この休日の出来のよさを決めるのは

 気候と治安が温暖でさえあれば、旅行先はどこでもよかった。


 ゴートラスタ島を選んだ理由は、私がずっと入れ込んでいる小説家がエッセイに書いていて、憧れていたからだ。元々旅行に積極的な方ではなく、興味も薄く、海外へはアジア以外飛んだこともなかった。


 

 海産物と古き時代の王家が建てた石の建造物よりほかにたいした見所はないらしい。インターネットをひもといてみれば、非常に甘美な歴史を紹介する文章が隅へ押しやられているほど、海の美しさをひたすら讃えるゴートラスタ島体験者たちのポエティックなレビューがひしめいていた。


 海ね……。

 たしかに、異国でダイレクトに突きつけられる景色は、遠い机上きじょうで手すさびに思い浮かべたものを粉々に握りつぶす資格のある真成な夢だ。とても信じがたい色で、見たショックで陶酔を綴りたくなる気持ちもわかる。二度と逢えないという確約で結ばれ、よくここまで来た、と苦労を根こそぎ食べてくれる。また、どこで吹いていても風、というように、その形態は世界共通言語でもある。すばらしさを感じ取れないわけがない。


 ただ私は、もう味わえないかもしれないこの休日に、本当はなにを希望したのか。日頃できない経験を切実に求めて、結構無理して海外にし、島にし、そこには間違いなく素敵な海があると決まっていた。でも「それ」が目的ではない気がする。私は海よりは山派なのだ。


 山ファンに海辺で過ごせ、というのは無理無体だったか。まったく、海が眼中じゃないにしても、携帯バッグに本を入れてくるとは。文庫本でも五冊もいらないだろう。一人で行く海外がはじめてだから、うろちょろして手痛い失敗をするより、ただ普段とは違う空気を吸ってのんびり時間を潰すだけでもいいじゃない、と思ったのだろうか。たしかに、最近全然読書の時間が取れていない。


 まあ、いい考えと言える。小気な私らしい。お土産は会社と実家に渡せば十分。ここで買わなければならない、観なければ、やらなければ、とせっつかれるものもない(それほど島のことを──悲しいかな──知らない)。カナヅチで泳ぐことも叶わないし、そういうシーズンでもないのだ。


 日本に帰れば、車検が待っていた。これが一番痛かった。十三年越えのボロの乗用車だ。しかし、ふいに手に入れた七日間を、自動車会社見積もり巡りで終わらせたくない、そのような根性が生みだした行動力であった。出来の悪い冗談で連れてこられたような場所を歩いている自分の奇蹟を歓迎していた。

 

 

 

 

 

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