夕日と吝嗇な冒険

 ゴートラスタ島で最後に観た夕日のことを話して、この脳内エッセイ、しょぼくれ旅行記を終わりにしたいと思う。


 パンフレットをもらいに行った旅行会社で、海外でも使えるというモバイルルーターを薦められたのだけれど、私が契約している携帯電話会社で海外使用の際の定額サービスがあり、廉価れんかなものであったので、そちらを申し込んだ。しかし、念のための用意だ。会社の同僚に「現地の人とのツーショット写真、絶対送ってよ」とからかわれたが、SNSも受信専門、閲覧のみやっている。家族に無事を伝えるメールくらいしか、使う状況が浮かばなかった。隙間時間は本を読む予定だったし、旅行に必要なガイドは事前に思いつくかぎり調べておいて、ノートにメモしたりスクリーンショットを撮っておいた。


 なので、私が頭に叩き込んでいた夕日が美しいとされるスポットへは、インターネットで再度確認する必要もなく迷わず行けた。それ以外の行動は──例によって──一切取らないという徹底ぶり。


 お城のような見た目の、古い病院を改造したというホテルの横の長い階段の中腹に座って、日没の時間を待った。


 人が段々と増えてくる。インターネットが世界中に配った、夕焼けの画像で結ばれた私たち。途中、日本人とアメリカ人のカップルに遭遇し、久しぶりに──というのは大げさだけれども、日本語を口にしたとき、恋しさが水端みずはなのように込みあげてきて、もう頭の中が家に帰ることでいっぱいになった。しまった、と思った。そういう縁に対しては迷惑なことなど毛頭なく、悲しみに埋め尽くされることをごく簡単に許してしまう心の緩さのようなものが今の時期、訪れていたことを知っていたからだった。それは定期的にやってくる。そうじゃないときは結構気を張っていて、職場でも強く、他の部署の人間になにを言われても平気で言い返し、ときに言い負かすことさえできた。


 しかし今は違うのだ。私は島の夕焼けをもっとクリアーな気持ちで、非感傷的に味わいたかったのに。急いでガードを戻そうとしたが、間に合わなかった。


 大勢の観光客であり、黄金色のインスタレーション・アートの鑑賞者たちが、思い思いに声をあげ、写真を撮る中、私は一人、携帯電話を持つ手をだらんと下げたまま、意気を落としていた。


 物語のエンディングを締めるためだけにやってきて、須臾しゅゆでどこかへ引き取られていく無味な幕に見える、光。ほら、もうはけていく。魂を吸い取られ、思考を封じられた建物たちのクレジットが、青白い顔を揃えて、闇を招いている。


 私の旅は終わったんだ、そう思った。どこかほっとする気持ちもあった。きっと、ひたすら家に帰りたいに違いない。そのときそれを確認するのはやめておいたが、望みどおり、帰れるよ、と心に声を送った。きっと帰れる……。




 自由な思いつきも弾けた楽しみも一つもない旅のなにが楽しいのか、と誰かは言うかもしれない。まさしく私はそういう旅しかしなかったのだから。


 私にとって、一時期、旅行は非常に難関であり、人生にそれがなくても悔しがらなくてもいい、と言い聞かせていたことがあった。


 学生時代からずっとパニック障害に悩まされていて、公共の乗り物に長い間乗れなかった。過呼吸はそれほど起こらなかったけれど、発熱と動悸、咽喉頭いんこうとう異常感症があった。ひどいときには近所のスーパーでの買い物もままならず、喉の違和感をごまかすための水が手放せず、無計画の外出は無理だった。だから、そういう不安のなくなった今でも見知らぬ土地では軽めに調整しておくにかぎる、としているわけだ。


 世間では、病院に行って薬を飲むという治療をしている人もいると知ったときには驚いた。私自身でさえ、これは自分の弱さであり、病院に通わなければならないほどの問題だと認識していなかった。生活であれほど不自由を味わっていたにも関わらず。


 社会に出て、最初の就職をしたときにすっかり影を潜めたので、治ったのだと勘違いしたこともあった。その後、会社が倒産して再就職の苦労で再び発症し、それからは、のんびり付き合っていこうなどという表向きの格好よさとは裏腹に、自力で完全に取り除いてやろうと画策し、何年ももがいた。


 旅行も一つの荒療治あらりょうじ。十四歳年上のギャンブラー的な、とても褒められないような生活を送る知人男性がいて、異性としてまったく好きではなかったのに、見習いたい豪傑さでもあったのだろう、これもまるで治療のためと言うように二年ほど交際した。


 なにが功を奏したのかわからない。病気は、五、六年前からいつの間にか姿を見せなくなった。なにかはあったのだろうとは思うのだけれども、いろいろなことがありすぎて、大きな変化がなにもなかった時期がなさすぎて、わからない。思えば、安定や平穏を求めれば求めるほど逃げ水となった、ほぼ不健康で過ごした日々。


 ゴートラスタ島を離れるとき、脳内で、エッセイのためというより自分の人生のために気持ちの整理をしていたら、急にYの作品を読み続けていた理由が答えのように浮かんできた気がした。

 

 物語の中の、一貫して薄弱な現実、足りない中身──。私のおもしろみに欠けた旅に対しても、人々は、きっとこんな意見だと思う。

 

 そのお金があれば国内で豪華な食事をした方がいい。そこまで無理しなくても、もっと手軽に愉快な遊びができるとか、そんな能力があればこんな作品が書けるのに、もったいない、とか……。

 

 恵まれた知能と動かない体、そういう不器量が悲劇に見えるということはありすぎる話だ。至当なことと、気づいてほしい。ただ、人生というものはすべて限定的なのだと。


 容姿はすばらしいのにブログがお粗末な俳優。現実を描くのが不得手な小説家。海外に行って散歩するのがやっとの吝嗇りんしょく家で小心者で神経症気味な会社員。

 その現実が能力として存在していることをどうして恥じなければならないのか。それを変えてしまっては、すべてが壊れてしまう。居る場所から居なくなることを意味しているのだから、生態系規模で壊れるはずだ。つまらない、ちっぽけだと思い込んでいるこの身の回りが産みだされるまでにもどれほどの努力を要したかわからないのに、違うものを求める気持ちもまた、魅力的で、避け難いのだろうか。


 私だって、自分でよかったとか自分が好きだとかは一度も思ったことはない。

しかし、能力をなんら塗り替えることなく、新しい現実も手に入れていた。創ろうと思えば創れる現実。海外旅行なんて一生行けないかもしれないと、ふと寂しく考えた頃からすれば、まるで夢のような今があった。決して大仰な言い方ではなく、散歩するだけで帰ってきたとしても、それは立派な冒険で、奇蹟だ。Yにしても、世間を驚かし、本屋から飛ぶようになくなる恋愛小説を書いてはいないというだけで、批判するようなことでもなければ、憐むことでもない。


 私はYに自分を投影していたのか。失礼な話! 相手はプロの小説家だ。才能は十分。申し訳ないことをした。相手に知られていないのだから、別に構わないかもしれないが。


 今さらこんなことを言って調子がよすぎるかな? あなたの小説は素敵だと思う。闕乏けつぼうを堂々と示し、埋めることなくのこしていく無欲さ。頼りなげな感情とポリシー的抑圧。くつろげない世界で寛ぐというひねくれ精神。


  

 私も自分のアイディアで三日月を伸ばすのは無理だから、あなたの小説をこれからも楽しむ。楽しんでいく。あなたの手作り昆虫図鑑風オリジナル現実世界がそこにある。


 そしてまた、吝嗇な冒険に乗りだすことがあれば、付き合ってもらえるだろうか。

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