線をそちらに移す。廊下側の一番後ろの席には明らかに女帝感を醸し出す女が座っていた。教卓のプリントと照らし合わせると。
「名前は
「知ってるの?」
「さっき席配置見た時に全員の名前覚えた」
「え……?」
人の席に座っている奴もいるようだが北条は自席に座っているらしい。
どんな奴かと思えば北条は全体的に細い。スカートから見える足は蹴ったら折れそうなくらいだ。しかも夏なのに長袖の制服を着ている。寒がりか?
「北条の席に集まってる取り巻きもか」
「派手なことをするのは北条さんだけかな」
「ふーん……」
零が喧嘩したら普通に勝ちそうだ。
さてさて、そうなると今日がその日だと女同士の派手な喧嘩が見られるかもな。楽しみ楽しみ。
面白くなってきた俺を零が流し目で見ていた。
「なんで笑ってるの?」
「喧嘩見れたら楽しみだと思ってな。今日やるのか?」
「分からない。あっちが仕掛けて来てくれたらかな?なるべく教室でも一人で居てみる」
零はそう言って自分の席に戻る。リュックの中からノートを取り出し、鉛筆を走らせている。絵を描き始めたようだ。テスト日なのに余裕だな。
それはそうとあっちが仕掛けてきたらやるつもりなのか。ちょっと前まで「どうすればいい?どうすればいい?」の嵐だったのに今では自分で考えて行動している。
ここ一週間でかなりの変わりようだ。
本から何か大事なことでも吸収したのだとすると本のパワーすげぇな。
そんなこんなで時間が過ぎて、テストが始まった。
俺は毎度毎度テストが始まる際に試験官の先生に驚かれた。
一つの科目が終わる度に張り詰めた糸はプツンと途切れ、友人同士の答え合わせが始まるのは見ていて面白かった。
そして、今回のテストは夏休み前で当日採点。
採点が終わるまで俺たちは教室で自習。見張りの先生は居ない。教室が騒がしくなるのは必然だった。
その中で零は黙々と絵を描いている。北条は取り巻きと共に零を下卑た笑みを浮かべ、見守っている。俺に見られているとも知らずにだ。
「やあやあ山葉君」
「ん?」
窓に背中をくっ付けて零の様子を見ていると、後ろの席から声を掛けられた。名前は。
「山野だったか」
「俺の名前知ってるんだ。ところでなーにしてんの?じーっと見つめちゃってさ」
山野は初対面の俺にも臆さず気さくに気安く話す。
初対面の時のかしこまった零と比べればこちらの方がよっぽど話しやすい。
「馬と鹿が猛獣に噛み付かれるシーンを見たくてな」
「どう言う意味?」
その時だ。俺の視線の先で北条たちが立ち上がり、零の席を囲んだ。
「ねぇねぇ奴隷ちゃん。今日はお絵描きしてるのー?何の絵描いてるかワタシにも教えてくれないかなぁ?」
超が付くほど腹が立つ猫撫で声で北条が零に詰め寄る。教室の空気は「あぁ、始まったよ」と言った様子。誰も止める気はないらしい。
まあ別に、お前らの手なんか借りる必要もないけど。
零は北条など存在しないかのようにガン無視で絵を描き続ける。
「何無視してんのよ!!」
無視された北条は無理やりノートを奪い去る。教室の空気が凍る音が聞こえた気がした。
椅子から立ち上がる零。
「返して」
酷く冷たい声だった。三度教室の雰囲気が変わる。
お人好しな零が真っ向から反抗しているのだ。
今日は何かが違う。誰もがそう感じていることだろう。
「返して?返して欲しいの?それな——」
「返さないと痛い目見るよ」
北条が言い終わる前に零が割り込んだ。真っ直ぐ冷めた目付きで北条を見ている。
「はぁ?何言っちゃってんの?痛い目だって!キャハハハハ!」
北条が笑えば取り巻き二人も笑い出し——乾いた音が教室に響いた。
零が頬を叩かれた。自分のノートで。
「っ……!」
それを見た男子の一人、あの席は……川崎が悔しそうに歯噛みしながら拳を強く握り締めていた。助けたいのなら助ければ良いのにと思う。
しかし、次の瞬間——ゴッ!と鈍い音が鳴った。
「痛っ……!」
椅子と机をずらし、派手な音を立てながらノートと北条が床に転がった。心底痛そうに頬を手で押さえている。
ははっ、グーで殴られてやんの!ざまぁねぇな!
教室が一気に喧騒に包まれる。
「何すんのよ!この奴隷が!!」
「うああああああ!」
三対一の大喧嘩が始まった。周りの傍観者は瞬く間に焦り始める。
「やばくね?やばくね?」「これ……先生呼んだ方が良いんじゃないの?」「誰か呼び行けよ」「どうすんだよ……これ」
面白くなってきたぞー!良いぞー!行け行けー!ぶん殴れ!蹴り飛ばせ!
本当は声に出して零を応援したいところだが、流石に自重する。三対一も気になるけど俺が加勢する訳にも行かないしな……ってなんだあいつ。
教室の後方で繰り広げられる取っ組み合いを見ていた川崎が急ぎ足で教室前方のドアに向かうので、俺も椅子から立ち、川崎の前を塞ぐ。
「おい!そこを退けよ!先生呼びに行かなくちゃいけないんだよ!」
「今、あいつが頑張ってんだ。水差すなよ。学生同士のよくある喧嘩だろ」
「それでも……!」
川崎が大人しく引き下がらないので言ってやる。
「それにお前ら見て見ぬ振りは得意だろ?」
「そ……それは……」
図星でしかないだろうな。今までずっと辛い零のことを見て見ぬ振りしてたんだから。
だが、俺は別に川崎たちが悪いとは思わない。悪いのは十中八九北条だ。
いじめから誰かを助けて主犯が退学するとかなら誰でも手を差し伸べるのにそうじゃないからだ。次の標的になりたくないと思うのを非難はしない。
「……先生に言ってやる!」
そんなことをしている間に決着が付いたようだ。ガラガラと後方のドアが開く音がして、馬鹿三人組が尻尾を巻いて逃げた。
何が先生に言ってやるだ。自分から仕掛けておいて情けない奴らだな。
喧嘩の所為で一部の椅子と机はぐちゃぐちゃ。その傍らでは唇を切って血を流した零が息を切らしながら仰向けに寝転がっている。
クラスの奴らは茫然自失。
「はぁ……はぁ……」
もう川崎を足止めする必要はない。
俺は何処かスッキリした顔をしている零に歩み寄る。
「私……やれたかな……」
「姉貴なら満点を付けてくれる」
「えへへ、じゃあ報告しに行かなきゃ……」
「その前に保健室、それと多分説教だぞ。立てるか?」
「うーん…………無理かも」
長い長い間を空けてから絞り出すように声を出し、笑った。
手を差し出し、零が掴んだのを確認してから引き起こす。その一連の流れを教室の奴らがガン見している。
握った零の手は熱く、ふにふにで柔らかい。教室の視線の中心で手を繋いでいると思うと、途端に心臓の鼓動が速くなる。
「あ、ありがと」
「ど、どーも?」
喧嘩後でテンションが上がっていたのか、零も今になって顔を赤くしている。だから俺は頑張って平静を装いながら返事をした。
「あ、あっ、教えてくれた本、面白かったよ」
一緒に教室を出ながら照れ隠しに零がそんなことを言う。
絶対に今言うことじゃない。しかし、勧めた本を面白いと言ってくれるのは純粋に嬉しかった。
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