小説家

 今の職場は若い社員が多く、趣味系の話はしやすい。同い年の男性営業にYのことを知っているか訊いてみたことがある。

「いやぁ、知らないねー」という返事だった。

 彼も自分の好きなアーティストと作家名を吐いた。まったく聞いたことがない人だったが、インターネットを探ってみると、Yより遥かに知名度が上のようだった。


 二人いる読書友達にもYの話をしてみた。「今、好きで読んではいるんだけど、おもしろいのかおもしろくないのか、自分でもわからないまま読んでてさ」

 一人はほぼ同世代の女性。広い分野に亘り知識が豊富である。「名前は知ってる。でも読んだことはないな」だった。

 もう一人は六十五歳の男性で、以前の職場のお客様だった。ごく近所に住んでいて、通っている歯医者が一緒でたまに会う。期待していなかったのに「ああ、知ってる。『三日月』を読んだ」と言われた。「スティーヴン・ミルハウザーみたいってちょっと思った。あれはおもしろかったんだけど、ほかはそこまで読みたいと思わなかった。恋愛小説もエッセイも、それほど達者じゃないと思う。ちと平凡だね」

「なるほど」と私は言った。「たしかにそうかも。ミルハウザーは『魔法の夜』しか知らないな。もう大分前だけど、読んだの」

「ミルハウザーの短編、すごくおもしろいよ。津村さんが好きそうな作家と思うけど」


 好きでもないのについ読んでしまうってこと、ない? と訊いてみたら、二人とも「ない」と即答だった。それは人物のファンなのよ、作品じゃなくて、と先の女性が呆れて言った。「私も好きな俳優のブログをブックマークして読んでるけどさ、文章へったくそ! って思って、笑っちゃってるもん。つい読んじゃうというより、なんていうか、情報として知っときたい的な……」


 Yの人間性など知らないのに、Yが好きなのだろうか、私は。Yのことをなにか知っておきたいのだろうか。一体なにを?




 翌朝、例のカフェテラスで、泡が浮かんだホットコーヒーを飲みながら、今度は中編の恋愛小説を読む。おもしろいと思ったのが、この物語にはベッドシーンがあり、Yの小説の登場人物にありがちな自分を抑えこみ気味な女性が主人公なのだけれど、「そのシーンを書くのが慣れていなくて恥ずかしかった」という理由で相手の男性を人間ではない設定にした、と作家がエッセイで語っていたのである。男性は幽霊なのかなんなのか、はっきり描かれていない。ただ、自動車事故を起こして罪悪感を抱えて死んだ人物に関係があるらしく、彼の家で、その記憶を閉じ込めた部屋の番人として暮らしている。ときどき当事者が乗り移ったかのように発作代わりの苦しみにさいなまれる。天から声だけで語りかけてくる陽気な友人も同居していて、彼の恋を応援したり雑にけしかけたりする。


 映画館でたまたま出会った二人。主人公・いつきは男性「カイ」に恋をして、声だけの友人の策略もあり、家に招待される。二人はカードゲームをする。カイはこれを使って粋なもてなしをする。勝敗を自由にコントロールして、斎に途中まで負けていると思わせておき最後に勝たせたのだ。

「一体、どうやったの?」と斎は驚く。僕は実はなにもやっていないんだよ、とうそぶくカイに、以前もからかわれたことを思い出し、「また騙したんでしょう」と言って笑い合う。

 斎はここで一気に思いを募らせ、とうとう言葉にしようとする。が、隠し部屋の秘密のせいでトーンダウンするカイ。心を開けない理由があるのだと察した斎は悲しみを抱えて帰ろうとするも、カイに引き止められキスを受ける。

 そのままベッドへ行く。重なり合ったときに、相手に一切の体重がないことを知った斎。朝、カイの説明も聞かないまま飛びだして帰ってしまう。


 この小説『苦しみの苦しくない時間』は、激しく心を動かされたし、近頃で読んだ恋愛小説の中では一番好きな作品ではないか、と思った。


 ただ、本当にうまい、と言われる、「恋愛の名手」のような作家の作品を読んでしまうと、一瞬でその差に気づいてしまう。彼らの小説は豪奢だった。濃厚な味がして、読んだ誰もがため息をつくだけのものが溢れている。読後しばらく息ができなくなり、余韻だらけでしょうがなくなるものもある。

 

 Yの恋愛小説はそうではない。恋愛なのに恋愛をやや避けたところに立っている。波が起こりそうになると、なぜか感情が逃げ、水紋はあっという間に消えてしまう仕掛けになっている。当然さっぱりした味で、ミルクだと思ったら豆乳だったか、という代替品の雰囲気もある。

 

 おそらく、幻想小説を本物の幻想小説として出したものはよかったが、現実のスペアとしてしまったものは、あくまでスペアの域に留まってしまうのだろう。それはガラス窓に映った虚像、左右逆さまの偽物だ。魅力がないわけではない。立ち止まって、そんな虚像に見入ってしまう者もいる。私だ。やはり気になって読んでしまう、としか言えない。もしかすると、Yは現実があまり好きではない、ということなのだろうか。そういう作家は現実を手放すものだろう。なのにYは現実を完全には捨てずに必死に描こうとしている。そんなやり方で、なぜ──。

 

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