第5話 スピーチコンテストに向けて(2)

 気が付けば金曜日。月曜日に入学したばかりなのに、ずっと前からこのクラスだったんじゃないかと思えてならない。それくらいにはクラスメイトとの仲も深まっていた。

 優香ゆうかは自分の原稿と飛鳥あすかの原稿を同時並行で進めていた。どちらも半分ほどの進捗だ。一週間後の本番には余裕で間に合うだろう。

 飛鳥は受験勉強中なので置いておくとして、他のクラスメイトはどんな状況なのか。十分休みのタイミングで声を掛けてみる。

菜月なつき、作業は順調?」

「うん、ぼちぼちかな。花音かのんのも手伝ったりしてるから、もしかしたら少し遅れ気味かも」

「いや。私も飛鳥の手伝ってるし、皆そんなものじゃないかな?」

 菜月は花音の作業を手伝ってあげているらしい。席も隣だし、協調性の高い菜月になら花音も相談しやすいのだろう。

「あっ、えっと、優香さんはどんな感じですか?」

 花音が問いかける。彼女は人見知りなりにコミュニケーションを取ろうと頑張っている。

「私も良いペースで進んでるよ。でも、不安だから土日も少し作業するかもだけど」

「優香さんは頑張り屋さんですね。私も、家でやった方がいいんでしょうか?」

 パソコン画面に視線を移す花音。

 それはどこまで進んでいるかにもよるが、スピーチの練習時間を考えると早く終わらせるに越したことはない。

「そうだね、心配ならちょっとでも進めた方がいいかもしれないね。家にパソコンある?」

「私は寮暮らしなので、許可を貰えばこれを持ち出せるはずです」

「そっか、花音も寮だっけ?」

 学生寮は学校の敷地内にあるので、届け出の書類を提出すれば学校の備品であるこのノートパソコンも家で使うことが出来る。寮暮らしの特権って奴か。

「ありがとうございます優香さん。助言までしてもらって」

「ううん、私は何もしてないよ。あと、家でやる時はくれぐれも無理しないでね。一人でやってると、休むのも忘れて『気が付けばこんな時間!』なんてこともあるから」

「分かりました。頭に入れておきますね」

 続けて、日奈子ひなこに声を掛ける。

「調子はどう? 進んでる?」

「おっ、ユウカじゃん。そりゃもうバッチシよ!」

 親指を立てる日奈子。かなり順調なようだ。

「もしかして、もう原稿書き終わったとか?」

「そだよ。後は本番で読むだけって感じ? だから今はミサトに茶々入れてんの」

「へぇ、そうなんだ……」

 この早さで書き終えたのは感心するが、他人の邪魔をするのは如何なものだろう。

 今は教室にはいないようだが、美里みさとはさぞ迷惑しているはずだ。そう思って、美里のパソコン画面を覗いてみる。

【ネクストフロンティアオンラインの魅力! それはずばり可愛いヒロイン達っす!】

 隣人に茶々を入れられながら、全くブレていない。好きを貫けるってすごい。ある意味尊敬する。それと、どうでもいいが語尾の『っす』は文字ベースでも変わらないのね。

「いやぁ、ミサトって面白いよね。アタシの知らないことすげぇ知ってるし。好きなものへの熱量が違うっていうか? マジカッコイイ」

「確かに、趣味への情熱は桁違いだよね」

 日奈子の予想外の言葉に、優香は少し驚きつつ首肯する。

 ギャルはオタクを毛嫌いするものかと思っていたが、優香の偏見だったらしい。反省する。

 それにしても、オタクが称賛される時代が来るとは。十年前、いや五年前でも考えられなかったことだ。

 そこへ、美里が戻ってきた。

「ん? どうしたっすか?」

「いや、どうもしてないよ。美里のテーマはやっぱりアニメなんだね」

「もちろんっす! ネクフロはジブンの人生であり原点っすから」

 人生であり原点? オタクが気持ち悪がられるのはそういうところだと思うよ、うん。

「でもさ、ミサトがすごいのはやっぱ知識量じゃね? いくら好きでもあんなに詳しくなれないっしょ」

「そうっすかね? 好きなら自然と詳しくなりそうなものっすけどね」

 美里はそう言っているが、好きと詳しいは全然違う。もちろん好きで詳しくなることもあると思うが、好きだけどよく知らないとか、詳しいけど好きな訳じゃないとか、必ずしもこの二つはセットではない気がする。

「だとしても、美里は詳しすぎるよ。これだって、かなりコアな部分に着目してるし」

 加えて、美里は詳しいのレベルが違う。このスピーチの内容にしても、制作会社やスタッフの情報を交えたり、原作との相違点を細かく説明したり。それでいて聴衆に観てみたいと思わせるようなスピーチに仕立て上げているのだからさすがだ。

「おおっ、これが分かるっすか!? もしかして宮ヶ瀬さんもこっち側だったり?」

「いや、このシーンを知ってたのは偶然だよ。でも、あの映像はちょっとすごいなって思った」

 本当は美里が自己紹介で言っていたから気になって、定額動画配信サービスで一期だけ観てみたのだ。結構面白かった。でも、それを言ったら美里がグイグイ来そうなので黙っておく。

「素人であそこのシーンに気付いたって人は初めてっす。宮ヶ瀬みやがせさんとは是非とも一度鑑賞会をしたいっす!」

「あはは、考えておくね……」

 何も言わなくてもグイグイ来るのか。苦笑いを浮かべつつフェードアウト。

 最後にかえでの後ろを通って席に戻る。

 楓は授業中、一人で黙々とパソコンに向かっていた。そんなロボット少女は一体どんなテーマにしたのだろう?

 遠目でタイトルを確認すると、ルネサンス史のどうたらと書いてあった。これは論文か?

 席に着くと、飛鳥が問いかけてきた。

「偵察の成果はどうだった?」

「うん、みんな頑張ってるみたいだったよ。テーマも個性があって、早く聞いてみたいなって思った」

「そう。なら、私のスピーチはそのレベル以上にものにしなさいね」

 いやいや、要求水準上がってません?

 チャイムが鳴り、綾北あやきた先生が作業を再開するよう指示を出す。

 四組の生徒は参考書を開く飛鳥を除き、再びパソコンやスマホを操作し始めた。


 昼休み。自販機で飲み物でも買ってこようかと席を立つ優香の元に、花音がやって来た。

「すみません優香さん。少しだけいいですか?」

「うん、いいよ?」

 花音の方から話しかけてくるなんて珍しい。何の用だろうか。

「ここだとあれなので、場所を変えたいんですけど」

「じゃあ一緒に自販機のところ行く?」

「はい、それで構いません」

 とのことなので、優香は花音を連れて一階の自販機コーナーに向かった。

「で、話って?」

「あの、率直に聞きますね。優香さんは菜月さんを怖いと思ったこと、ありますか?」

「菜月を?」

「はい。私、たまに菜月さんを怖いと思う時があるんです。目つきなのか仕草なのか、理由は分からないんですけど……」

 菜月とは入学初日から会話をしているが、そんな風に感じたことは一度もない。

 しかし、人見知りである花音の敏感な心には怖いと感じる瞬間があったらしい。

「それってどんな怖さ? イライラしてるとか、冷たいとか」

「そうですね……。私のことを狙ってる? みたいな。すみません、変なこと言いました」

「別に変なことじゃないよ。これは本人がどう感じたかって話だから」

 狙ってる? つまり、菜月は花音を恋愛対象、或いは性的対象として見ているということか。

「でも、どうしてそれを私に?」

「優香さんからは、怖さを感じなかったので」

 花音が優しい人と認定してくれたのは嬉しいけど、私にも裏はあるのよ。

 と言っても、四組のメンツは個性派揃いなので、菜月以外に頼ろうとなると必然的に優香しか選択肢が無いのかもしれない。日奈子はギャルだし、美里はオタクだし、楓は無感情だし。そして飛鳥は絶対に論外だろうし。

「話してくれてありがとう。花音の不安は分かった。もし困った時とか、助けてほしい時は電話してね。私は基本的に暇してるから」

「はい、こちらこそありがとうございます」

 優香は自販機でお茶を購入し、花音と共に教室へ戻る。

 すると、待ち構えていたのか菜月が笑顔で机に寄りかかっていた。

「二人だけで内緒話なんてずるいよ。私も交ぜて」

「ごめんごめん。お昼一緒食べよ」

 いいよね? と視線を送ると、花音は怯えながらもこくりと頷いた。

「はい、優香さんと三人で食べましょう」

 花音にとって、『三人』であることが重要なのだろう。

 優香と菜月、花音は机をくっつけて島を作った。

 昼食を食べている間も、菜月は色々と話しかけてくれる。会話が途切れて気まずくならないようにという彼女の配慮だろう。

「優香はさ、やっぱり飛鳥が好き?」

 唐突な質問に、優香は驚いてかぶりを振る。

「えっ? いやいや、好きも何も無いって。恋愛感情とか一ミリも無いよ」

「ふーん?」

 ジト目で見つめられる。確かにキスはした。でもそれは飛鳥を揺さぶるためであって、他意は一切無い。

「そしたら、私にも可能性はあるってことでいい?」

「うん……うん?」

 今の言葉の真意が読み取れず、首を傾げる優香。

「私、本気だから」

 呟いた菜月がその時に一瞬だけ見せた表情は、どこか不気味で恐怖を感じるものだった。花音の言う『狙ってる』の意味が少し分かった気がする。

「じゃあ花音は? 好きな人いる?」

 ターゲットが花音に移る。

「いえ、いません。それ以前に、人を好きになったことがありません」

「そうなんだ。なら、私が一から教えてあげようか?」

 菜月が花音の手を握る。

「ひっ! だ、大丈夫です。菜月さんに教えてもらう必要はありませんから……!」

 花音の声は震えていて、かなり怯えている様子。

「そっか、残念」

 肩を落とし手を離した菜月は、目線だけを動かして花音の全身を舐め回すように見ていた。

 花音には危険が迫っているのかもしれない。そう感じた優香は、菜月の動向を注視することにした。

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