第8話 アブナイお泊まり会

「で、この変態女はどうするの? 一人で寮の部屋に帰したらまたやりかねないわよ?」

 花音かのんの部屋を出た後、飛鳥あすかが問いかけてきた。

 確かに、今このまま帰したら菜月なつきは同じことを繰り返す可能性が高い。

「そうだね。じゃあ私が一旦預かるよ」

「まさか、あの家に連れて行くつもり?」

「他に連れて行く場所も無いしね」

 それに、菜月が優香ゆうかのことを好きであるなら、自宅に連れて行くことで何かが満たされるかもしれない。

宮ヶ瀬みやがせさんが良いなら、別に良いのだけれど。私はこれで失礼するわね」

「うん。また明日ね」

 優香はひらひらと手を振って飛鳥を見送ると、項垂れる菜月の腕をがしっと掴んだ。

「ほら、行くよ。今日は私の家でお泊まりだからね」

「優香の家にお泊まり……? 私が!?」

 時間差で驚く菜月に、優香はこくりと頷く。

「夜中に花音を襲われちゃったら、こっちは止めようがないからね。今日だけの特例措置だよ」

「着替えとか、どうすればいいの?」

「絶対に逃げないと誓えるなら、家に戻ってもいいけど?」

 多分、菜月は逃げない。優香と一夜を共に過ごせると聞いて、それを棒に振るようなことはしないはずだ。

「分かった。約束する」

 ほらやっぱり。

 部屋の前で待つこと十五分。ボストンバッグを持って菜月が部屋から出てきた。

 二人で地下鉄に乗り、新有明しんありあけ駅へと向かう。

「優香って有明に住んでるんだ?」

「そうだよ。レインボーブリッジとか富士山が綺麗に見えるの」

「へぇ。そんな物件があるなんて知らなかった」

 物件自体は当然ある。きっと菜月は格安物件を想像しているのだろう。

 Cランクの人間にとって、湾岸地区のタワーマンションは夢というよりフィクションに近い。本当にあんな建物に住んでいる人がいるのか、そもそもあれは住める場所なのか。ベーシックインカム三万円では到底辿り着けない、未知なる空間。優香は今からそんな場所に案内しようとしている。

 菜月は一体どんな反応をするだろう。期待を胸に駅からマンションへと歩く。

「ほら、ここだよ」

 優香が自分の住むタワーマンションを指差すと、菜月はそれを見上げてしばらく固まった。

「……ちょっと待って。ここ?」

「そう、ここ」

 菜月は確かめるように、マンションと優香の顔を何度も交互に見る。

 そして、まさかと言った様子で問いかける。

「ねえ、優香ってお金持ち?」

 うん、お金持ち。

 なんて秘密を暴露するつもりはない。

 しかし、極力嘘はつきたくないので事実の中からベストな回答を選ぶ。

「毎月貰えるのは三万円だよ?」

「そうだよね。ランクが同じなら給付額は一緒だよね。じゃあ家賃は三万以下、な訳あるか?」

 思考が追いつかないのか軽く混乱している菜月。

 どうせ考えても答えは出ない。この謎を解くには重大な秘密を暴かなければならないから。

「立ち話もなんだし、とりあえず入ろう?」

 頭上にはてなマークを浮かべる菜月に、中に入るよう促す。

「そ、そうだね。優香の部屋、すごく気になる」

 優香は菜月を連れてエレベーターで二十三階へと上がり、自宅に案内した。

「ただいま〜」

「お邪魔します」

 一人暮らしだから誰もいないのに、ぺこりと頭を下げる菜月。

 どうして飛鳥といい菜月といい、家に上がる時に敬語になるのやら。高級物件に緊張してしまうのだろうか?

「荷物はその辺に適当に置いちゃっていいよ」

「じゃあソファの横に置くね」

 菜月は着替えの入ったボストンバッグをリビングの床に置くと、まずは窓際に向かった。

「うわぁ、本当に景色がよく見える。有明から富士山って見えるんだ」

「今日は晴れてるから、くっきりと見えるね」

 毎日眺めていると慣れてしまって何の感情も湧かなくなるが、引っ越してきた時は優香も今の菜月くらいテンションが上がったものだ。

 景色を見終えると、今度は興味深そうに室内を見回す。

「この家、あんまり生活感無いよね? 基本的に必要最低限の物しか見当たらないし。優香の家ならもっと可愛いぬいぐるみとかで溢れてるかと思った」

 菜月の思う私のイメージって一体。

「まだ引っ越して来たばっかりだからね。これから色々増えていくと思うよ」

「そっか。そしたら今度キャラクターのぬいぐるみでも持って来てあげる」

 別にいらないんだけどなぁ。

 でも、菜月の笑顔を見てしまうと折角の厚意を無下にするなんて出来なかった。

「うん、ありがとね……」

 まあ本当に持ってくるかも分からないし、気持ちだけでもありがたく受け取っておこう。

 だが、それは甘い考えだったとすぐに気付かされた。

「私との愛の巣、可愛く仕上げようね」

 ニヤニヤと気持ち悪い笑みを浮かべ、両手を握ってくる菜月。

 ここで出るのか変態菜月。ああ、今から私はこれの犠牲になるんだ……。

 憂鬱な気分に襲われていると、菜月が思い立ったように手をパンと叩いた。

「そうだ、優香もルームウェアに着替えたら? 私も持ってきたからさ」

 菜月がボストンバッグから大きめのTシャツを一枚取り出す。

 それが変態さんの部屋着か。下を穿かないのは帰宅後の優香と変わらないが、それはあくまで自分の家で一人の状況だからだ。他人の家にお泊まりする時にそんな破廉恥な格好はしない。

「ほら、着替えてきなよ。裸でも大歓迎だから」

「じゃあ着替えてくるね……」

 優香は寝室に移動し、クローゼットから服を選ぶ。

 普段ならスウェットとかジャージとか、ゆるい格好で一日を過ごす。しかし、そんな格好では菜月は喜んでくれないだろう。

 今日は花音の身代わりなのだ。辛い思いをした花音の為にも、恥ずかしいけどこれを着よう。もう成るように成ればいい。

 優香は意を決して、菜月が待つリビングへ。

「勝負服、着てみたんだけど。どうかな?」

「ゆ、ゆゆ、優香っ……!」

 顔を真っ赤に染め、興奮を抑えられない様子の菜月。

 優香が選んだのは、胸元と背中がざっくりと開いたピンクのベビードール。透け感のある素材で丈も短く、服を着ている感覚はほぼ無い。

「ちょっと近くで見てもいい? 何ならお触りも……!」

「触るのは後でね」

 本当は後でも嫌だけど、きっと夜は抱かれるに決まっている。そこはもう諦めた。

 まじまじと見つめられるのはこの上なく恥ずかしいが、とりあえず菜月を惑わすことには成功したようだ。

「可愛いでしょ?」

「うん、最高にエロい」

 それは答えになってないぞ変態。

 ふと時計を見ると、すでに十二時を回っていた。

「そうそう。お昼ご飯、特に考えてなかったんだけど。菜月は何食べたい?」

「優香が食べたい」

「それは夜のお楽しみ。今は真面目にご飯の話してるの」

 そのモードに入ると会話すら成り立たなくなるのか。

 こんなの学級委員の菜月とは完全な別人だ。二重人格に等しい。

「優香に任せる」

「って言われてもなぁ。カップ麺でもいい?」

「優香がいいなら私は」

 ではお言葉に甘えて。

 キッチンに向かい、パントリーからカップラーメンを二つ取り出す。

「醤油ラーメンしかないけど大丈夫?」

「優香が作ってくれるなら何でも」

 すると、なぜか菜月もキッチンにやって来て、優香の身体をベタベタと触りだす。IHコンロのスイッチを入れ、やかんでお湯を沸かし始めると、菜月は背後から抱きつき胸を押し付けてきた。

「菜月は三分間ずっとこうしてるの?」

「ダメだった? 本当は今すぐ脱がせたいんだけど」

 本気でお昼ご飯に私を食べる気だったのか。少なからずラーメンは食べるはずなので、私は食後のデザート?

 食事中は一度落ち着きを取り戻したものの、その後菜月は完全に暴走。午後はあんな事やこんな事をさせられた。そして夜はベッドの上でもう……この先は想像に任せる。


 翌日。菜月は寮に寄ってから登校すると言って、朝早く帰っていった。

 優香はいつもの時間に家を出て学校へ向かう。

 教室に入ると、菜月は日奈子ひなこと談笑していた。

「でさ、アタシ思わず笑っちゃってさ」

「あはは。それは絶対笑うよ」

 何てことない日常の光景。昨日の菜月が幻だったんじゃないかと思えるほどだ。

「菜月、日奈子、おはよう」

 声を掛けると、何も知らない日奈子は軽く手を持ち上げた。

「やっほ、ユウカ」

 さて、菜月はどうする。昨日はあれだけの事をしたんだ。普通に接するのは無理だろう。

「おはよう優香」

 嘘でしょう? いつも通りの挨拶を返してきたぞ。

 強靭なメンタルの持ち主なのか、はたまた本当に二重人格なのか。学級委員モードの時には一切変態の素振りを見せない菜月。恐ろしい。

 程なくしてチャイムが鳴り、綾北あやきた先生が教壇に立つ。

「皆さん、スピーチの準備は、順調ですか……? 本番は、今週の金曜日、です……。あと四日、納得のいくスピーチになるよう、頑張って下さい……」

 それから四日間、優香たちは原稿の仕上げやスピーチの練習など本番に向けてラストスパートをかけた。

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