第39話 Re・豚

 熊を包み込めるほどの大きな葉の上で、クシスは安らかに寝息を立てている。

 顔色は良く、傷もそれほど深くはないようだ。


「ッ!......へへ」


 視線を上げると、猛々しい一本角を持つ甲虫が媚びへつらうような笑いを浮かべた。


「あ、姐御の傷はすぐ治ると思いやす。切り傷に関しては薬を塗る前から、ある程度塞がっていやした。火傷の方も、ロエルの汁を付ければ痕も残らないっす」


「姐御?」


「あ、いや、兄貴のお連れさんなんでやはりお呼びするなら姐御かと......」


「兄貴?いつから僕がお前の兄弟になった?ふざけているのか?」


「いいい、いやいやそんなつもりは決して! そのやはり、あれほど圧倒的なものを見せつけられたら、こう、雄のさがで、本能的に兄貴に従いたくなっちまったんでやす」


 なるほど、下流の人間が徒党を組むような心理と同じようなものか。家族のいない彼らは、その繋がりを擬似的な家族と捉えるようだが、実際に目の当たりにしたのは始めてだ。それも、相手は虫。なんだか複雑な気分だ。


「お食事も沢山用意しやしたので、どうぞ遠慮なく食ってくだせぇ」


 彼の合図とともに大きな葉に乗せられた果物やら何かの巣やらが運ばれてきた。


「毒とか入ってそうだな」


「毒味いたしやす!」


 彼は風穴を開ける勢いで、食料にかぶりついた。


「美味い!問題ないっす!」


「虫のお前がよくても、人間の僕が大丈夫だという保証はないからね。いらないよ」


「そ、そうっすか。めっちゃ美味いのに......」


 芳醇で甘美な香りが鼻腔をくすぐる。

 それはほんの一瞬の出来事であったが、思わず喉が鳴るほど魅惑的な誘いであった。


「でも、まあ、一口ぐらいなら貰おうかな」


 一口、果実を齧る。

 全身が蕩けるような甘さの暴力。そして、染み入るような芳さと果汁の荒波。

 それからは決壊するように口に物が運ばれていった。

 思えば、まともな食事など遠から摂っていなかった。記憶に新しいのは、全て生きるための食事。味など気にする余裕などなかった。

 しかし、この果物は、そして巣のようなものに詰まっている蜜は、ここへ来て初めてご馳走だといえるものであったのだ。


「はぐっ、むぐっ」


「す、すげぇ!こんな食いっぷり、豪奇ゴキの奴ですらノミのように思えちまうぜ!」


 竜巻のように吸い込まれていく食料。山のように積まれていたものが、いつの間にか小さな隆起を残すだけになってしまった。


「おい!おめぇら、どんどん持ってこい!兄貴が満足するまで羽を止めるな!」


 そこから優に数時間、バンディーダの饗宴が終わることはなかった。



「んん、んぅ」


 クシスは腹部の違和感によって目が覚めた。


「え、オーク?なんで?」


 起床した彼女の目の前にいたのは、プクプクと肥え太ったオークであった。


「おお、クシス。うんうん、問題なさそうでなによりぶひ」


「あ、バンか。って、なんでいきなりそんなに太ってるのよ!」


「まあまあ、そんなことよりこの果実を食べて見て欲しいぶひ。世界が変わるぶひよ」


 喚くクシスを気にも留めず、手に持っている橙色の果実を彼女に差し出した。


「えぇ......? まあいいけど」


 困惑しながらも、彼女は手に取って齧る。


「美味し!」


 彼女は頬に手を当てて、宝石を見つめるかのように目を輝かせる。


「そうぶひよねぇ。僕なんてもう百個は食べたけど、まだ足りないくらいぶひ」


「あ、これも美味しそう!」


「おお、さすが目の付け所がいいぶひね。それはかなりのおすすめぶひよ」


 会話が弾む二人の陰で、一本角は複雑な表情でその光景を見つめていた。


「これでもう、未曾有の食糧難は確定っす」


 その悲しい呟きは二人に届くことはなかった。




「で、どうやったらこの短期間でそこまで元通りに太れるのよ。もしかして私、一年ぐらい眠ってた?」


「食べているときは気づかなったけど、指摘されると途端に気になり始めてきたぶひねぇ。彼に聞いてみるぶひか、おーい!」


「うっす!何でしょうか兄貴!」


「兄貴?」


 クシスが首を傾げるが、バンディーダは「それについてもまた後ほど」と話を続ける。


「はぁ、詳しいことは俺にも分かりませんがそれ一つで一ヶ月は何も食わなくていいぐらいの栄養があるので、数百はくだらない数を食った兄貴がそのような姿になるのも特段ありえないことではないかと!」


「だからといって数時間でここまでなるぶひかねぇ」


「数時間!?」


 クシスが驚愕の声をあげる。


「あんたそのまま膨らみ続けて爆発とかしないわよね?」


「しない、とは言いきれないかも、ぶひ」


 てんやわんやし始める二人を一本角が宥める。


「ま、まあ豪奇の奴も一時は兄貴みたいに膨らんでいましたけど食事を控えたら元に戻ったので多分大丈夫っす!」


「えーと?その豪奇って誰?」


「あいつっす!豪奇!兄貴たちに挨拶しろ!」


 ヴヴヴと低音を轟かせながら、豪奇と呼ばれる彼が現れた。


「ヴぇッ!?」


 それは、最初に二人を襲ってきた黒光りだった。


「その節は、すんませんでした。こいつ、腹が減ると見境がなくなっちまって、兄貴たちに無礼を働いちまったようです。ほら、お前も謝れ!」


 一本角に急かされ、豪奇はチキチキと言いながら触覚を下げた。


「クシスの魔法を受けて生きてたぶひか。中々頑丈ぶひね」


「まあ、それがこいつの取り柄みたいなものっすから」


 ハハハと笑い合う二人の間に、クシスが身体を割り込ませる。


「そもそも、なんでもう私たち仲間ですよ、みたいな雰囲気になってるのよ?いつの間に和解したわけ?というか、兄貴ってなに?盃でも交わしたの!?」


「ああ、そうぶひね。それについても説明しないと」


 バンディーダがアイコンタクトをすると、一本角はコクリと首を縦に振った。


「うっす!それについては俺から説明させていただきやす!姐御!」


「あ、姉御ぉ?」


「俺はブートと申しやす!先ほどまでここら一帯を取り仕切らせていただいておりやした!以後お見知りおきを!」







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