第36話 もうひとつの戦場
厳かな扉を開くと、そこにはひどく重苦しい空気が漂っていた。
「これはこれは、各国の要人たちをお待たせするとは随分とお高い身分になられたようで」
中央に鎮座するゲーテ公爵はおもむろに立ち上がり、ブレズたちに歩み寄ってくる。
だが、ブレズはゲーテを気に留めることなく、この部屋にいる者たちの顔ぶれを確認する。
ふむ、やはり来ているのは奴と密接な関係にある国だけか。
「おっと、こうして戯れている時間はないな。さぁ、早く席に着いてくれたまえ」
ゲーテは二人の肩に手を掛けて着席を促すと、二人は何も言わずに空いている席に座った。
「さて、早速だがここからは『天原の真玉』の頭領、エクス君に進行を任せよう」
ゲーテの手招きとともに後ろに控えていた赤髪の青年が壇上へ着いた。
「幾分学が無いもので、形式的な文言など身についておりませんから、このまま本題へ。まずは、卓上にある資料を手に取ってください」
各々が目の前にある複数枚の紙を手に取る。
ブレズたちもまた、その資料に目を通す。
「ここに書かれていることは事実であり、決して憶測や空想などないことは予め理解を賜りたく存じます」
─!?
会議室は一気にざわつき始める。
冷静を保っていたのは、その事実を知っていたブレズとナレジ、そしてゲーテだけである。
「ありえない! この世界の他に別の世界があるとでもいうのか!」
「えぇ、我々が出した結論としてまず間違いありません」
「どういうことだ......。ダンジョンは神からの恵みではなかったのか......?」
「信心深いことは結構ですが、その可能性は低いでしょう......大いに」
「ならば、何者だ! 一体誰がこんなものを作り上げた!その目的は何だ!」
「それは......貴方がよく知っているのでは?ブレズ伯?」
皆の視線が一気にブレズへと集まる。
ナレジもまた、驚きを隠せない様子で目を見開いた。
「発言の意図が汲めんな。もう少し、詳しく話してくれないか?」
あくまで、ブレズは淡々と言葉を返す。
「ようやく、点と点が線で繋がった気がしましたよ。どうして、貴方の領地に大量のダンジョンが現れるのか。それは、貴方の身内にその内通者が居たからだ」
一転、静寂。
室内の時が止まってしまった。
「論理の飛躍が過ぎますな。全くもって根拠もなければ証拠もない。こじつけにしてはあまりにも杜撰としかいいようがない。そうは思わないかね、ゲーテ公?」
ブレズがゲーテを一瞥すると、ゲーテは愉快だと言わんばかりに失笑をこぼした。
「それが、有罪とまではいかないが貴殿を容疑者に至らしめるには十分なほどの形跡が見つかったのだよ」
「なに?」
「皆様、これをご覧いただきたい」
ゲーテが掲げたのは一冊の本。
それは、彼にとって門外不出であるべき書物であった。
ブレズの全身の毛が逆立つ。
しかし、それは一瞬のことであり、大半のものは気がつくことはなかった。
「娘が偶然、この本を手にしていましてね。実に興味深いので、私も拝読させてもらったよ」
ゲーテはペラペラと本を捲る。
「ふむふむ、魔力には意思がある。なんとも浪漫溢れる空想だ。魔力など単に我々の体に流れるエネルギーの一種でしかないというのに」
「ほう、中々面白い本ではないか。それで、その本が私とどう関係が?」
ブレズは呆れたと言わんばかりに首を振る。
存外冷静なブレズの姿に、ゲーテは表情を固くしながら話を続ける。
「重要なのはここからだ。この本には魔力の事だけではなく、ダンジョンの仕組みについても記述がなされている」
─ダンジョンの発生については、空間が繋がる歪みで発生地点から一定の距離の生物が体調に異常をきたす。主な症状として、耳鳴り、頭痛、一時的な失明及び難聴。なお、ダンジョンの配置として幾つかの法則性が指摘されているが、その可能性は低い。──
「それの何処が重要なのですか? 不審な点は一切見当たらないですよ」
「話の腰を折らないでくれたまえ、ナレジ卿。友が疑われて、動揺しているのは理解するが、少し落ち着きたまえよ」
ゲーテが苦笑を漏らすと、再び内容を読み始める。
─こちら側からは、所謂ダンジョンのコアを完全に破壊することはできない。一見、完璧に破壊したとしてもあくまで消えるのは目に見える部分だけ。贋物を壊したところで本物がある限り、複製は可能である。ダンジョンも然り。コアの破壊は、掘られた穴を埋めているだけにすぎない。この応酬には終わりはなく、先に疲弊するのは間違なくこちら側。従って、コアは破壊するのではなく、管理することが望ましい。我々の血であれば、ある程度の抑制が可能である。─
「これは、我々にとって全く新しい知見であり、また大いに不可解な文章である。だが、現状と照らし合わせれば、当てはまる事象がある事も確かだ」
「ほう、それは一体どういう事ですかな? いまいち要領が掴めない愚鈍な私にもう少しご教授願いたい」
苦笑の表情を崩さぬブレズ。
ゲーテは「変われ」とエクスに目配せをして、本を彼に手渡した。
「『龍の墓場』では、最奥部にドラゴンがダンジョンマスターとして君臨しています。故に、それが名前の由来。その姿は、決して忘れることの出来ない荘厳たる容貌をしています。だからこそ、再びたどり着いたときの違和感は凄まじいものでした。翼膜に穴が空いている。当初は我々の他にこの場にたどり着いた者が一矢報いた傷だと思っていたのですが、三度、四度挑んだところ未だにその傷が残っている。明らかに不自然だと考えた我々は、ギルド及び国の許可無しでコアの分析を始めました」
「ダンジョンのコアを弄くり回すなど重大な禁忌!それも国有、貴重なダンジョンで行うなど言語道断!これはとんでもない重罪ですぞ!ゲーテ公爵!」
要人の一人が声を荒らげる。
「その慣習は一体誰が決めた? 国際的に育まれた暗黙の了解だろう?それにこれは破壊活動ではなく、あくまで分析。腰の重い国に変わり、我々が行った革新であることをご理解いだたきたい」
「だが、倫理観の欠如においての申し開きはどうか。それに独断で行われた調査など信ぴょう性は皆無。違うかね?」
また一人、ゲーテの発言に物申す。
「言葉足らずで申し訳ない。その点についてはギルドと連携して行った共同の調査だということを加えさせて頂く」
「それは本当かね?ナレジ卿」
ナレジは数秒ほど押し黙った後、「えぇ」と肯定した。
「倫理観や法の話であれば、後で幾らでも言い分を聞こう。しかし、発見した事実はもはやそれらを些事にするほど重大なのだ!」
ゲーテの力強い宣言に場が静まり返る。
「本題へ戻りますね」
エクスはゲーテから視線を外し、資料へと目を向ける。
「分析の結果、コアの中には広大な空間が拡がっている事が確認できました。それと同時に、その中身を複製し、映し出す術式が刻まれていることも」
......
呼吸すらも消えて、紙の擦れる音だけが鋭く木霊する。
「つまり、今まで我々が足を踏み入れ、踏破してきた数々のダンジョンは単なる複製物にしか過ぎなかった。宝も、土地も、モンスターすらも......」
「そ、それこそ倫理すらない生命の冒涜......まさに悪魔の所業......!」
「そして、これがチェック・メイトだよ。ブレズ伯」
ゲーテは懐から一通の封筒を取り出す。
「この本には私の娘宛の手紙が挟まっていた。その差出人はバンディーダ・シモンの母。つまり、君の妻であるフロール夫人だ」
得意げに突きつけられた証拠に、ブレズは鼻を鳴らす。
「それが妻が書いた物だという証拠は? それに、その本に挟まっていたということも信じ難い」
「手紙の末尾に拇印、そして内容はこの本を送るというものだ」
無駄な抵抗だと言わんばかりに、手紙を開き見せびらかすゲーテ。
「この本に関しても、世界中をくまなく調べ上げたところ何処にも流通していない本だった。つまり、著者は君の妻あるいはその知人しか考えられない。さあ、まだ反論はあるかね?」
ブレズはゆっくりと瞳を閉じる。
あぁ、愛する妻よ。どうやら、君は信用する人間を間違えたらしい。だが、それはこの俺も同じ。年端のいかぬ子どもたちに全てを任せた俺の過ちだ。むしろ、君は悪くない。この結果に至るまで放置したこの俺の責任なのだ。
「何とか言えブレズ!まさかこのまま認める訳じゃないだろう!いつもの君なら、醜くとも活路が開くまで足掻いていたはずだ!」
悪友が隣で珍しく喚き散らしている。
これではまるでいつもと正反対ではないか。
「どうやら、歳を取って無駄な知恵が付いてしまったらしい。もうあの頃のような、論ですらない無鉄砲な反論など、どうしてもする気が起きんのだよ」
「認めるのですね、ブレズ伯」
煌煌と光るエクスの瞳に、ブレズは嘲りの混じった笑みをこぼす。
「なるほど、随分と満足気だな二人とも。飽和した平和の中で生まれた悪を見つけて、或いは自分の利益を邪魔する者が落ちぶれて。私がまだ何か大きなものを隠していると楽観的な憶測すら見える」
「何だと?」
「私から話す事など無いということだ。貴様らの憶測と亡き妻の関係、私が知り得ることなど何も無いのだ。拷問でも裁判でも好きにかけるがいい。自白しようとも白状する内容すらないのだからな」
「憲兵、この者を今すぐ捕らえよ!早急にだ!」
ゲーテの合図と共に部屋の外で待機していた兵がブレズを拘束する。
「ブレズ!」
「なに、案ずるなナレジ。どうせ捨てるつもりだった命だ。自死だろうが、処刑だろうが、死んでしまえば当人には関係ない。それに、奴らとてすぐには殺さんだろう」
兵に連れられて部屋を去るブレズ。
残る者たちの表情は十人十色。
歯噛みする者、満足気な者、状況を飲み込めぬ者、疑義を抱く者、そして言葉の真意を探る者。
見つけてしまった平穏の綻び。
蓋をしていた負の宿命。
いたずらに
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