独白 氷の少女は夢を見る

 無機質で冷たい壺の中で私は産まれた。


「すんばらぁしいわぁ、あたしの赤ちゃぁん」


 初めて聞いた声は酷く粘着質で不快なものだった。


「『9号43番』の生体反応に問題ありません。魔力、脈拍、血流、安定しています」


「さすがあたしよぉ!炎の魔力を持つ種族に氷の魔力を適合させるなんてあたしにしかできないでしょお!ねえ!どうなの!言ってみなさい!言え!」


「はい。ランジェ様だけです」


「よろしい。じゃあ、後は頼んだわよ」


 情緒不安定な金切り声は遠くなり、代わりに抑揚のない鈍い声が近づいてくる。


「『9号43番』、は長いな。943、クシスと呼ぼうか」


 ランジェという者が母親だとするなら、今ここで私の手を握っているのが父親だというのだろうか。

 私は彼に連れられて、真っ白な部屋に入れられた。


「これからここがお前の部屋だ。数時間ごとに臨床実験を行う。それまでは好きにするといい」


 そして、その数時間後、私はこの世に生まれたことを後悔した。


「ぁあああああああ!」


 私がいくら悲鳴を上げても、彼女たちは詠唱を止めない。どれだけ許しを乞おうとも、淡々と魔法を唱え続ける。


「ふぅん。風耐性はそこまで強くないのね。回復させたら次は雷よ」


 それは実験と称した拷問。ランジェと呼ばれた女は耐性を確かめるという口実で、あらゆる属性魔法を私にぶつけてきた。気絶するのはまだマシな方で、酷い時は死の淵を彷徨った。


「やっぱり人型だと実験が捗るわぁ。奴らを嬲ってるみたいで、とぉーっても気分がいい!」


「やれやれ、ランジェ姉様は相変わらずとんだ悪趣味で。ヴィーラはちょっとドン引きですよ」


「もう!貴女はさっさと馬鹿鳥たちの鎮圧に向かいなさい」


「はいはい。邪魔者は去りますよ、っと」


 私が泡を吹いて痙攣していても、彼女たちは和気藹々と談笑を続けていた。

 実験が終わり、部屋に戻されると枷を付けられて、貧相な食事を与えられた。


「可哀想に。生まれて間もないお前にここまでするとは、やはり奴らは極悪非道な存在だ。これは私の分の食事だ。この固いパンよりはマシだろう」


 どうやら、最初の彼は私の世話係だったようで、彼もまた悪魔かのじょたちに造られた改造生物らしい。

 彼は、私に情を移しているようで、時折こうして自分の分の食事を分け与えてくれた。

 また、私が何も無い部屋で怯えている姿を哀れんで


「ヴィーラ様、少し提案があるのですが......」


「いいでしょう!今の私は機嫌がいい!何でも仰せつかりますよ!」


「ええ、彼女が言葉を覚えるための教材として何か本を与えたいのですが......」


「ふむ、本ですか。魔導書の類でなければ、部屋の中で読んでも構わないと思いますよ。よろしい、私が見繕って手配しておきます」


「ありがとうございます!」


「ええ、貴方は優秀な魔材ですから。それくらいの便宜は図りましょう」


 おとぎ話へ逃げる時間を与えてくれた。


「ほら、クシス。今日の本だよ」


 最初は冷淡だった彼の声も、いつしか柔らかみを含むようになっていた。


「ありがとう、ミトさん」


『3号10番』。それが彼の識別番号らしい。それに因んで、私はミトさんと呼ぶことにしていた。


「今日も読み聞かせてよ」


 まったく字が読めなかった初期の頃は、代わりにミトさんに読んでもらっていた。次第に読めるようにはなったけど、それでも初めて読む本は彼に甘えて読んでもらっていた。

 その一時が、地獄のような場所での唯一の癒しであり、心の拠り所であった。


「しょうがないな。いくよ? 『豚の王子様』─」


 そんな日々が数年間続いた。その間に私は、魔法を覚え、戦いで血を流し、あらゆる苦痛に耐えた。

 届いていた本もいつしか途切れてしまい、私は部屋にある本を何度も読み返していた。時には、ミトさんも交えて、どの話が好きかを語り合うことなんかもしていた。


「私は『豚の王子様』が好き」


 貧弱でも弱虫だった彼は、誰かのために強くなった。勇気と力を胸に抱いて、愛しの姫を苦しみから救い出し、全ての種族を解き放った。

 そんな物語が、どれほど私の心に染み渡ったか。

 熱烈に語る私を、ミトさんは優しい眼差しで見つめてくれていた。




「さぁて、今日の実験なのだけれどぉ」


 でも、そんな日々も


「そろそろ最終段階に入るわねぇ」


 突然、終わりを迎えてしまう。


「『3号10番』、『9号43番』を殺しなさい」


「はい?」


「あら、耳の不調かしら? と言ったのぉ。貴方の全力を持ってねぇ」


 私に対する最後の実験は


「『9号43番』も全力で抵抗しなさいよぉ。もちろん、殺すつもりで構わないわぁ」


 ミトさん父親との殺し合いだった。


「......いいかい、クシス。これがお前に遺せる最後の言葉だ」


 ─夢を大切にな─


「うおおおおお!」


 彼は私に背を向けて、ランジェへと特攻を仕掛ける。


「はぁ.....。私ぃ、貴方のこと、結構気に入ってたのになぁ」


 彼が勇気を振り絞った決死の行動は、一瞬にして肉塊へと成り果てた。


「う、うわあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!」


 その時、私の中で何かが切れた。怒りと絶望と悲しみの慟哭に溺れて、そこから先はよく覚えていない。


「仕方ないわねぇ。最終段階は私が直々に臨みましょうかぁ」


 ──────


「さて、後は頼みましたからね。彼女は貴方たちと同族なんですから。どうぞ、よしなに」


 次に目覚めた場所は、見渡す限りの炎の巣窟だった。

 傷だらけの私は、辛うじて首だけを動かせた。

 その目に映ったのは、私を疎む表情をした大人たちだった。


「氷など吐くな!」


 傷が癒えると、おさである爺が私の面倒を見ることになった。彼は私に龍としての立ち振る舞いを徹底的に叩き込もうとしてきた。


「なぜ、炎が吹けぬ!雷や風ならまだしも、なぜ寄りにもよって氷なのだ!この忌み子が!」


 彼は私が氷を扱うのを酷く嫌った。そして、炎が吹けるまで外には出せぬと家に閉じ込めるようになった。


「はぁ、はぁ」


 私は何度も練習した。口が乾き、器官がキリキリと悲鳴をあげても、めげずに練習した。その結果、数cm程度の火が口から出るようになった。


「ふん。まあ、それでよいわ」


 爺は不服気に鼻を鳴らしながら、渋々納得した。それから、私は里を自由に出歩きできるようになったのだが


「おい、氷女。俺たちの炎で溶かしてやろうかー?」


 里の龍たちは私を受け入れやしなかった。


「また、他の子供たちと争ったのか、クシス」


「だって、アイツらが私の事を馬鹿にするから!」


「それは仕方なきことよ。あ奴らは由緒正しき龍の一族であり、お前は魔より生まれし歪な龍なのだから」


 そう言って、何か揉め事を起こす度に、私が悪者になって、罰として牢屋に入れられる。

 そして、教育と称して、龍がかつてどれほどの栄華を誇っていたか、いかに素晴らしい種族であったかを嬉々として語り、人間がいかに愚かで狡猾で邪悪な存在であり、私達を管理する悪魔上の奴らもまた人間とであることを忌々しげに語っていた。


「くだらない......」


 一度そのような言葉を漏らしてしまい、集団で半殺しにされたこともあった。

 結局、ここもあの場所地獄と変わりはない。


 あの日も里の居心地が悪いから、他の階層の近くで放浪していた。


 ─ギェアアアアアア!


 誰か咆哮が聞こえる。確か、あの辺りはが......。

 興味本位で、覗いてみるとそこではゴブリンとの戦闘が繰り広げられていた。


 ゴブリンがまた懲りずにドラゴンに挑んでる。あの感じ、遊ばれてるのに気づいてない。魔法を使えば、一瞬で消し炭なのに。可哀想な奴。


 興味も薄れ、その場から去ろうとした時、視界の端で眩い光が瞬いていた。


「?」


 何事かと思い、視線を戻すと、そこには汗だくのオークが魔法を唱えていた。


「はぁ?」


 オークが魔法を使えるなんて、そんな話今まで聞いたこともない。不思議に思い、その戦いを見守ることにした。


「えっ」


 その豚は自在に氷を操っていた。この灼熱の空間で、短時間ではあるが見事にそれを顕現させていた。

 これは幻なんじゃないか、そう思った私は軽めの火炎を吐いてみる。もし、当たったとしても火傷するくらいだ。


「『静海ヴェラティネ』ッッッ!」


 しかし、彼は再び氷を生成する。しかも、それだけではなく、


「『炎妖精の踊りフレミィ』!」


 炎まで自在に操った。


「───ッ!」


 私の脳内は一瞬、ロマンティックな思考に満たされる。

 氷と炎を扱うオークとの出会い。それはまさに運命を変えるような劇的なきっかけになるのではないか、と。

 それからは、自然と身体が動いていた。彼を庇い、何とか逃がそうとした。けど、彼は逃げ遅れ、ブレスの衝突で意識を失った。私は彼を抱えて逃げようとしたが、異常を察知した爺たちが飛んできて、結局捕まってしまった。


「こやつは......!人間じゃ!それも!」


 最低な気分になった。まさか、期待を寄せた者が寄りにもよってなんて。私は失意の中、爺たちに従って、牢屋に入った。


「母上......ぶひむにゃ」


 気持ちよさそうに夢を見ている豚が何だかムカついた。だから、足で小突いて無理やり起こしてやった。

 起きた途端、ぶひぶひ言う彼は本当に豚みたいで可笑しかった。会話も質問ばかりでうっとおしい。無知ほど煩わしいものはないと思った。

 どうせ、すぐに出ていってしまうだろうし、暇つぶしがてら適当にあしらっていたら、思いの外懐いてきて、悪い気はしなかった。


 ─……


 最悪の気分。彼の微笑みがミトさんの最期と重なって見えた。故に彼の優しさを、私の防衛反応が拒絶した。でも、これでいい。どうせ、私は一生ここで苦しむんだ。誰も、私の事なんて救ってくれやしない。


 数時間ほどして、彼は再び口を開いた。それからは他愛もない話をずっと一人で続けていた。私が無視をし続けても、飽きることなくずっと。どうして、ここまで私に付き合えるのか。頭で何かがずっとモヤモヤしている。


「昔の僕は童話が好きで、色んな絵本を読んで、人形劇まで見に行ったぶひねぇ」


 その言葉に思わず、身体が反応してしまった。彼の話す本はだった。そして


「『豚の王子様』」


 その名前が出た時は心臓が跳ね上がった。


「僕は豚の王子様になりたかったんだぶひ」


 彼はその本が人生とまで言い切っていた。それなのに彼の声は何とも悲しげで、誰かに懺悔するような口調で言葉を紡いでいた。


「結局、強さって何なんだろうぶひねぇ」


 それはきっと──


「酔狂な噺はそれで終いか?」


 私が言葉を出せぬまま、彼は去ってしまった。


「また会えるといいぶひねぇ」


 最後まで笑いかけてくれた彼の顔を見て、私はある決意を抱いた。


 全員が出ていったのを見計らってから、予め爺の部屋からくすねていた錠の鍵を使って枷を外す。


 私は─


 




































  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る