地獄への序曲

第31話 不穏

 ──────────


「ははうえ」


 それは寒い冬の嵐が荒ぶく宵のことだった。

 毛布に包まっても冷える身体と激しい風の音に怯えたバンディーダは堪えきれず、一人で母フロールの部屋へ赴いた。


「あらまぁ、風が怖くて眠れないの?」


「うん。あとね、とってもさむいんだ」


「まあ、それは一大事だわ!おいで、今日は一緒に寝ましょう」


 フロールはトントンとベッドを叩き、バンディーダを優しく迎え入れた。


「ほら、ママと一緒なら温かいでしょう?」


「うん、ぽかぽかだ」


 バンディーダが嬉しそうに口元を緩めると、フロールもまた雪融けのような笑みを零した。


「そうだ、寝る前にお話をしてあげましょうか。どんな分厚い本にも載ってないママ特製のお話よ」


「聞きたい!」


「ふふ、眠たくなったらちゃんと眠るのよ? コホン、─それはとーっても寒いある冬の日のことでした.......」


 ────────────



 理路整然と組み立てられている追想


 混濁する現実との狭間に溺れていると自覚すれども


 ただ、夢であって欲しいと唇を噛んだ


「ねぇ、本当に大丈夫なの?」


 心配そうに覗き込んでいる少女は、確か、クシス。

 彼女は人間ではなく、ドラゴンで、炎だけでなく、氷をも操る。


「いや、愚問だったようね。。この状態で敵の本陣に向かうなんて自殺行為そのものだし、かといってゴブリンの村元の場所に戻ろうにもリスクが大きい。さて、どうしたものかしら」


 彼女はなぜあんなに焦っているのだろうか。

 それに、ニイナとはどうなった?

 姿が見えないが、既に別れてしまったのか。

 微睡む脳みそをフル回転させて、状況把握に勤しむ。


「下手に動くよりもこのまま回復を待った方が安全、か。.......バン、少しだけ周りを見てくるから待っててちょうだい。いい? 絶対動いちゃだめよ。赤ん坊じゃないんだから、目を離した途端に消えたりしないでよね」


「わかった」


 クシスはバンディーダがしっかりと返答をした事を確かめてから、辺りを警戒するように歩き始めた。時折、バンディーダの方へ振り返りながら、少しずつ彼女の制空権を広げている。


「こんなことをしている場合か?」


 脳内に浮かんだ言葉が口から零れ落ちる

 目的からどんどん離れて行く感覚。

 もう手遅れではないのか、と淡々とした思考が浮かんでは握り潰して、また浮かぶ。


『大丈夫』


 言い聞かせるように唱えたは、どこか心許なかった。


 ほどなくして、クシスがバンディーダのもとへ戻り、おもむろに腰を下ろした。


「まだ眠い?」


 彼女の問いにバンディーダは


「いいや」


 と首を振る。


「もともとそういう病気のでもあったの? そういえば、牢屋に居た時もやけに眠ってたような気がするんだけど」


「そうかな?」


 バンディーダは思い返してみるが、特に思い当たる節はない。

 この夢遊病の症状だって唐突に表れたものだ。

 そして、その自覚がないというのが一層不気味さを深めている。


「だからといって、止まる訳には......」


「そんな体で行ったとして、結局奴らの実験体にされて終わるだけよ。ゴブリンたちには悪いけど、ここはもう諦めるしかない」


 クシスはあくまで淡々と告げる。

 もとより、彼女にとってローダたちはなんの思い入れもない者。

 バンディーダの希望でここまで着いてきたが、その当人の身に異常があれば、推し進める理由もない。


「いやだ」


 肉に埋もれ、くぐもったその拒絶はやけに幼く聞こえた。

 いつしか、道化のように付けられた語尾も姿を隠し、そこに在るのはあの日の夢と消えた少年。


「僕はもうこれ以上、失いたくない」


 その切なる願い


 それは───


「ッ!?」


 気づいたときには既に遅かった。

 風の啼く音と共に空間は捻れ、歪み、何も映さない闇へと吸い込まれていく。


「バ──」


 もがく間もなく、クシスは飲み込まれ、バンディーダもまた認識することもできずに闇へと消えた。



 ────────────


「悲哀、嫉妬、恐怖、怠惰。いくら皮を被り、取り繕うとも、それが『本質』である限り、私たちはその運命から逃れられない」


 ひどく重い声。

 頭にまとわりつくような不快感で、目を閉じずにはいられない。


「一度は抗い、見事打ち勝ったと思われたかの姉も、結局はその荒波に飲まれた」


「誰、だ?」


「けれど、そので、私たちが求めていたモノを生み出したのかもしれない、と」


 飲み込んでくるかのように覗き込んでくる緑色の瞳。

 その奥ではドロドロと粘着質な炎が燃えている。


「それが、お前のような豚ですってぇ?」


 肌を這いずり回る悪寒。

 本能的に後退しようとするが、四肢が固定されていて動けない。


「なっ、これは!?」


「貴方が本当にを引いているのであれば、早くそれを示してちょうだい」


 破裂音と共に、目の前の光景が一変する。

 真っ白な空間。

 そこにはの姿があった。


「ローダ!!」


 バンディーダは叫ぶが、無反応。

 どうやら、空間は隔離されているようだ。













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