第11話 バーチャルティーチャーと三組の生徒

 二〇二二年四月十八日。今日の朝の教室は、どんな担任がやって来るのかと沸き立っていた。

 先週は綾北あやきた先生の代行終了を惜しんでいたのに、あれは一体何だったんだ。この光景を見たら綾北先生きっと泣いちゃうよ。

 そんな中、いつものようにクールな飛鳥あすかがこっそりと話しかけてきた。

宮ヶ瀬みやがせさん、ちょっとこれを見てほしいのだけれど」

 飛鳥はスマホのアプリ画面をこちらに向ける。

 そこには【黒部くろべ飛鳥 Rank:B】と表示されていた。

 どうやらランクが上がったことを報告してくれたらしい。

「良かったね。これをキープすれば来月は五万円だね」

 微笑みかけると、飛鳥はそうじゃなくてと言った様子で椅子を近づける。

「これ、あなたがやったの?」

 もしかして飛鳥、私がランクをいじったと思ってる?

「いや、私は何もしてないよ。システムに干渉するには管理者権限が無いとダメだから」

「管理者権限?」

「うん。だからね、SSランクの人でも直接ランクを操作するのは無理なんだよ」

「そうなの。全然知らなかったわ」

 管理者権限はシステムの構築に関わったエンジニア、それも責任者クラスの人間しか持っていない。麗華れいかやエレナであってもランクの操作は基本的に不可能なのだ。

「じゃあ、どうしてランクが上がったの?」

「それは飛鳥が頑張ったからに決まってるよ。毎日勉強頑張ってるし、スピーチだって堂々とやり遂げた。システムはそういうのを、ちゃんと見て評価してくれたんだよ」

 優香ゆうかの言葉に、飛鳥は納得しかねたのか少し首を捻ったが、「まあ、素直に受け取った方が幸せかしらね」と呟いて机に戻った。

 そして朝九時。始業時刻を告げるチャイムが鳴ると、教室の前の扉がガラっと開いた。

「おはよう、ございます……」

「いやいや、綾北センセーじゃん!」

 日奈子ひなこの全力のツッコミに、綾北先生が俯いて謝る。

「期待させてしまって、ごめんなさい……」

 別に綾北先生は副担任な訳だし、勘違いした日奈子が悪いのでは?

 綾北先生は教室の窓際で立ち止まると、くるりと生徒の方に身体を向けた。

「皆さんに、先に言っておくと、これから登場する担任は、物理的に入室してくるのでは、ありません……」

 その説明に、クラスメイトは一斉に首を傾げる。

「物理的じゃない入室?」

「つまり、超能力者っすか?」

 アニメじゃないんだから、さすがに超能力者はいないでしょ。

 隣で参考書を読んでいた飛鳥は、ため息を吐いて愚痴をこぼす。

「はぁ。この学校にまともな教師はいないのかしら?」

 その時、黒板の前に突然うっすらと人影が浮かび上がった。最初は青っぽい粒子の集まりだったが、徐々に色が付いていき、やがて若い女性の姿になる。

 ゆっくりと目を開けこちらを見たその女性は、ニコッと笑って口を開いた。

「みんなっ、おはよ〜! 一年四組担任、ゴカモクキョウカだゾっ☆」

 腰に左手を当て、右手で横ピースする自称ゴカモク先生。

 何だこれは。いや、うん、理屈は分かるんだ。分かるんだよ? でも、その、これが担任?

 予想の斜め上を行く展開に、さすがの優香も動揺を隠せない。

「マジでテレポートじゃん!」

 驚く日奈子に、美里みさとが興奮気味に言う。

「違うっす。これはバーチャルアイドルみたいなものっすよ!」

「何ですか、それ?」

 他のクラスメイトには通じなかったようだが、美里の表現は的確だと思う。

 この謎の担任ゴカモクキョウカは、ホログラムによって投影された仮想の存在だ。恐らく触ろうとしても手がすり抜けてしまうだろう。

「今日からはゴカモク先生が授業を担当するから、みんなヨロシクねっ!」

 そして一時限目、バーチャルティーチャーゴカモクキョウカによる国語総合の授業が始まった。

「この国語総合の授業はその文字通り、現代文、古文、漢文、表現といった国語を総合的に学んでいく科目だよっ。じゃあまず、現代文って何だろう? 黒部さん、説明出来るかナ?」

 ゴカモク先生に指名された飛鳥。しかし、参考書の問題を考えているようで答える気配が無い。無視しているのではなく単に聞こえていないだけだろうが、これはあまりよろしくない。

「飛鳥、指されてるよ」

 優香がそっと肩を叩くと、飛鳥はびくっとして顔を上げた。

「えっと、すみません。もう一度お願いします」

 その瞬間、ゴカモク先生が白のチョークを飛鳥に向かって投げた。

 飛鳥はぎゅっと目を瞑りそれを手で防ごうとする。

 だが、チョークは飛鳥の顔の前でぴたっと止まった。

 物理法則を完全に無視している物体に、生徒の視線が集まる。

「黒部さん、授業はちゃんと受けないとダメだゾっ☆」

 ゴカモク先生の声を聞いた飛鳥は、空中に浮かんでいるチョークを床に叩き落として言う。

「授業を聞いていなかったことは謝罪します。ですがゴカモク先生、さすがに生徒にチョークを投げると言うのは体罰ではないですか? 明らかな暴力行為です」

 それに対し、ゴカモク先生は新しいチョークオブジェクトを生成しながら答える。

「そりゃあ本物のチョークを投げたら一発アウトだけど、ホログラムのチョークだからセーフセーフっ。あとあと、BとかCの分際でゴカモク先生に盾突くと痛い目にあうゾっ」

「痛い目? 教師が生徒を脅すのですか?」

 飛鳥が立ち上がって反論する。

 気持ちは分かるが、多分ゴカモク先生には本当に逆らっちゃダメだと思う。

 その予想通り、ゴカモク先生は飛鳥以外にも釘を刺すようにこう告げた。

「ゴカモク先生の言うことは絶対っ。退学って言えばその場で退学にだって出来るんだゾっ。みんなのことは全部お見通しだから、くれぐれも気を付けるようにっ!」

 力なく椅子に座った飛鳥は、こちらを見て囁く。

「職員会議も無しに独断で退学させられるものなの?」

 飛鳥の疑問はもっともだ。教師一人の意思で生徒を退学させることはほぼ不可能である。

 だが、ゴカモク先生はそもそも人間ではない。学校の校務支援システムと繋がっていると仮定すれば、直接データのやり取り、書き換えをすることだって容易だと考えられる。

 加えて、ゴカモク先生はただの自律型人工知能では無いと優香は踏んでいた。

「とにかく、授業中に受験勉強するのはやめた方がいいかも。私にも対処しようがないから」

「分かったわ。宮ヶ瀬さんがそう言うなら……」

 参考書を閉じ、机の中にしまう飛鳥。

 ゴカモク先生はその様子を横目でこっそりと見ていた。


 お昼休み。四組に突如現れたバーチャルティーチャーの噂はあっという間に他クラスにも広まったらしく、続々と教室に生徒が詰め掛けてきた。

「落ち着かないわね」

 飛鳥は騒がしいのを嫌って教室を出ていく。また人気の無い階段でぼっち飯をするつもりなのだろう。

 優香がコンビニ袋からおにぎりを取り出し包装を剥がしていると、いきなり三人組に話しかけられた。

「四組の子だよね? ちょっといいかにゃ?」

 この人たちは確か、三組の生徒?

「うん、何かな?」

 訊き返すと、三人組のリーダーと思しき美少女がこくりと頷いた。

「君たちの担任がにゃんかすごいって聞いたんだけど、どこに行ったか知ってるかにゃ?」

 この人たちもゴカモク先生目当てか。

「うーん、どこだろう? 職員室とか?」

 きっとそんな所にはいない。ゴカモク先生の特性を考えると、休み時間中は仮想空間に逃げているはずだ。

「そっかぁ、残念だにゃぁ……」

 美少女は少し落ち込んだ表情を見せると、気を取り直して自己紹介をしてきた。

「急に話しかけてごめんにゃ。私は日吉ひよし澪奈みいな、気軽にミーナって呼んでね。よろしくにゃ」

 手を差し出す澪奈に、優香も手を差し出して握手を交わす。

「私は宮ヶ瀬優香。こちらこそよろしくね」

 澪奈は猫っぽい口と八重歯が特徴的な可愛い系の美少女だ。語尾の『にゃ』は癖なのか計算なのか不明だが、その容姿だから全然気にならない。

「で、こっちが宮村みやむらちひろちゃんと、土師はじ八千代やちよちゃん」

「どうも、ちひろちゃんで〜す」

「土師八千代。よろしく」

 ひらひらと手を振るちひろと、律儀に頭を下げる八千代。

「二人もよろしくね」

 微笑みかけると、二人は笑顔を浮かべた。

「そうだ。もし優香ちゃんが良かったらにゃんだけどさ、一緒にお昼食べにゃい?」

 澪奈の思いつきに、ちひろと八千代が首を縦に振る。

「是非是非〜。ご飯はみんなで食べた方が美味しいとちひろちゃんは思いま〜す」

「無理にとは言いませんが、ボクもご一緒したいです」

 まあ、一人で食べるのもなんだし。それに三組の生徒と親交を深めるのは悪いことじゃない。

「うん、折角だからみんなで食べよっか」

 こうして優香は、三組の三人と一緒にお昼ご飯を食べることになった。

 三人は一度自分たちの教室に戻り、お昼ご飯を手に再びやって来た。机をくっつけ、四人の島を作る。

「いただきます!」

 みんなで同時に手を合わせる。なんか小学校の時の給食みたいで懐かしい。

 と言っても、食べるものはそれぞれ全く違う。優香がコンビニおにぎり一つなのに対し、澪奈とちひろは彩り豊かな手作り弁当、八千代は専門店の幕の内弁当とかなりの格差がある。CランクとBランクでは毎日の食事も相当異なるようだ。

「にゃぁにゃぁ、優香ちゃんはどこに住んでるの?」

 澪奈が質問を投げかけてきた。

 いきなり住所訊かれるかぁ。澪奈は純粋な質問のつもりなんだろうけど、優香としては少し答えにくいものがある。

 あと『にゃぁにゃぁ』とは一体。普通『ねえねえ』とか『なあなあ』でしょう。

「えっと、有明ありあけだよ。新有明しんありあけ駅から少し歩いた所」

「へぇ、有明にゃんだ? 私は結構買い物とかで有明には行くよ」

「ちひろちゃんも時々遊びに行くことあるよ〜。ゲームセンターとか大きいのあるし」

 有明と聞いた澪奈とちひろがそんな言葉を述べる。だから何だって感じではあるが、彼女たちはきっと有明知ってるよアピールをしたかったのだろう。

 一方、八千代はその会話には加わらず、黙々と食事をしていた。

「およ? どしたん八千代?」

 首を傾げるちひろに、八千代が慌てた様子で答える。

「ううん、何でもない。有明、ボクはあんまり行かないから……」

 八千代のことを最初は物静かなタイプだと思っていたが、ちひろの反応からして意外と喋るタイプなのか?

「そっかぁ。じゃあ今度みんにゃで有明行こうよ?」

「いいねいいねぇ。ちひろちゃんが直々にクレーンゲームのコツを伝授してあげよう」

「ボクの為にそこまでしなくても」

「ほらほら、遠慮しにゃいの! もちろん優香ちゃんも行くよね?」

 急にこちらにパスが飛んできた。

 これ、私も参加するの? てっきり三人だけの約束かと思っていた。

「予定が合えばね」

 一旦適当に流しておく。

「それもそうだにゃ。あとで日にちの候補送るから、返事よろしくね」

「いや。私、澪奈とフレンド登録してないけど……」

「じゃあ今教えて。グループに招待してあげるから」

 フレンドリーなのはいいけど、ここまで来るとただの強引な人でしかない。

 IDを教えると、半ば強制的に澪奈たちのLINEグループに入れられてしまった。

「よし、これでオッケー。優香ちゃん、どんどん絡んできていいからね!」

「は、はい……」

 完全に澪奈のペースに巻き込まれてる。下手すれば飛鳥より厄介だぞこの人。

 すると、優香の心の声が伝わってしまったのか、八千代が顔を覗き込んできた。

「すみません、大丈夫ですか? 無理に仲良くしなくていいんですよ?」

 しまった、余計な心配をさせてしまった。

「ありがとう、大丈夫だよ。八千代とも友達になりたいし」

「そうですか。グループから抜けたい時はいつでも言ってください」

「うん、本当にありがとうね」

 八千代も普段から振り回されているのだろうか。新参者の優香をかなり気遣ってくれる。

 気が付けばお昼休みもまもなく終わりの時間。

「待ってれば先生来るかにゃって思ってたけど、結局来なかったにゃ〜」

 澪奈は四組にいればゴカモク先生を見られるかもと期待していたようだが、ゴカモク先生は最後まで姿を現すことは無かった。

「今日は残念だったけど、絶対どっかのタイミングで会えると思うよ〜」

「ちひろさんの言う通りです。四組の担任なら廊下ですれ違うこともあるでしょうし」

 どこかで見かける機会はあると思うが、廊下ですれ違うことは確実に無い。

 ただ、三人がゴカモク先生に会いたい気持ちはよく分かった。

「また四組に遊びにおいでよ。お昼一緒に食べられて楽しかった」

 楽しかったも何も振り回されただけなのだが、一応社交辞令として言っておく。

「私も楽しかったよ。また来るにゃ!」

「優香っち、ばいば〜い」

「では、失礼します」

 三人は机を元の位置に戻し、自分たちの教室へ帰っていく。

 その直後、飛鳥がこちらを睨みつけてきた。いつの間にか戻って来ていたらしい。

「私の机、誰が勝手に使っていいと言ったのかしら? 後ろに余ってる机なんていくらでもあるでしょうに」

「ごめんごめん。流れで三組の子たちとお昼食べることになっちゃって……」

 それを聞いた飛鳥は、椅子に腰掛けながら首を傾げる。

「三組? 名前は?」

「その子たちの? 澪奈とちひろと八千代だけど……?」

 名前を聞いてどうするんだろう? まさか殴り込みに行ったりしないよね?

 すると、飛鳥は優香に顔を近づけて問いかける。

「八千代の苗字ってもしかして土師?」

「えっ、何で知ってるの? 知り合い?」

 驚く優香に、飛鳥はかぶりを振る。

「いえ、全く知らないわ」

 何それ怖い。どういうことだ? 話が見えてこない。

「飛鳥、一から説明してもらってもいいかな?」

 だが、飛鳥から八千代について聞く前にゴカモク先生が黒板前に現れた。

「そろそろ授業始めるから、先に準備しておくんだゾ☆」

「うわっ、ゴカモクセンセー急に現れないで下さいよ〜!」

 日奈子が身体をビクッと震わせる。

「ごめんなさい、後で話すわ」

「うん、分かった」

 なぜ飛鳥が八千代を知っていたのか。そして、八千代は何者なのか。授業終わりに全てを聞いた優香は、澪奈から届いていたLINEに返信をした。

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