第34話 本質

 巡るめぐ映像の中にいるゴブリンの少女は、抜け殻のように動かなくなった。

 そして、肉塊とも言うべきその物体は涙のような液体を垂れ流しながら、グロテスクな巨腕を彼女に叩きつけた。


「げぼっ」


 少女の腹部は異様なほどにへこみ、その部分が丸ごと口から溢れ出したかと思うほどの血を吐いた。


「ャ゛.....ャ゛!」


 肉塊は激しく身体を震わせ、液体を零し続ける。

 拒絶するような声を漏らすが、動きを止める素振りが見えない。


「あぁ、、なんてのかしらぁ。家族と再会できたと思ったら、まさか廃棄物同然の怪物になっていて、ましてやその怪物に殺されるなんて。わぁ!」


「やれやれ、またいつものですか。ま、それがランジェ姉様のだからと言われればそうですが、こっちは姉がその上の姉の似てもない物真似を見ている気分でなんともいえないですよ。って、どうしました? 随分と気分が悪そうですが、貴女もランジェ姉様の物真似で食あたりでもしました?」


「えぇ、吐き気がするわ」


「そうですね。私もこれのどこが楽しいのかさっぱりです。いい加減、見飽きましたから。けど、はこれからがメインですよ」


 ヴィーラは雑技団を待つ子供のような眼差しで、バンディーダを見つめる。


「はぁ、楽しみですね。はてさて、どれほどのものでしょうか? であれほどの力だったのですから、きっとはとんでもないですよね!?」




 赤く染まる壁


 潰れていく


 誰のせいで


 救えなかった


「アハハ!」


 耳鳴りと笑い声


 次第に遠くなっていく


「ヴ」


 膨れ上がる赤褐色の感情


 とめどなく


 溢れていく


「ウ゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛!!!」


 熔ける


 熔ける


 押さえ込んでいた感情の檻が


 脂の焦げるような不快な匂いと、ブスブスと溶け落ちるような音が、皮と油をたっぷり詰めこんだ鎧を剥がしていく。


「ッ!早ッ─」


 バンディーダの拳がランジェの顔面を完璧に捉える。皮膚が煮えたぎる破裂音と共に、ランジェは幾重もの壁を突き破りながら吹き飛ばされた。


「す、素晴らしいッ......!」


 ヴィーラはティーカップを放り出して、スタンディングオベーションをする。


「溶岩の滴る肌、猛るように生えた角、噴火のような一撃、そして溢れ出る炎! まさしくとしか形容しようがない本質!なんて楽しいのでしょう!ああ、待った甲斐がありました!いいですよね!あの一撃でランジェ姉様は意識を飛ばしているでしょうし、ね!」


 踊るようにその場から消えたヴィーラ。

 取り残されたクシスはただ、呆然とその光景を見つめることしかできなかった。



「ypa! ひとまず、おめでとうと言っておきます!早速ですが、私と─「ィイイイイ!」


 ヴィーラがバンディーダの前に躍り出たと思えば、空気を震わせる金切り声と共に、緑色の尾が彼の身体を掴んだ。


「炎ォ〜? このに向かってだとォ〜?」


 先程の表情とは打って変わって、顔全体を怒りに歪ませながら、まるで蛇に人が混じったような姿したランジェが現れた。


「おや、まだ生きてたんですね。ランジェ姉様」


「そのチンケな炎で私を燃やせると思ったか!なめるなよ不純物が!!」


 彼女の全身から緑色の炎が燃え盛ると、尾に捕らわれているバンディーダもまた、その炎に飲み込まれていく。


「ヴォォォォ!」


 咆哮。

 炎は一瞬で紅く染め上げられる。

 瞬きすらも遅い。


「ぎゃあああああああああ!」


「ああ......!」


 ヴィーラは確信する。

 

 彼女が扱う粘着質な炎など、純粋な火力の前ではお遊びにすぎないと!

 故に


「さあ、!」


 その言葉を吐き出した瞬間、ヴィーラはそのを脱ぎ捨てた。

 そして、目も止まらぬ速さでバンディーダからランジェを引き剥がし、へ投げ込んだ。


「実はあのゴブリンたちをここへ連れてきたのは何を隠そうこの私、ヴィーラだったのです! さあ、どうです!憎いでしょう! ならば、その怒りを全てこの私にぶつけなさい!」


 堂々と胸を張るその悪魔は、猫というにはあまりにも荒々しく、獅子というにはあまりにも可愛らしいものであった。

 だが、もはやバンディーダにその姿も言葉も届かない。


「ア゛ア゛ァ゛ァ゛!」


 迸る烈光。

 逃げ場などない。

 業火は目に見えるもの全てを飲み、塵すらも焼き尽くす。


 かのように思われた。


「いやはや、驚きました。まさか我が身厭わずの攻撃してくるとは」


 煤を払いながら、ヴィーラは襟を正す。


「いけませんよ、バンディーダ。


 その声が届く頃には、ヴィーラの膝がバンディーダの脇腹に刺さっていた。


「ぐっ」


「感情に流されるままに動く君の憤怒は依然、と言ったところですか」


 彼女の手刀がバンディーダに生えた赤黒い角を両断する。


「うぐあっ!」


 苦痛に顔を背けるが、彼女の両手がそれを許さず、見つめ合うような姿勢を取らされる。


「私を見なさい。君を傷つけ、友人を骸にし、そして、この私です」


「ぐ、ぐぅぅぅぅ!!!」


「そう、です。今の君にはまだ、が足りない。そのままでは皮を脱いだところでなのですよ。。それを噛み締めて、この私にその感情を向けなさい」


「う、ぅ」


 しかし、彼女の言葉とは裏腹に鬼気迫るバンディーダの表情が柔らかくなっていく。全身に纏っていた溶岩がボロボロと崩れ落ち始め、遂には姿へと戻り、ヴィーラの腕の中に倒れ込んでしまった。


「はぁ、やれやれ。肉体の限界を察知して、が働きましたか。ま、最初はこんなものでいいでしょう」


 ヴィーラもまた、人の皮を被り、『仕方がない』と溜息を吐きながらバンディーダを抱えて飛び始めた。

 その道すがら、ヴィーラは一瞬姿を消すと、その次の瞬間にはクシスを抱えて姿を現した。

 腕の中にいる彼女は、放心状態のようでピクリとも動かない。


「あらあら、貴女も撃沈状態ですか。それほどまでにバンディーダを信頼していたのですか? しかし、これが現実です。彼も、私と同じ悪魔の血を引く者。それを知ってなお、貴女は以前と同じ夢を抱けますか? ええ、答えなくていいですよ。答え自体はそれほど重要ではないですから」


 彼女がとある場所に立ち止まると、仰々しい扉が浮かび上がった。

 扉が開くと、そこにはのような球体が無数に並べられている。


「さて、寂しいですが暫しのお別れです。お二方」


 ヴィーラが二人を放り投げると、一つの球体が輝き出し、その体が球に吸い込まれていった。


「楽しみにしておいてくださいね。次に会うときにはきっと、今よりもっと辛い現実が待っていますから」
























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