第38話 襲来!虫の王者!

「キュイィ......」


 元来、彼らの食料は屍肉などの廃棄物。自ら率先してなどを行うことはない。もし、彼らが目の前に現れたのならば、それはと見なされたからだろう。


「ぐっ」


 あれは、屋敷でよく女給たちと格闘していた虫だ。遠目からしか見たことないが、近くで見ると身の毛がよだつほど醜悪だな。......クシスはまともに動けそうにないし、ここは僕が─


「地を焦がす天明のッッぉ......」


 詠唱と共に血が滾る。

 全身に駆け巡る魔力に本能が警鐘を鳴らして、声帯が急停止する。

 この感覚は、何だ?


「ぁ」


 あまりにも速い。

 気づけば眼前は真っ黒に染められていた。


「『竜炎風ドラゴブレイズ』!」


 巨大な火球と共に、その物体は横へ飛んで行った。


「うぅ、魔法越しでも気持ち悪い!」


 真っ青な表情をしたクシスが、猫背になりながら魔法を放っていた。


「え、詠唱破棄、使えたんだ......」


 それでこの威力。

 やはり彼女は只者じゃない。


「これであいつはもう来ないでしょ。見かけによらず非常に臆病だから、食えないと分かったら二度と姿を現さないわ」


 冷や汗を拭う彼女は、心底ほっとしたように大きな息を吐いた。


「それで、これからの事だけれど──」


 バンディーダが詠唱に失敗したことには気づいていないようだ。彼もまた別の意味で、安息を吐いた。


「とにかく、ここを出ましょう。上でも下でもいいから、一刻も早く。ここには気色の悪い生物しか居ないもの」


「へぇ、中々酷いこと言ってくれるじゃねえか」


 それはどこからともなく聞こえてくる声。

 それに次いで、無数の羽音が二人を取り囲んだ。


「俺様の部下が泣きついてきたと思えば、まさかこんな獲物が迷い込んでいたとはな。それも暴言のオマケ付きとは嬲りがいがあるぜぇ」


「誰だ!」


「俺様は虫を統べる王!この森に君臨する絶対王者!」


 その瞬間、バンディーダの腹部の衣服が切れる。


 迅い!それも、


「はははっ!目で追おうなんざ無駄だ!この俺様のスピードについて来れる訳ねぇよ!」


 確かに、桁違いの速度だ。

 だが、攻撃が物理だけならいくらでも対策できる。


「纏うは気焔『鳯......」


 駄目だ。

 簡易詠唱も同じ。

 魔力が攪乱して、まとまらない。

 あれ?僕は今までどうやって魔法を使っていたんだっけ?


「あぁ、もうめんどくさい!」


 クシスは髪を掻き乱すと、姿を龍へと変化させた。


「できる限り穏便に行きたかったのだけど、そっちがその気なら仕方ないわよね」


 クシスはバンディーダを背に乗せると、一気に上昇した。


「虫にはやっぱりこれが覿面よ」


 クシスの体温が一気に低下する。


「くぁぁぁぁ!」


 そして、吐き出したのは

 木々に隠れていた巨大昆虫たちは一気に地面へとひっくり返っていった。


「うええ、おぞましすぎるわこの光景」


 クシスは青い顔をさらに真っ青にしながら、舌を出した。


「てめぇ!よくも、俺様の部下たちを!許さねぇ!」


 高速の弾丸が、クシスの翼膜を貫いた。


「うぐうううぅぅぅ!」


 彼女は苦悶の絶叫を上げながらも、墜落しまいと踏ん張りながら滞空する。


「クシス!一旦降りろ!その姿だと的が大きすぎる!」


「でも、森の中じゃ、奴は木々に隠れるから、その姿を認識することすら、出来ないわよ。天空なら、どこから来るかは、捉えられる!」


 息を切らせながら、クシスは不敵に笑う。


「呑気にお喋りなんざしてんじゃねぇ!」


 再び襲い来る弾丸。

 クシスは身をよじらせて間一髪躱した。


「がはっ!」


 かのように思われた。

 彼女の腹部は大きな切り傷が刻まれ、多くの血が流れ落ちる。

 そのまま、彼女は人型となり、力なく墜落した。やけに大きい砂埃がその姿を隠す。


「ふっ、俺様が放つ真空の刃から逃れられると思うなよ!この氷トカゲが!このまま切り刻んで部下たちの餌にしてやる!」


 虫のしらせ。

 細胞の奥深くに潜む恐怖の本能が彼の足を止めた。

 王者が故に、その記憶が一層深く刻み込まれていたおかげでその一命を取り留めたといえるだろう。

 もし、このまま攻撃を続けていれば


「バ、バン。だめ、その力は......」


 灰すらも残らなかったのだから。


「消えろ」


 天を穿つ獄炎の柱は、王者の鼻先を掠め焦がした。


「〜〜ッ!」


 もし、直撃していたら、と思えば戦意は消え失せる他ない。


「バン、お願い。私は、大丈夫だから」


 天に向けられる熔岩の腕を、自身の手を焦がしながら必死に抑えるクシス。

 彼女が抑えなければ、上空にいる羽虫はとうに塵と化していただろう。


「そんな力に負けないで!」


 クシスの叫びが、バンディーダの正気を呼び戻す。


「ッ! クシスッ!」


「大丈夫、止血はしてるから。でも、安心したらちょっと眠くなってきちゃったかも......」


 そう言うと、彼女はゆっくりと目を閉じた。

 すぐさま心肺と呼吸を確認し、バンディーダは彼女を抱き抱え、立ち上がる。


「おい」


「はひっ!」


 木の影に隠れて状況を窺っていた虫の王者は、思わず反応してしまう。


「彼女を治療できる場所へ案内しろ」


「はひいいいいいいいいい!」


 彼はこの日一番のスピードで、この空を駆けた。

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