第3話「休息の時間」


 今日も今日とてバイクで河原にやってくる。

 別にここに来る特別な意味はない。一種のルーティーンに近い感覚になっている。

 バイトがある日はここで午前中の時間を使って、昼にあの定食屋で食べてからバイトに行くのが一連の流れ。

 バイクを停め、土手に座る。

 リュックの中から読みかけの推理小説を取り出しながら今日の予定を考える。

 俺は毎回行き当たりばったりだ。計画なんてわざわざ考えず、その日にやりたいことをその場で考えて実行する。

 この時間にこれ!次にこれ!と決めるのは堅苦しくて好きじゃない。時間を気にせずのんびりするのが楽しいからだ。

 そんな風に平日の朝を過ごそうとすると、珍しく足音が後ろから聞こえてきた。

 足を擦っていないらしく靴底がアスファルトに当たる音がやけに響く。俺の良く知るローファーの音。


 「おはよう、不良さんっ」

 

 朝の挨拶をしながら俺の横に座ってきたのは——制服を着た福武だった。

 

 「お前もサボりか不良女」

 「お前じゃない!それにサボるように勧めたのは不良さんじゃん!」

 「そうだったな。その様子だと良い感じに話を取り付けてきたのか」


 昨日の萎縮した姿が嘘のように今日の福武は元気に見える。学校サボりの癖に。

 神代先生のことだ。福武の辛い原因がいじめ関連だとするなら「痛めつけられてるのにそれで来ないと出席日数カウントされないとか馬鹿じゃないの」とか言ってそうだ。

 

 「相談相手になってくれるんだよね?じゃあじゃあ……」

 「ちょっと待て」


 色々と展開が早過ぎる。

 確かに昨日言ったよ。相談相手くらいにはなるみたいなことは言った。言ったけど翌日に来るとは思わなかった。

 割と重要そうな話の相談相手が俺で良いのか。ただの不登校野郎だぞ。

 福武は素直に制止されている。俺の口からどんな助言が飛び出すのか待ち侘びているようだ。

 

 「相談はまだだ。そうだな……今が八時半だから十時を過ぎたら。それまでは一人で出来ることでもしとけ」

 「横に居ても良い?」

 「俺の邪魔しないなら」

 「分かった!」


 福武は笑顔で頷き、リュックを漁り始めた。これで十時を過ぎるまでは自分の時間を過ごせる。

 栞を挟んでおいたページを開く。この人の本は文章ががっつり詰まっているから読み応えがある。文字数が多いのに読んでいてだれてこないのは作家の手腕だろう。

 それか俺がこの人の文章を好きなだけか。

 文字の羅列でも集中すれば、現実とはかけ離れた世界を旅出来る小説が好きだ。

 推理小説だと言うのに妖怪たちが蔓延る世界であり、解決方法も特殊なこれを推理小説と呼ぶと怒る人が居てもおかしくない。

 ネットでそれっぽい意見を見たこともある。

 しかし、専門家やマニアの意見はどうでも良い。俺が読んで楽しめれば小説としての役割は十分に果たしてくれているのだから。

 

 「ふーー」


 集中していたのを一旦解いて、息を吐く。

 そこで、あんなに騒がしい福武が一言も発していないのに気付いた。何をしているのか気になって横を見る。

 俺の横では福武がスケッチブックに鉛筆だけで絵を描いていた。

 笑顔は見せず、真剣な眼差しでスケッチブックと目の前の河原を何度も行き来している。こちらの視線には気付いていないらしい。

 絵の完成度と言えば——かなりの腕前だ。

 鉛筆一本だけで河原の陰影を見事に表現している。ただし、俺に絵の知識はないから上手いとしか言えない。

 技術的なことと言えば「影付けられるんだすげー」くらいだ。


 「絵、上手いんだな」

 「えっ!?上手いだなんてそんな……照れちゃうなぁ……えへへ」


 褒めると福武は分かりやすく照れる。ニヤニヤしながら照れ隠しなのか自分で自分の頭を撫でている。

 素直な反応をしてくれるとこちらも褒めがいがある。

 

 「絵が好きなのか?」

 「うん、好きだよ。キャラクターを描くのが好き。今は鉛筆しかないから風景描いてるけど」


 あっさりと言う福武。キャラと風景では勝手が全然違うと思うのだが。


 「すげぇな……おっと、もうこんな時間か」


 時計を見ると九時半を過ぎ、もうそろそろ四十五分を回る。

 十時過ぎたらと言ったもののバイクを使わない移動時間を考えれば早めに出発した方がいいだろう。

 

 「約束の時間には早くない?」

 「今日は移動でバイク使えないからな」

 「どっか行くの?」

 「こんな馬鹿みたいに暑い中でお話するつもりか?」

 

 俺は嫌だ。

 福武も嫌なようで首をぶんぶん横に振る。


 「そう言うことだ。今日は大通りに出るから流石にノーヘルはマズい」

 「意外と律儀なんだね」

 「不良だとしても捕まりたくはないんだよ」


 校則は破るのに法律に律儀な理由を答えながらエンジンを掛けてないバイクで土手を降りる。橋の下のスペースにバイクを隠してから福武の傍に戻った。

 雨が強かったりするとあの位置まで川の水が溢れたりするのだが、今日は雨が降らないから大丈夫だ。


 「さて、行くか」

 「うん、行こう」


 返事を聞いて、俺が先に歩き出す。

 出遅れた福武がちょこちょこと小走りで横に並んだ。俺と目が合えば歯を見せて笑う。

 そんなに誰かと横並びで歩くのが嬉しいのか。やはり動物みたいな奴だ。

 例えるなら……なんだ?犬か?犬だとするなら人懐っこ過ぎるな。番犬には向いてない。

 

 「……」

 「……」


 無言が続く。話題がない。

 今までのコミュニケーション経験不足が顕著に出てる。こう言う時、大作なら良い感じに会話が出来るのだろう。

 話題を出すにも福武の好みが分からない。バイクは知らない。勉強の話なんて学校外でしたくない。

 ないばっかりで困る。あるとすれば。


 「なんで相談役が俺なんだ?学校にもっと居るだろ」

 「なんとなく……かな?」

 

 なんとなくを信用出来るとは見かけによらず豪胆だ。

 

 「あ!えーっと、一応理由はあるんだよ?」

 「言いたくないなら別に」

 「そんな大層なものじゃなくて……ただ、全く同じ環境に居る人よりちょっぴりだけ違う場所の人の方が良い答えを貰えるかもしれないと思ったんだ」

 

 それで俺なのか。確かに学校に行ってない点ではちょっぴりだけ違うかも知れないけど……それだけだぞ。

 でも、その考え方が出来るのは凄いな。番犬には向いてなくても利口な犬だ。

 

 「まさか大大コンビの予想通りになるとは……」

 「うん?何か言った?」

 「いや、独り言」

 「そっか」


 相変わらず福武は俺の言葉をそのまま受け取る。普通なら気になるだろうに。


 

 そうして疑うことを知らなそうな福武と一緒にやってきたのはお洒落でもなんでもない至って普通のカフェ。

 入り口のドアを開ける。カランコロン、と来客を告げる音色が店内に響く。

 外も中もミルクチョコレートみたいな色合いの店。そのカウンターの奥から黒髪で美人なお姉さんが顔を出す。


 「あら?いらっしゃい。カウンター?テーブル?」

 「ゆっくりしたいからテーブル。マスターは?」

 「奥で準備中。なんだ?アタシじゃ不満かー?」

 「いや、ぶっ倒れたのかと思ってな」

 「あはは!あり得る!」

 「こらこら、縁起の悪いことを儂に聞こえるように話さないでくれ……本当に死んでしまったどうする。おや?」

 

 俺たちがふざけていると奥から白髪で髭を生やしたマスターが困り顔で出てくる。

 マスターは俺たちを宥めながら新顔の福武に目を向ける。


 「君は初めましてだね。いらっしゃい」

 「初めまして。福武です」


 マスターの軽い挨拶にも丁寧に頭を下げる福武。

 それを見た姉貴が見るからに悪そうな顔で俺を見てきやがる。

 

 「なんだ、あんたとは大違いだね」

 「姉貴もこんくらいお淑やかだったら良かったのにな。飲み屋の方が向いてんじゃねぇのか?」

 「あはははは!冗談が上手いねぇ!」

 「姉貴は冗談キツいなぁ」

 「ん?」

 「まあまあ二人とも、どうぞ席に」


 話の全容を掴めない姉貴を放っておき、マスターに促された俺と福武は四人掛けのテーブル席に座った。

 

 「オリジナルブレンドとトーストー!」


 十時過ぎと言う中途半端な時間で客も居ないので席から直接注文する。これが朝一ならもう少し人が居る。

 だから人が居ない時間を狙ってやって来た。

 

 「はいはい、いつものだね。福武さんは?」

 「あっ、えっと……」


 俺が急いで決めてしまった所為で福武が慌ててメニューに目を走らせる。どれにするかのドタバタ会議が頭の中で行われているに違いない。

 この辺の気配りを次があるならちゃんとしようと思った。


 「じゃあメロンクリームソーダを」

 「少々お待ちくださいね」

 「ではごゆっくり」


 姉貴がおしぼりと水を持ってくる。店員モードに切り替わったらしくやることやってそそくさと席から離れた。

 姉貴の姿が見えなくなったところで福武が驚いた顔で口を開く。


 「え?あの人がお姉さんなの?」

 「違うぞ」

 「でもさっき姉貴って」

 「あれは店長のマスターみたいなもんだよ。俺がマスター呼びし始めた頃にアタシも欲しいとか言い出すから最初は姉御とか読んでやろうかと思ったんだけど、嫌がるから姉貴に落ち着いた」

 「それで良いんだ」

 「俺もそう思う」


 数秒の沈黙。先に沈黙を破ったのは福武だ。

 「ぷっ」と吹き出してから笑い出すので俺もついつい釣られてしまった。見事な一本釣り。


 「あはは!なにそれ!」

 「さあ、なんなんだろうな。なんでも良かったんだろ。それっぽい呼び名があればさ」

 「それっぽい呼び名かー。良いなー」


 福武は呼び名に憧れを抱いているようだ。

 俺は呼び名に関しては憧れを持つようなもんでもないと思う。碌なあだ名が付かないからな。

 そこへマスターがトレイを持ってきた。

 

 「お待たせしました。オリジナルブレンドとトースト。メロンクリームソーダでございます」

 

 俺の前に湯気が立つコーヒーカップといちごジャムが塗られたパンが、福武の前には翡翠色に輝くジュースが置かれる。

 邪魔はしないとばかりにマスターはさっさと立ち去る。

 

 「うわぁ!美味しそぅ…………」

 「んん?なんだ?」


 最初は絶好調の勢いだったのに後半に行くにつれて声のトーンが下がった。楽譜だったら確実にデクレッシェンドが書かれている。

 

 「なんか……こんな美味しそうなジュース見たら休んだ罪悪感出てきた……」

 

 分かりやすく落ち込み始める福武。

 どうして勉強が出来る奴に限って生き辛い性格をしているのか本当に謎だ。勉強が出来る癖に視野が狭い。狭過ぎる。ここまで来たら馬鹿だ。

 

 「あのなぁ……休息の役割知ってっか?心身共に休むんだよ」

 「心も身体も一緒に?」

 「そうだ。折角美味い物食べられてご機嫌なのに学校休んだ罪悪感に押し潰されてちゃ休息の意味がねぇだろ」

 

 休む時に辛い原因を頭に思い浮かべてはいけないのだ。クソみたいな現実を切り離して楽しいことだけに目を向けるのが休息だ。

 ゲームをする。漫画を読む。はたまたテレビ。疲れているなら時間を気にせず眠るのもアリだ。

 

 「とにかく。今、福武は出席日数カウントされてないんだろ?」

 「うん……一応」

 「だったら休んでる間は勉学も学校も全て忘れろ。楽しいことだけ頭に入れる。ドゥーユーアンダースタン?」

 「い……いえす」


 謎の勢いで出てしまった英語の問いに困惑しながらも福武が英語で返答する。

 これから辛い現実の相談が始まるのはともかく、折角マスターのところまで来たんだから楽しんで貰わないと。

 これは相談と同時に休息の時間も含んでいるのだから。

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