第4話 スピーチコンテストに向けて(1)

「おはよう優香ゆうか。昨日はあの後大丈夫だった?」

菜月なつき、おはよう。うん、大丈夫だよ。こっちこそ、食べ残し押し付けちゃってごめんね」

「ううん、私が無理やり飛鳥あすかに近づいたのが悪いから。気にしないで」

 下駄箱で菜月と一緒になった優香は、談笑しながら教室へと向かう。

「そっか、菜月って寮暮らしなんだね」

「家は世田谷せたがやだから、ここに通うにはちょっと面倒なんだよね」

「確かに、一旦都心に出なきゃだもんね。環八かんぱちの下に地下鉄でも通れば便利になるのに」

「本当それ」

 教室に入ると、すでに飛鳥が自席で勉強をしていた。

「飛鳥おはよう」

 声を掛けると、飛鳥はこちらを一瞥して「ええ、おはよう」と無感情に言った。

 今日は古文の参考書か。それにしても、飛鳥はどこの大学を目指してるんだろう? やっぱり国立だったり有名私大だったりするのかな?

 鞄から筆箱とノートを取り出しつつ、質問を投げかけてみる。

「ねえ飛鳥? 毎日勉強頑張ってるみたいだけど、希望の進学先とかあるの?」

 すると、飛鳥は解説文に目を落としたまま答える。

法明ほうめい大学。それより下の大学に興味は無いわ」

「法明かぁ。何学部?」

「法学部よ」

 もう話しかけないでと睨まれる。

「わ、分からないところあったら訊いてね……」

 これ以上絡むのは危険だ。優香は大人しく授業開始を待った。

 キーンコーンカーンコーン。チャイムが鳴り、教室に綾北あやきた先生が入ってくる。

「皆さん、おはようございます……。今日から、授業が、始まります……。ですが、最初に行うのは、普通の授業じゃ、ありません……」

 その言葉に、教室が少しざわつく。

「普通じゃない?」

「どういうことっすか?」

 飛鳥も意味が分からないといった様子、というよりも普通の授業を受けさせてくれといった様子で、綾北先生に視線を向けている。

「来週の金曜日、四月十五日に、一年生全員に、スピーチを、してもらいます……。そのために、今日から、その日までは、調べ物や、台本作成、スピーチ練習などの、準備を、してもらいます……。テーマは、もちろん、自由です……。また、準備期間中は、友達同士での協力や、作業の分担なども、認めます……」

 つまり、一年生に課せられる最初の課題ということか。テーマを設けないのは、新入生の興味関心や性格を把握する目的も兼ねているからだろう。

「本当に何を喋ってもいいんすか⁉︎」

 美里みさとの問いに、綾北先生はこくりと頷く。

「はい……。法律や、常識の、範囲内であれば……」

 それに反するスピーチって逆に何だろう。

「法律は絶対に守るっす! よーし、やる気出てきたっすよ!」

「それマジ最高じゃん! アタシ何話そう?」

「人前に出るのは苦手だけど、好きなものを話すだけでいいなら出来るかな……?」

「生徒に主体性を持たせるのは同意ですが、テーマには一定程度の制限が必要ではないでしょうか?」

 盛り上がる美里と日奈子ひなこ、困惑気味の花音かのんかえで。この時点ですでに性格の差が出てきている。

 隣では、飛鳥が大きなため息を吐いていた。

「飛鳥、やる気出ない?」

「ええそうね。積極的に取り組む気にはなれないわ」

 とにかく勉強をしたい飛鳥にとって、この一週間授業が行われないのは相当なショックだったようだ。

「でも、絶対にスピーチはしなきゃいけない訳だし。テーマが決まれば少しはやる気になるんじゃない?」

「テーマって言ったって、私が唯一関心を持つのは個人評価法だけだもの。それ以外を調べている時間なんて無駄でしかないし、個人評価法について調べようにも機密情報だらけで薄っぺらい内容にしかならないでしょう?」

「個人評価法ねぇ……」

 飛鳥はランク降格という屈辱を味わっている。だからこそ、その評価基準とか法律自体に疑問を抱いている。そう推測すると、有名私大の法学部を目指していることにも納得出来る。

「十分休憩の後、一時限目から、スピーチの準備に、取り掛かって下さい……。ノートパソコンは、学校が貸与しますが、私用のデバイスを使っても、構いません……」

 朝のホームルームを終え、綾北先生が一度職員室に戻る。

 今の言い回しから察するに、調べ物や原稿を作成する際にノートパソコンに限らずタブレットやスマホを持ち込んでも構わないということか。

 それならばと、優香は飛鳥にこんな提案をした。

「個人評価法について、私が原稿を書いてあげよっか?」

「えっ? あなたが?」

 驚いた表情で目をパチクリさせる飛鳥。

「一応飛鳥には調べ物をしてるふりはしてほしいけど、基本的には普通に勉強しててもらって構わないよ。それとも、私の原稿を書いてくれたりする?」

「ちなみに宮ヶ瀬みやがせさんのテーマは?」

 私か。まだ決めてないや。何にしよう?

「うーん、ネコ?」

「絶対に書かないわ」

 出任せな答えだったが、そこまできっぱり拒否されると結構傷つく。

「だよね。うん、分かってた。だから、飛鳥は勉強してて。スピーチ、初見でもいけるよね?」

「余裕よ。どんな機密情報が明かされるのか、期待しているわ」

「いや、そこまで期待されても困るんだけど……」

 確かに優香は、他の人よりも個人評価法周りについて色々と知っている。しかし、それはあくまで高いランクに上がるためのコツとか裏技みたいなもので、法律そのものじゃない。飛鳥が法学部で学びたいのは個人評価法の法律そのものだと思うので、カテゴリーは微妙に異なっている気がする。ただ、飛鳥がAランクに戻りたい、あわよくばSランクに上がりたいという意思があるなら、優香の知識は決して無駄にはならない。

「今さら怖気付いたとか言わないわよね?」

 顔を覗き込んでくる飛鳥に、優香はかぶりを振る。

「そんなことないよ。昨日約束したでしょ? 飛鳥を助けてあげるって。スピーチの内容は、きっとSランクに上がるヒントにもなるから、楽しみにしててね」

「ええ、本当に楽しみだわ。それで本番ロクな内容じゃなかったら、相応の罰を受けてもらうから覚悟しておきなさい」

 どの立場で言ってるんだ。私が原稿を書かなければ当日慌てるのはあなたの方だよ?

「二人はもうテーマ決めたの?」

 その時、菜月が椅子ごと振り向いて話しかけてきた。

「うん、今決めたところだよ。菜月は?」

「私もさっき決めた。環境問題について調べようかなって」

「環境問題、結構難しそうなテーマだね?」

「うん。でも、高校生になったんだし、それくらいはやらないと」

 さすが菜月。意識が高い。

「で、優香と飛鳥は何にしたの? ずっと相談してたみたいだけど」

「私がネコで、飛鳥は個人評価法だって。ね?」

 肩に手を乗せると、飛鳥は「まあ、一応」と目を逸らした。

「へぇ、優香はネコが好きなんだ?」

「うん、割と好きな方かな」

 出任せがどんどんと既成事実化されていく。別にネコならネコでもいいんだけど、出来れば評価されるスピーチがしたい。学校にも個人評価法のシステムにも。

「それで飛鳥が」

 菜月が飛鳥に話を振ろうとしたところで、チャイムが鳴ってしまった。

「ごめん、この話はまた後でね」

 机の位置に戻る菜月。

「細かく訊かれなくて良かったわ。お昼休みになったらどこかに避難しないと」

 飛鳥はホッとした様子で、ぽつりと呟いた。

 程なくして、綾北先生が再び教室に姿を現した。今度は重たそうに段ボール箱を抱えている。

「綾北センセー大丈夫? 腰痛めたらヤバイって」

 それを見兼ねた日奈子が立ち上がり、すかさず箱を支えた。

 見た目はギャルだが、意外と気が利くらしい。

「よいしょっと」

 床に段ボール箱を置き、日奈子は急いで席に着く。

「それでは、授業を、始めます……。ノートパソコンが、必要な人は、箱から、持って行って下さい……。学校の、備品なので、くれぐれも、壊さないように、お願いします……」

 全員が取りに向かうので、浮かないように優香と飛鳥も列に並ぶ。

 箱に入っていたノートパソコンは、最新型のハイスペックな機種だった。調べ物と原稿作成だけに使うには勿体無いほどの性能。どんなに重いゲームやソフトも、これならばサクサク快適に動くことだろう。

 ほとんどの人はネットとワープロさえ使えれば良いのでそんなことは気にしていない様子だが、美里だけは少し興奮気味だ。

「うおぉっ! これCore i9にGPUが4GB、メモリも16GBだし、ストレージなんて1TBじゃないっすか! 神スペックっすよこれ!」

「は? 今ミサト何つったよ? 全然分かんねーし」

 日奈子は可笑しそうにケラケラと笑っている。

 それを横目に、優香はノートパソコンを机に置いて席に座った。

「で、本当に宮ヶ瀬さんに任せてしまっていいのかしら?」

 飛鳥が参考書を開きながら、最終確認をしてくる。

「うん。大船おおふな行きに乗った気持ちでいて」

「それ電車じゃないのよ。私は『おおふな』じゃなくて『おおぶね』に乗りたいのだけれど」

 ボケを冷静に受け流されるのって悲しい。

「心配しなくて平気だよ。ちゃんとやるから」

「そう。じゃあ私は法明法学部を目指して勉強するわ」

 飛鳥が参考書に視線を落とす。

 さてと、私もやりますか。

 優香はパソコンにネコの画像を表示させると、スマホのメモ帳に文章を書き始めた。


 あっという間に昼休み。授業が終わったと同時に飛鳥が教室を出て行ってしまったので、優香は校舎内を探し回った。そして、屋上へと続く階段の踊り場でその姿を見つけた。

「飛鳥、こんなところにいた」

「宮ヶ瀬さん? 何か用かしら?」

 優香は飛鳥の隣に腰を下ろし、コンビニ袋からおにぎりを取り出す。

「一緒にお昼食べようかなって。スピーチに向けて協力体制は築いておかないとでしょ?」

「まあそうね」

 飛鳥は頷き、手作りのサンドイッチを頬張る。

「で、進捗はどうなの? まずは自分のをやっているようだけれど?」

 問いかける飛鳥に、優香は首を横に振る。

「いや、パソコンはただのカムフラージュだよ。スマホで飛鳥の原稿の要点をまとめてた」

「そうだったの。自分のを後回しにするなんて、お人好しが過ぎるんじゃないかしら?」

「そうかな? 私のはやり始めたらすぐに終わると思うから」

「あなたのテーマ、ネコだものね。ネコのどこが魅力なの?」

 ネコの魅力。って何だろう?

 出任せを言って誤魔化してたツケが回ってきた。どうせ誰にも聞かれてないし、ここは正直に告白してしまおう。

「うーん。別にネコ好きじゃないけどね。嫌いでもないけど」

「じゃあどうしてネコなんて言ったのよ?」

 当然の疑問だ。フリーテーマで一切興味の無い動物をチョイスする人間がどこにいる。

「咄嗟に出たのがネコだった」

「ずっと猫を被ってるからネコが思い浮かんだのよ。早く本性を現しなさい」

 飛鳥がサンドイッチの最後の一欠片を口に放り込んで言う。

 私、元からこういう性格なんだけど……。

「裏の顔はあっても本性はこれだよ?」

「信じられないわね。裏の顔があると分かった時点で、宮ヶ瀬さんの言動は全てが怪しく聞こえるもの。どうすれば化けの皮を剥がせるのかしら?」

 飛鳥はどうやら本気で裏の顔を暴こうとしているようだ。

 バレたらまずい訳でもないが、個人的には隠しておきたい。

「さあ? 今日もいい天気だね」

 適当にはぐらかすと、飛鳥は優香のおにぎりに齧り付いた。

「ちょっと、私の貴重なお昼!」

「食べ物の恨みを買えば本性を現すかと思って」

「あーもう。午後のやる気無くした。飛鳥の原稿なんか書いてあげないんだからね」

 優香は口を尖らせ、「ふんっ」とそっぽを向く。

 すると、飛鳥は立ち上がってにやりと笑った。

「そんなことをしたら、あなたが脱ぎたがりの露出狂だってクラスに言いふらしてやるわ」

「なっ!?」

 待て待て、それは違う。家でYシャツ一枚で過ごしていただけで私は露出狂じゃない。

「じゃあお昼ご飯返してよ! 空腹で力が出ないから」

 立ち上がって必死に反論する優香。空腹では原稿を書く気力が湧かないので、せめて代わりに何か恵んでほしかった。

「食べてしまったんだもの、返しようがないわ。まさか、口から出せとでも?」

 しかし、飛鳥もなかなか手強い。『返して』の意味がそのままの意味ではないと分かっているはずなのに。

 この心理戦に勝つためには、想定外の行動をして飛鳥を動揺させるしかない。誰にも見られていないことを確認し、優香は飛鳥の頬に手を当てた。そして、ゆっくりと顔を近づけて囁く。

「それじゃあ、飛鳥を食べちゃおっかな」

「は? あなた正気? 自分が何をしてるのか……」

 ごちゃごちゃ言っている飛鳥の口に、優香はそっとキスをした。

「ごちそうさまでしたっ」

 微笑みかけると、飛鳥は顔だけでなく耳や首まで真っ赤にして叫んだ。

「あなたバカなの⁉︎ それとも、そういう趣味? 分かった、おにぎりを食べた私が悪かったわ。原稿は明日でもいいから、二度とこんな真似しないで」

 踵を返し、逃げるように教室へと戻っていく。

 もしかして照れてる?

「って、こんなくだらないことしてる場合じゃないよね。自販機で飲み物でも買って、それでお腹を満たそう」

 優香は一階へと階段を下り、下駄箱の横にある自動販売機コーナーへと向かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る