→【寝取られではないことを寝取られと思い込むな。】→ノーマルはSSRと同じ数値になれないよなと思う。


→ノーマルはSSRと同じ数値になれないよなと思う。



 認められない。

 認める能力がない。

 どうして認められないのか。

 誰もかれも表向きしか見ていない。見ようとしない。苦痛は知らない。知ろうとしない。知ってもどうという事もない。


『どうしてできないんだ?』

『努力が足りないのだろう』

『そのうちできるようになるよ』

『このくらいまではできて当たり前だから』

『手を抜いているのか?』

『ここは真面目にやっとけよ』


 いくつもいくつも聞いた言葉だった。

 あれらは知らないのだ。できないもの、という当たり前を知らないのだ。だから、己らの当たり前を押し付けることができる。できないのは手を抜いているからでも努力が足りないからでもない。ただ、できないという結果がそこにいつもあるという事が全くわからないのだ。わからないことは許されるのに、どうしてできないことは許されないのだろう。


 それ以上の天才から言われれば、同じように顔をしかめるか愛想笑いでもするしかない癖に。

 『お前と私たちは違うんだよ』とでもいう癖に。どうして己には押し付けてくるのか。一緒ではないか。一緒だ。ただ、数値が違うだけだ。お前らは平均値にいて、己は下にいるというだけではないか。

 なのに、どうしてこんなに違うのだ。


 苦しい。

 苦しかった。


 この世界は、苦しい。

 産まれた瞬間から、苦しくて仕方がない。空気がないみたいに。


 美しいともてはやす舌で、いくつ無能、怠慢と蔑まれてきたか。

 弟を利用して利を得るまで、同じような形はしているが弱弱しく地を這う虫のような生き物でさえ、己を影で馬鹿にしようとしていた。できないものが、できる者をその中でできないからと馬鹿にするのだ。己のような存在を、表では神と讃えるその口で。


 ぶちぶち潰れるしか能がない癖に。

 己に負ける程度の力しか持たぬ分際で。

 羽虫にさえ馬鹿にされねばならないくらいの罪を生まれた瞬間から犯していたとでもいうのか。


 認めろ。

 認めてほしい。

 好きになれ。

 好きになってほしい。

 見ろ。

 見てほしい。


 誰もそうしてくれない。

 誰も己を見ていない。


 だから、それをとても大切なものに思ったのに。






 というような、そうした鬱々としたもので兄神の内側は常に満たされている。

 視点が強制されるように、兄神ばかりを見る羽目になっている。恥ずかしくないのだろうか。ないのだろうな。自分が正しいと思っているのならそれはそうか。


 引っ張りこまれそうだった。あふれ出したそれが濃すぎたか、一瞬そのものにでもなっているという錯覚を受けた。

 底から。浅いくせに粘着質な穴から手が伸びてべちゃりと掴まれたような。


 それは、なんだろう。どういう気持ちなのだろうか。

 俺を見ろという気持ちなのか。

 どうだ、俺が思った通りだろうと、俺は間違っていないだろうと言い聞かせでもしたいのか。仲間でも欲しいのだろうか、見下しているくせに。俺という人に見せてどうしようというのだろう。俺だけでないとしても、見ているのは全員人だろうに。手当たり次第で節操無くなっているとかなのだろうか。


 神と呼ばれるものの中では下の下に過ぎないが、そもそも人とは別物で。

 すでにそういうものですらないからかもしれないが。


 考え自体は、これまた理解が及ばないというほどの事でもない。

 人でも神でも、価値観は己基準でしかないという事だろう。

 むしろ、神のほうができることが人より多いのだから、その傾向が強かったのかもしれない。落ちこぼれは死ねとかいう次元ですらない。できないことがわからない、みたいなレベルで多分できない奴がいないのだ。


 できないやつ、というのは本当にできないのだ、という事をどうしても理解ができないという存在はいる。

 理解が及ばないのだ。


 やれば絶対に一ミリでも前に進むと思っているタイプ。

 そうではない。

 できないというのは、もう決まっているのだ。


 スポーツでは例えば才能がないからプロになれない、といえば理解度も高いようなものなのに。

 どうしてか、できない、一定値以下ということに対しては理解がされない事が多すぎるくらいある。人間でもそうなのだ。

 総数。

 その数、できる存在が多すぎて、できないことが範疇外にされる。

 早い、遅いの問題にも入れていない事を、嫌味からでもなく心底理解できない。


 レベルキャップのようなものだ。

 五十でキャップに到達するなら、そこまでいけるのは当たり前で、それをなんらか超えるなりするのが天才と呼ばれると思っている。

 雑魚がりでも重なれば必ず五十まではこれるのだ、と無意識にでも思っているような人間は多いのではないか。


 二十五しか行けないものも、どう頑張っても十に到達できないものもいるのだ。

 己がそうであると気づき、理解もされない存在だと気付くというのは確かに絶望だろう。

 けれど、そんな中で承認欲求だとか、そういうものがなくなるわけではない。もしそうなれればそれはそれで幸せなのかもしれないのに、求める心が消えてくれるわけではないのだ。むしろ、人より強力である場合さえある。求めても求めても手に入れられなくて満足できないから。兄神のように。


 つまり、幼馴染神とは、兄神にとってそんな中の希望であったのだ。それはそれは綺羅星のように輝いて見えただろう。全て、勘違いでしかなかったけれど。本人からして、全くの埒外で迷惑でしかなかったとしても。


 救われたのは、彼にとって真実だった。


 だから、諦めるという文字はなかったのだろう。

 後戻りできない。

 もう、いろいろなことが限界にきている。


 認める力もないのだ。認めて、まともでいる能力がないのだ。

 だから、その浅い底でわかることを無視することもできずに抱えても、進むしかなかった。


 手に入れたものが、生ごみどころかそもそも手の中にすらなかった夢幻であったなどと、認める力は持っていないし持てないのだから。


 そうして、弟神を利用して兄神は一手を打った。

 全て投げ出した一手である。これまた、見ている側からすればそんなもん上手くいくわけないだろという類の一手である。


 それが自暴自棄なのか、それとも考える能力がなかった故なのかはわからない。

 ただ、諦めたくはなかったという事だけがあったようだ。


 この部分は、つまり話の通り。知っている、大祐から聞いた話の通り。つまり、人を利用する――巻き込むことにした。この部分、能力がないとか関係なく傲慢なところは神話とかにでてくる神に近いものだと思う。

 ただ、人を利用することだけが同じでそれ以外はやはり聞いたこととは異なる。幼馴染神も巻き込んでいるし、そもそも弟神といがみ合う事もない。一方的にそうしろといって、いつものように了解されただけ。というか本当に聞いた話と違いすぎるというか原型なさすぎるだろう。誰が伝えたんだ。人か?


 同じような人間関係を用意して、そこに自分たちを入れた。

 神という生き物としては、それはあまりよくもないことであったようだ。基本的に兄神を見ているとわかるが、この時代というか神という存在にとって人は圧倒的に下に見られているのだ。気持ちよくさせてくれるから利用してやってる、程度の玩具に近いだろうか。個々を判別しているかどうかも怪しい。幾人かいなくなっても気付きもしない程度の興味が神にとって当然。

 そんなものに、一時的にでもなろうとは狂気の沙汰でしかないのだ。


 だから、全てを投げ出した一手。

 ばれずに終わるとは、さすがの兄神も思っていないのだ。

 それでも、やらなければどうしようもなかった。


 兄弟と、幼馴染。

 弟に命令して。


 幼馴染には黙って、兄と弟を入れ替えて。

 自分ではできないからこんなことでさえ弟に投げなければならない事を、兄神は自嘲しながらも止めなかった。


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