第23話 招かれざるもの
'◎'
あれ以来、バンディーダがいくら話しかけてもクシスは何の反応も示さなくなってしまった。
色々な話題を振ってみるが、彼女は一言も発さない。
美味しいお菓子の話、綺麗な服の話、可笑しな貴族の話、面白い本の話、ダンジョンでの失敗談など、彼が思いつく限りの話題を提供するが、彼女は眉ひとつすら動かさなかった。
「ふぅ」
ネタが切れ始めたバンディーダは、一息だけ吐いて思案に耽り始める。そして、一つだけ頭に浮かんだ話題があったが、
この話題は少し幼稚すぎるぶひ。まあ話したところで結果は変わらないぶひから、関係ないぶひか。
と半ば投げやりに再び口を開いた。
「昔の僕は童話が好きで、色んな絵本を読んで人形劇まで見に行ったぶひねぇ」
その時、彼女の身体がビクンと震えたような気がした。どの言葉に反応したのか、バンディーダは探り探りに言葉を選んでいく。
「初めて読んだ本は確か『リスと紫のどんぐり』だったぶひ。あれは母上に読み聞かせてもらってから、劇場まで一緒に見に行ったぶひ」
無反応のように見えるが、聞き耳を立てているように思える。
「他にも『赤鼻の男爵』とか『半月王子』も好きだったぶひねぇ。特に、赤鼻男爵の人形はまだ家にあるはずぶひ」
動かないが、息を殺して耳を澄ましているのが分かる。
「それと.....」
どうしても忘れられないあの物語。思い出として語るにはまだ青く、口にし難い物であるが、バンディーダの声帯はゆるりと紡ぎ始めた。
「『豚の王子様』は僕の人生だったぶひ」
それはあくまで過去形である。バイブルに見た夢は終わりを告げて、今に至るは理解が及ばぬ現実。出会った仲間は安否すら分からないままで、淡々と孤独感が募っていく。それ故に、彼は沈黙を嫌うのだろうか。
「僕は豚の王子様になりたかったんだぶひ。弱虫だったけど、姫のために強くなって彼女を救い出したかっこいい王子様のように。でも、馬鹿な僕は強さとは何かが分からなかった」
その告白は誰に対する懺悔なのか。その思いはもう届くことは無いというのに。
「強さってなんなんだろうぶひねぇ。結局、未だによくわからないぶひ」
僕はただ、もう何も失いたくなかった。
バンディーダの胸中は誰にも悟られず、また推し量られることすらも。
「酔狂な噺はそれで終いか?」
いつの間にか、爺と呼ばれていた老人が牢の前に立っていた。
「ならば、ワシが答えてやろう。『強さとは支配』。貴様ら人間の方がよく知っておろうに」
爺はククク、と呆れるように笑った。
「さて、空虚な戯れにも満足しただろう?その忌み子は誰にも懐かぬ、ましてや憎き人間などはさもありなん」
彼女は俯いたまま、何も言わない。
「そろそろ役目を果たしてもらおうか」
ゾロゾロと龍族たちが牢の中に入り、バンディーダの脇を抱える。
「それじゃあ、また会えるといいぶひね」
その言葉を最後に、バンディーダ達は牢を去っていった。
「この辺りだな?」
枷を付けられたまま、連れてこられた場所は彼が一番最初にいた溶岩地帯であった。
「クシスに感謝するのだな、人間よ。あの娘の鱗がなければ、今頃貴様は丸焼きにやっておるぞ」
爺はバンディーダの背中を指差す。そこには蒼い鱗が引っ付いているのだが、首周りの肉が邪魔をして彼自身はそれを確認することができない。
「あの役立たずでも、最後はそれなりに役立ったか」
後ろに立つ者がポツリと零した言葉に、バンディーダの神経が逆立つ。
「どうしてあの子をそこまで貶せるんだ?同じ仲間だろ」
「冗談言うなよ。あれは只の実験動物。由緒正しき龍族だなんて笑わせるぜ」
その言葉を言い終えるか否かの瞬間、その者に向かってバンディーダは頭突きを放った。
「何をするか、人間!」
その行動に龍族達は爪を立てて、バンディーダを取り囲む。
「これも冗談ぶひ。笑えない話のお返しぶひ」
バンディーダは怯むことなく、それらを睨みつけた。
「よさぬかお主ら!そ奴は大切な鍵だ!穴が開くまでの辛抱よ!」
その言葉に彼らは不服ながらも従う。中には、感情が抑えられず、未だに牙を向ける者もいた。
「さぁ、人間よ!ここへ来た時のように穴を開け!さもなくば、今ここで八つ裂きやろう!」
功を焦ったか、爺は脅し文句をバンディーダに投げつける。しかし、彼は何もせず立ち尽くしていた。
「何か勘違いしているようだから教えてやるぶひ」
「なにっ?」
「僕は何も知らないぶひ。だから、お前らが望むようなことはできないぶひよ」
「とぼけるな!ならば、なぜ貴様はここへ来られたのだ!」
「鍵、穴、地下牢獄、上の奴ら、結局、何一つ説明してもらえなかったぶひからねぇ。何も分からないぶひ」
「知りたい?」
それは無邪気な声だった。悪意など一抹も感じられない、故に警戒心を
「なっ!?」
爺が声を挙げた時にはこの場にいる龍族がほぼ消えていた。
「かつて空を支配していた怪物も今や地の底に這う火吹き
中性的な面立ちに、シルクハットと燕尾服、それにステッキ。まるでこれからお茶会にでも行くような佇まいをしていた。
「あぁ、なんて可哀想なヴィーラ。非番の日だというのに、過去の幻影に縋り付く老害生物が何かを企んでいるからと、お姉様方にお尻を叩かれてこんな暑苦しい所に駆り出されてしまうなんて。でも、それが仕事というもの。笑って業務をこなしましょう。ねぇ、人間さん?」
彼女(?)は踊りながら、バンディーダへ近寄り、肩に手をかけた。その笑顔は狂気的なほどに無機質で、底の無い深淵を覗いているような気分に陥らせる。
「なん、なんだ?」
「そうだ、知りたいんでしたね。なら、教えて差し上げましょう。プライドの高いこのお雑魚さんたちは私たちのことを頑なに上の奴らと呼んでいるそうです。あれほど、『名前+様』で呼べと言っているのに、はてさて脳みそまで腐ってしまっているのか、一度
「ぐっ!」
彼女(?)が爺を一瞥すると、彼は怯えたように声を漏らした。
「そして!外の人間である貴方にも分かりやすいように言いますと!」
瞬間、襲い来る気迫だけで心臓が破裂してしまいそうになる。おそらく、通常の人生で味わうことのないひどく重厚で濃密な殺意と憎悪。それなりの荒波に揉まれてきたという自負はあったが、そこで彼は生まれて初めて恐怖で喉を鳴らすほどにまで慄いた。
「かつて『悪魔』と呼ばれた者」
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