第7話「波打つ心」


 映画を見て、昼食を食べ、遊び尽くした俺と零は河原をバイク二人乗りで抜け、大通りを歩いていた。バイクを押して歩くのは骨が折れる。

 

 「これからどうするつもりだ?」

 

 ご機嫌で、満足感に包まれている零に聞く。

 解決法も未だに定まっていない状態だ。復帰は難しいだろう。

 暗い話題を出したのに零は落ち込まず、明るい表情で言った。


 「もう少し色々してみようかな。でも、テストはサボれない」

 

 サボる甘さを知ってしまうとどうしても行かなくてはならない時に面倒臭くなってしまうのは良く分かる。テストは確か一週間後。夏休み前最後の期末テストだ。

 

 「そうか。今日は楽しかったか?」

 「今日?それはもっちろん!映画はとっても面白かった。なんで今まであれに触れてこなかったんだろう……そう思うくらいには。でもハンバーガーは皆んなが言うほどじゃなかったかも」

 「それも経験の内さ」

 「ふふ、そうだね。本当に……楽しい一日だったよ」


 零は遠く沈む夕焼けに目を向ける。口の両端は上を向いていて、楽しかったと言うのが耳だけじゃなく目からも入り込んでくる。

 まるで最初で最後のような雰囲気を醸し出していた。


 「これからもっと楽しくなる」

 「そうかな?」

 「きっとそうだ。多分そうだ。恐らくそうなる」

 「その言い方だとどんどん下がってるような気がするんだけど!?」

 

 夕日を見ていた零の首が勢いよく俺の方向に回った。リアクションが大きいと見てて楽しいからからかいたくなる。表情もコロコロ変わる。

 それはもう楽しいだろう。今まで禁止されてきたものをこれから解放出来るのだ。

 何も知らない子どもが触れても大喜びする娯楽。成長した零ならもっと深く受け止められると思う。何も深く受け止める必要はないのだが。

 

 「娯楽の名の通り、せいぜい楽しむんだな」

 

 捨て台詞と共にバイクに跨る。

 

 「待って待って!ちょっとやりたいことがあるの!」


 零に引き止められてヘルメットを被らずにハンドルに引っ掛ける。

 やりたいことってなんだ。もう帰るんだぞ。


 「じゃじゃーん!スマホー!」

 「……じゃあな」

 「違う違う!ひけらかしたいんじゃなくて!」


 違うのか。俺はてっきり新しめな機種の自慢話を始めるのかと思った。

 それよりもあんな母親で携帯を持っていることが驚きだ。フィルタリングみたいなのをガッチガチに掛けられてそうだ。


 「連絡先交換しよ?」

 「母親厳しいのに男の連絡先なんて大丈夫なのか?」

 「ふっふっふ……これはね真奈美さんから貰ったサブ機だから大丈夫なのだ!」

 

 零は自信満々に胸を張る。それに応じてシャツの張りも良くなる。

 ついその部分に視線が吸い寄せられそうになり、俺はパッと視線を零の顔に方向転換させ、思考を切り替える。

 真奈美さん……?あぁ、姉貴のことか。一瞬誰かと思った。


 「じゃあ貸せ。登録する」

 「あぁ!?」


 強引に零から携帯を奪い取り、トークアプリの連絡先にお互いを登録する。

 これで何時でも連絡が取れる。そう思うと安心する……とは言っても今の零が自殺とか過激なことに走るとは思わないけど。

 

 「これで登録完了だ。なんか困ったことがあったら連絡してくれ」

 「分かった。じゃあ今日の夜に連絡するね」


 大事そうに携帯を胸に抱えていたずらっぽく笑う零。相変わらず可愛さの破壊力が凄い。夕日もいい感じのムード出しやがって。

 にしても零の指す夜がどれくらいなのかが分からない。寝てるかもしれないな。

 でも、こんな楽しみにしてるのにそれを奪うのは酷だ。明日は日曜、今日は夜更かしするとしよう。

 今度こそヘルメットを被り、ギアをローに切り替える。

 すると零がヘルメット越しでも聞こえる音量で言った。


 「今日はありがとう。本当に楽しかった!」

 「あぁ、またな」


 俺も笑って返し、シールドを下げてバイクを発進させる。

 走り出してから気付く。笑ってはみたもののヘルメットを被った状態で伝わっただろうか。

 声が低いのは仕方ないし、声色は上げたつもりだが口が見えないからそれでもしも目が笑っていなかったら怖い奴だと思われていそうだ。

 そこまで気にする必要もないかもしれない。

 恐らく俺がぶっきら棒に別れの言葉を言ったとしても零の態度は変わらない。そう言うタイプだ。

 今日は濃い一日だった。

 同年代の女子と一緒に映画を見て、ハンバーガーを齧りながら感想を言い合うなんて初めてだ。

 まともに友達が出来たのも高校に入ってからだった。しかも別の学校。

 マスターたちとも大作たちとも学校に行かず好き勝手やってたから出会えた。その分、当たり前だけど高校での関係性は皆無だ。

 零が同じ高校で初めての友達になる。

 高校か……零がテストには行かなくちゃとか言ってたな。

 夕暮れ、オレンジ色の光に照らされた道をバイクで走る。走る。やがて道は我が家に繋がる。

 と、その前に方向を変えて幼馴染の家に向かう。家の電気は点いていた。

 その幼馴染の家のガレージにバイクを停める。

 そのまま家に乗って帰ってバレたら父親の火山が大噴火を起こす為、ここに置かせてもらっているのだ。

 バイクを置き、そそくさと帰ろうとしたその時——家の扉が開いた。


 「久しぶりの挨拶くらいないの?」

 「居たのか。てっきり居ないもんだと」

 「定時でも土曜は普通に休日でしょ」

 「こっちは土曜授業があったりするんだけどな」

 「まともに行ってない人に言われてもね」


 相変わらず淡々と毒を吐く奴だ。だが、悪意は感じられない。

 家から出てきたのは幼馴染の木葉このは。すらっとした体型が特徴的で身長が高め。かっこよさを感じさせる美人な顔立ちで女子にモテるタイプ。性格も豪胆でストレートな物言いが多い。

 一言で表するならクールビューティー。

 

 「暑苦しい格好。上着脱いだら?」

 「そうする前にお前が声掛けてきたんじゃないか。俺は帰るぞ」


 さっさと冷房の効いた部屋で夕飯を食べるのだ。


 「待ってて」

 「なんで?」

 「良いから黙って待って」


 木葉に睨まれた。おお怖い。か弱いか弱い蛙ちゃんなら今の一瞬で動きが固まってしまいそうな凄みがある。

 逃げ帰ると後が怖い。それに逃げ帰る理由もないので俺は木葉を待つことにした。

 ぼーっと待っていると玄関が開く音とカランコロンと氷が揺れる音が聞こえた。


 「麦茶。家の前で脱水症状は困る」

 「心配どーも」

 

 ビールジョッキみたいなデカいコップを受け取り、玄関前に腰を下ろす。

 木葉も自分用の小さなコップを持って俺の隣に座った。足が長い。


 「元気そうで安心した」

 「木葉もな。生活に支障は……なさそうだな」


 木葉の両親は病気で中学の時に死んでいる。今は祖父母が親の代わり。なんでも祖父は車会社の社長らしく金には困らないらしい。

 なのに木葉は祖父母の反対を押し切り、定時制に通いながら昼間は色々なバイトをしている。

 コンビニ、飲食店、日雇いの引っ越しや力仕事……本当に色々やっている。

 

 「普通の高校でも良かったんじゃないか?どうせ祖父さんの会社継ぐんだろ」


 前々から木葉が継ぐことは決まっていたと聞いている。それならさっさと三年で卒業してしまえば良いのにと思うのだが。

 

 「だからこそだよ」

 「だからこそ?」


 木葉は俺の質問に抑揚もなく、単調な声で応じる。


 「働かされる側の気持ちが分からない人に社長になられたら嫌だと思ってね。期間工は出来ないから他で代用してるだけ。役に立つかはともかく、上でふんぞり返ってるだけの女王様は要らない」

 「一度社会に出てみるって案は?」

 「お祖父様がさっさと辞めたいらしいから」


 祖父さんの我儘だったのか。だけど確かに木葉に任せるのは英断だな。

 きっと木葉なら凄腕敏腕社長になるに違いない。学校で測れる学力は普通くらいだが、何と言っても頭が切れる。先見の明も鋭い。

 精神の強さには憧れさえする。


 「木葉は変わらないな」

 「賢人は変わった。前は進んで校則を破るような人間じゃなかった」

 

 俺の方など見もせず、夜空を見上げながら木葉が言う。


 「勉強一辺倒。堅物。真面目。秀才。天才。正直イカれてた」

 「イカれてるは言い過ぎだろ」

 「でも今は楽しそう。人間らしくて良い」


 俺の発言は無視かよ。

 人間らしさを褒められたらなんて返せば良いのやら。

 分からないので誤魔化すように麦茶を飲んだ。氷が溶けてきて若干薄くなり始めている。

 

 「辛さと悲しみからは抜け出せたみたいだね」

 

 そこで初めて木葉が俺の方を向いた。口を閉じた状態で笑顔を作っている。笑い方までクールだ。

 

 「一年も掛かった」

 「一年だけで済んだの間違いだ。賢人は良く頑張ったよ。もっと自分を褒めると良い」

 「あの時の言葉。今になって沁みてくる」

 「気付けたのならそれも進歩だ」

 

 木葉に全て見透かされていたと思うと途端に情けなくなってきた。学校においての勉強とは何なのか疑いたくなる。

 俺は残りの麦茶を飲み干し、ジョッキを木葉に返す。


 「そろそろ帰る。腹減った」

 「もう八時近いしね。それじゃおやすみ」

 「あぁ、心配してくれてありがとな」

 「わたしは賢人の味方だ。何時でも頼って貰って構わない」


 たかだか近所に住んでいたと言うだけで一体何が木葉を駆り立てているのか不明だ。

 遊んでいた記憶はあるが、味方と言われるほどのことをした覚えはない。逆に俺は一番荒んでいた時期に酷いことを言ってしまった。

 

 「あれが器のデカさってやつか……あ?」


 辿り着いた家からは光が漏れている。母さんだろうか。

 嫌な予感が体を駆け巡る。家に入りたくない。全身が拒否するような感覚に襲われる。

 ドアの取っ手を引くと、ガチャリと音を立てて玄関が開く。家を出る時は鍵を閉めたのに。

 

 「遅かったじゃないか」

 「っ!?」


 威圧的な声。絶対に聞き間違えない。親父だ。


 「帰ってきたのにただいまの一つも言わないのかお前は」

 「親父たちがいっつも居ないからな。癖だよ」


 親父は医者で、母さんは研究職。どちらも泊まり込みで仕事をしたりするから基本は家に居ない。母さんは帰って来れる時は頻繁に家に戻ってくるが、親父は本当に家に顔を出さない。


 「こんな時間まで何をしてた?遊んでいたのか」

 「だったら……なんだよ」

 「一週間後のテストは大丈夫なのか?もしも落ちるようなら遊ぶなど許さん」

 「平気だよ」

 「なら勝手にしろ。あいつの二の舞になっても困るからな」


 親父はそれだけを言い捨てて自分の部屋に入って行った。不機嫌そうな騒がしい足音が俺すらも不機嫌にさせる。

 腹が立つ。まるで自分の子どもをモノのように見てやがる。

 心を渦巻く黒い感情。俺は乱雑に冷蔵庫を開けて、コンビニ弁当を取り出す。

 レンジの蓋を閉じる時も思わず力が入ってしまい、レンジが揺れた。

 激しい音が台所に響く。虚しい音。

 零と木葉のおかげで楽しかった一日が一転——気分が最下層まで落ち、怒りは上の上まで上昇する。

 二階の自分の部屋で動画を見ながらご飯を掻き込む。味がしない。楽しくない。

 食べ終わった直後、ベッドに体を投げ出した。食後直ぐに横になると良くないと聞くが今はそんなことどうでもいい。

 寝てしまいたい。

 俺の頭はそれだけに支配されていく。

 俺しかいない家は好きだ。何をしても邪魔されないし、目を気にすることもない。

 だが、親父が居る家は嫌いだ。大っ嫌いだ。

 

 「クソが……!」


 苛立ちを拳に集めてマットレスを叩く。その拍子に跳ねた携帯の画面が明かりを放つ。通知だ。

 

 「零か……すっかり忘れてた」


 そう言えば後で連絡をすると言っていた。怒りで記憶が吹っ飛んでいたようだ。

 アプリを開くとこんなメッセージが届いていた。


 『おすすめのライトノベルを教えて』


 娯楽に疎い零がラノベを知っているとは意外だ。おすすめの小説を教えてくれと頼まれるかと思っていた。

 幸い、ラノベもそうじゃないのも読むから勧めることは出来る。


 『ジャンルは?』


 ラノベにも幾つか種類がある。ファンタジーやSF、旅、ラブコメ……ギャグかシリアスかでも選択は変わってくる。

 俺はベッドから体を起こし、本棚の前に立った。


 『面白いやつ』


 そこへ飛んできたのは抽象的な答え。ジャンルの意味を辞書で調べて欲しい。

 本の背表紙を指でなぞりながら考える。

 面白いを笑えると解釈するのなら絶対に外れなさそうなのがある。その一巻を手に取り、写真を撮った。ラノベにしてはタイトルが短い方ではあるが、写真の方が分かりやすいだろう。

 所謂異世界転生。しかし、内容はギャグに全振りした珍しい作品でアニメも作られている。

 

 『ありがとう!!読んでみる!!』

 『うい』


 画面の向こう側で喜んでいそうな零を想像しながら適当な返事。

 それに反して気が楽になる俺が居た。

 大山、零、木葉の三人に「楽しそう」と言われている。相談役側である俺も思いの外、零の存在に救われているかもしれない。

 明るくて、優しくて、太陽みたいな奴。

 周りが楽しいと自分も楽しくなると言うのがなんとなく分かった気がする。

 それとも零が楽しそうだから俺も楽しいのかも……それだとまるで俺が零を好きみたいだな。

 いや、嫌いじゃないけど。恋愛的に好きかと言われると……良く分からん。

 あっちはどう思ってるのだろう。初対面でこんだけ世話焼いていると意外と気色悪いとか思われてる可能性も——零の性格ならないな。

 なんにせよ、零が元気ならそれで良い。もう二度と同じ思いはしたくない。

 

 「テストか」


 部屋で一人、呟いた。

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