第4話「パンドラの箱入り娘」


 「あれ……おかしいな……涙出てきちゃった……」


 珈琲を飲みながら話を聞いていたら福武の目から一筋の涙が滴り落ちた。泣き顔を見られるのが恥ずかしいらしく手で涙を拭うが、一筋だった涙は勢いを増していく。

 一本の線から始まった涙は滝のように溢れ出る。

 それに気付いた姉貴が入り口にぶら下げていた『営業中』の看板を『準備中』にひっくり返してくれる。

 続いてマスターも頼んでいない珈琲を運んでくる。

 

 「泣いて良いよ。お客さん入って来ないからねぇ。砂糖はいる?」

 「……」


 福武はコクリと頭を下げた。マスターは笑顔で砂糖とミルクを混ぜ合わせる。

 話しているうちに理性でも抑え切れないほどの膨大な感情が出てきてしまったのだろう。

 福武の事情は大体俺の想像通りだった。

 見るからにお人好しな性格は入学当初から優しさを周りに振り撒いていたようでファーストコンタクトは大成功。

 しかし、それも段々厄介がられるようになったらしくハブられるようになったとのこと。主に同性から。

 主犯たちに逆らえない所為で女子友達はゼロ……代わりに男子からの人気は未だに変わってないと言っていた。

 この可愛らしい見た目で話を聞く限りでは馬鹿が付くほどお人好し。

 健全な高校生男子たちが嫌うはずがない。恐らくクラスの男子全員が「福武ちゃん、俺のこと好きなんじゃね?」と思っているんじゃなかろうか。

 当の本人は自分の顔が良いとは微塵も思っていないようだが。

 そんな男子人気もあって友達が居ない訳じゃないが、まあずっと男子に引っ付いてるのも無理な話だ。その隙を突かれて色々嫌がらせされている。

 後は親の勉強への期待と板挟みになり、休むのすら二の足を踏んでいた。と言うのが事の顛末だ。

 

 「……」


 泣きじゃくる福武を見ながらおかわりした珈琲を飲む。

 想像通りとは言っても結構重めな雰囲気だ。福武が勝手に重く考え過ぎてるとも言える。

 まだ数え年で十七年しか生きてないから重く考えるのは仕方ない。

 寧ろそこまで抱え込んで、よくも性格が拗れなかったもんだ。

 

 「大学……行けなくなったらどうしよう……」

 

 涙が収まってきた福武がか細い声で呟いた。世界の終わりを訴えるかのように。

 

 ……同じだな。


 カツ丼食べてあんな明るい笑顔を見せられるのに、死ぬ程下らないことで泣いている。不憫だ。実に不憫だ。

 相談役を買って出たのは俺だ。なら、状況の改善を手伝うくらいはしないといけない気がする。


 ——『ケントに恋をしているから』


 大作の発言がフラッシュバックした。

 否、決して下心がある訳じゃない。じゃない。

 百歩譲ってあっちから来たら考えるかもしれないかもしれない……いやいや!そんな邪な理由で人助けなんか出来るか!


 「どうしたの?首振ってるけど……大学は大丈夫ってこと?」

 「えっ?ん?んーっと……」


 しまった。気付かぬうちに頭ん中と外側がシンクロしてたらしい。

 大学の話にここから繋げるとすると……思い出せ……一年位前のことを思い出せ。

 

 「大学行かないくらいで人生終わらねぇから大丈夫ってこと」

 

 一番初めに凝り固まった認識を取り除かなきゃいけないのはこの辺だろう。

 

 「でも学歴がないと」

 「駄目。か?」

 「うん」

 「マスター、珈琲おかわりー!」

 「はいはい、今行くよ」


 これから長くなりそうなので珈琲のおかわりを貰うことにする。

 間も無くしてマスターがサイフォンごと持ってきた。福武は変なタイミングの思わぬにびっくりしている。


 「マスターは何時からこの店やってるんでしたっけ」


 おかわりを貰うついでにマスターに訊ねる。

 マスターは顎に手を添えて考え込みながら言葉を繋いでいく。


 「うーん……何時からだったろうねぇ……確か高校の時にこの店を訪れて、前のマスターに卒業と同時に雇って貰ったのは覚えているけれどねぇ……」

 「こうして喫茶店やってて楽しいっすか?」

 「それは勿論。大変なこともあるけれど、今みたいにお客さんが様々な表情で珈琲を嗜んでくれるのは何よりの喜びだよ」

 

 俺たちの話は聞こえてたと思うけど、まさか嘘で慰めてはいないだろう。恐らくマスターの本心だ。

 実際、マスターが仕事に嫌そうな顔してるのなんか見たことない。メガネの下から覗く顔はいつもニコニコだ。気味が悪いくらいに。

 

 「何か失礼なこと考えていないかい?」

 「いやー別にー」


 そして何故か心を読んでくるのも気味が悪い。


 「アタシは高校中退で中卒だけど楽しく生きてるから心配することないってー!マスターがぽっくり逝っちまったら店継いで雇ってやるよー!」

 「姉貴は喋らなければ和風美人なのになぁ……」


 店員モードの時と喋らなければ超美人の癖に、中身はスケバンだからな。残念美人とはこれのことを言うのだと思う。


 「アタシは中年親父とスケベな少年を悩殺する客寄せパンダも兼ねてるのさ。んーっま!」

 「おええええ!」

 「おいこらクソガキ!」

 

 声を荒げても殴りかかってはこない。こんな言い合いは日常茶飯事である。

 そんな姉貴の素を知っているからこそのミスマッチ感が凄い。心臓に悪いからやめて欲しい。寒暖差で風邪ひくぞ。


 「後はダルい客用の用心棒な」

 「そうそうそう」

 

 俺らの会話を聞いている福武は目を見開き、心底驚いているようだった。中卒の奴がへらへらしながら働いているのが信じられないのだろう。

 俺も最初はそう思った。

 そこで福武が空っぽになったマグカップに触れながら姉貴を見る。


 「なんで学校辞めちゃったんですか?」

 「なんか彼氏が頭良い人が好きって言うから二年の時に真面目に勉強始めたんだ。そしたらクラスの奴らが今更?みたいな雰囲気で邪魔してきてよー」

 

 軽い調子で話す姉貴。昨日の晩御飯を話すくらいの軽さを感じる。

 姉貴が居ると勝手に雰囲気が軽くなってくれる。この場合は空気が読めてないと言うべきかも知れない。


 「はい。それから?」

 「ぶん殴っちった!」

 「……………はい?殴っ…え?」


 気になった答えをいざ聞いた福武が固まった。ピキーンと言う効果音が俺にだけ聞こえてくる。

 頭の演算機能が停止した福武に気付かないまま姉貴が意気揚々と話を続ける。


 「そしたらそいつの歯が折っかけちまってよー。センコーとかからめちゃめちゃに怒られたんだよね。何言われたかさっぱり覚えてないんだけど」

 「えぇ……?」


 福武の姉貴を見る目に恐怖が宿り始めた。

 心を休ませる為に連れて来たのになんてことをしてくれるんだ。

 しかし、この話を聞くのは二度目だけど本当に滑稽過ぎて面白い。姉貴に喧嘩売るとか馬鹿でしかない。

 姉貴は確かに手が出る。喧嘩も強い。

 だが、余程のことじゃない限り暴力は使わないのを知っている。名の知らぬそいつらは堪忍袋の尾が切れるまでちょっかいをかけ続けたのだろう。

 

 「なんかアタシが一方的に悪いみたいになってさ。いやまあ悪いっちゃ悪いけど」

 「触らぬ神に祟りなしってやつだな」

 「そうそれ!意味は分かんねーけど多分あってる。アタシは神だ!」


 ここまで開き直ってるといっそ清々しい。


 「いくら言っても聞いてくんねーし、謝らないと退学だぞ!とか言われたから辞めてやった!あっはっはははは!」

 

 一人で盛り上がる姉貴。

 唖然として開いた口が塞がらない福武。

 頭を抱えるマスター。

 三者三様の反応を見ながら飲むマスターの珈琲。苦味の後にほんのりと来る酸味のバランスが俺の好みだ。酸味が強過ぎなくて良い。

 

 「じゃ、じゃあ……彼氏さんとは……?」


 珈琲に加えるミルクみたいな福武の声が震えている。動揺し過ぎだ。

 

 「ん?今も続いてるぞ?なんかその話したら——『分かった。将来は俺が稼ぐ。だから、せめて逮捕はやめてくれ』とか言われたな」

 「うわぁ……」

 「甲斐性に溢れた彼氏で良かったな」


 彼氏さんの苦労が想像出来る。彼氏と言う手綱がなかったら町を彷徨う放し飼いの猛獣だぞ。

 

 「要するに気に入らない奴はぶん殴れってことだ!そうすりゃアンタに馬鹿げたことする奴は居なくなる!」

 「一理あるけど今は頭の隅に置いといて良いぞ。姉貴は例外だからな」


 そんな獣みたいな思考をした人間がそこら中に居たら困る。

 正当防衛はあれども降りかかる厄災全部を暴力で解決するのも無理がある。それに福武には無理そうな解決策だ。

 すると勢いに任せた結論を導き出した姉貴に続いてマスターが「そうですね」と話を進める。

 

 「大人でも分からないことは沢山ありますからね。高校生が不安を抱えて思い悩むのは当然でしょう」

 「大人でもそうなんですか?」

 「えぇ、そうですよ。だからこそ考えるのが大事だと思います。自分一人で考えたり、誰かに頼ってみたり、千差万別の方法を用いて考える。そうしたら何かが見えてくるかも知れませんね」

 「自分で……考える……」


 その発想はなかったとでも言いたげな福武の表情。

 まだ福武とは会って二日。それとなく為人は分かったが、違和感があった。

 俺やマスター、姉貴、定食屋の店長たちの発言一つ一つが寝耳に水のような反応をするのだ。 

 今もそうだ。自分で考えるなんて発想がない高校生が居るだろうか。

 学校での出来事も決してそいつらを悪く言うことがない。ただ、自分が辛いと言うだけだ。普通は悪態の一つや二つあるだろう。

 俺が黙って考え込んでいるとマスターが沈黙を破った。


 「だけどね。高校生くらいの子どもにはもっと笑っていて欲しいとも思うねぇ」

 「マスターの言う通りだ!もっと笑え!可愛い顔が台無しだぞ!悩みなんて投げ捨てちゃえ!」

 「いや、投げ捨てるのはどうだろう?」

 「ふふっ……あはは!」


 そこから始まったマスターと姉貴のコントじみたやり取りを見て福武が笑い出す。

 

 「なんだか微笑ましいやり取りに笑っちゃいました」

 「それだそれ!女は愛嬌!それさえあればなんとかなる」

 「少しでも元気が出たのならこちらとしても嬉しい限りですね」

 「ほらな?高卒でも中卒でもちゃんと働いて、生きてるだろ?まだ人生諦めるには早過ぎるぞ」


 俺はまだ社会に出たことないから偉そうなことは言えない。だが、なんか姉貴を見ていると大事なのは勉強よりコミュ力だと思えてくる。

 実際にバイト先でも同じシフトの奴が何かいいたげにしてるのに何も言わないの超迷惑だ。忙しい時じゃなければ吃ってもいいからせめて意思疎通は出来て欲しい。

 

 「そっか……そうなんだ。なんだか凄いホッとした」

 「悩んでる時は楽しむんだ。ゲームとか映画とか好きなものあるんだろー?」

 

 こう言う時は姉貴の明るさが役に立つ。河原でも絵を描いていたし、映画などから絵の発想を増やすのも良いだろう。

 と、その時。福武の口からとんでもない事実が飛び出した。

 

 

 「それが……私、映画もゲームも漫画も一度もまともに見たことがないんです」



 ……。

 ………。

 …………。

 俺を含めた福武以外の三人が凍り付いた。店内BGMが無情に響く。あまりの静けさに冷房の叫び声まで耳に入ってくる。

 映画も漫画も見たことがなくてゲームもしたことがない?嘘だろ?

 祖父さん世代ならまだ分かる。だけど俺らの世代だと逆に運動する場所なさ過ぎてインドアな娯楽の方が普通になってきているのに。

 ここを詰めたら違和感の正体が分かるかも知れない。


 「漫画とか本くらい家にあったりしないのか?」

 「あるのは勉強用の参考書だけだよ?」

 「うへぇ……そんな家だったらアタシは家出するぞ……」

 

 姉貴がそれを聞いただけで猛烈な拒否反応を見せる。

 これだけでも異常と言えば異常だが、まだ足りない。この口振りではゲームも家にないのだろう。

 ならば次に聞くべきは。


 「テレビがあれば映画の地上波放送くらいやってるだろ?」

 「テレビもないよ?あるのは新聞だけかな?あんまり読んだことないんだけどね」

 

 姉貴とマスターは絶句。開いた口が塞がらない様子だ。

 これもまた福武は当然のような顔。自分の境遇に疑いなどこれっぽっちも抱いていない。


 「音楽は?」

 「クラシックだけ」


 安易に予想出来る答えだった。


 「お、おいガキンチョ……なんか変じゃないか?」

 「変と言うか異常だな。タイムトラベラーじゃあるまいし」

 「たいむとら……なんだって?」

 「後で自分で調べてくれ。ただの例え話だ」


 ゲームや漫画は疎かテレビや本も家に置かれていない。音楽はクラシックのみ。

 福武本人は学業優秀で、性格は優しいを通り越して都合が良い。ただし自主性は一切感じられない。 

 言い換えれば『欲』がない。なさ過ぎる。これは異常だ。


 「福武、父親と母親のどっちと過ごした時間が長い?」

 「お母さんだけど……それがどうかしたの?」

 「もしかするとこんなことを言われたりしてないか?」


 この異常事態のきっかけは恐らく親。それか親に近しい人物。

 あくまで予想だ。正直なところ、これから言うことは否定して欲しい。


 「ゲームや漫画は教育に悪いから絶対にやっちゃダメ。悪い人が一杯居るからお母さんの言葉だけを信じなさい……みたいな内容」

 「えっ!?なんで分かるの!?」


 最悪の答えが返ってきてしまった。

 こうなったらしょうがない。詰めるところまで詰めてやろう。


 「もう一つ当ててやろうか?みんな仲良く、他人に嫌なことをしてはいけない」


 または人様に迷惑をかけてはいけない。

 福武の顔を見てみれば驚きを隠さず目を丸くしている。どうやら正解らしい。

 つまり、福武は箱入り娘と言うわけだ。

 しかし、普通の箱じゃない。

 それは母親の希望、願望だけが詰め込まれたパンドラの箱入り娘。泥から出来た哀れな操り人形だ。

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