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目を開けると芽依がいて、俺の全ては停止した。
「おはよう! お迎えに来たんだよ!」
「あ、あぁ……?」
回らない頭。
混乱。
いや、勝手に入ってくることというのは、前にもあった。
その時やめてくれとはいったはずだが、懲りずに数度繰り返されている。
親も芽依には甘くなっているところがあるし、俺も本気で切れるのもな、と思っていた部分もあって。
覚醒していく頭と、いつもの押し出される怒りのような感情は――冷えた昨日の記憶という水で急激に冷めていく。
心臓がどくどくと煩く鳴って、耳が冬の寒空に出たようにじんじんとしていく。
芽依を見る。
笑顔で、ひどく機嫌がよさそうな芽依を。
昨日のことなど、なかったように。
昨日の事なんて、何も気にすることではなかったように。
「お、まえ?」
「ふふ、びっくりしてる。可愛いよ啓くん……大丈夫だよ。一緒に学校に行こうよ! 心配ないよ。邪魔しないから。ただ一緒にいるだけだよ。友達つくるんだっけ? 一緒にやろうよ! がんばるね!」
その目を見た。
どろりとした目を向けている。
起き抜けで、間抜けな姿をさらしている俺に。
昨日までにはみたことがない目だ。
じっとりとしていて、ねっとりとしている。
それは、子供がする目ではない。
それは、子供が向けてきていい目ではない。
現実の俺が子供ではないからこそよくわかる。
正面で見ている俺だからこそわかる。
年齢から考えても、昨日までの芽依から考えたっておかしい。
「でていけよ!」
とてもそのままではいられなくて、無理やり押して部屋の外に出す。
特に反抗もせず、文句も言わず、昨日のように焦りや怒りなどを瞬間的にだして声を荒げるなどもせず、『あ、もう仕方ないなぁ』みたいな、こちらを子供に見るような、余裕を持った態度に恐怖を覚えた。
内鍵をかける。
それでも不安に思えて、ドアノブからしばらく手を離せなかった。
昨日まで、ただ最近は苛立ちを覚えさせてくるだけの友達が、なぜか異様に怖かった。
いくら、昨日の発言から何を考えたとしても、こんな風になるのはおかしい。
限界というものがあるはずだ。
芽依という存在は天才でもないし、異常でもなかったはずだ。
確かに執着や依存の傾向があって、所謂メンヘラとかヤンデレとかそういうカテゴリに半歩くらいは踏み込んでいた。
でも、だからって、発言一つで考えて、その結果こうはなったりしない。
だって彼女は頭が回るわけでもない、運動が苦手で、容姿はいいがそれ以外に目立つところはなくて、近くにいる人間の影響を強くウケすぎるくらい普通だった。
馬鹿にしているようだがそれで当たり前の話なんだよ。だって子供なんだから。
その根本に異常はそうなかったはずだ。
何か起きたって、それは癇癪だったりぼろぼろ泣き出すとか、そういう不安定さが精々のはずで。
いや、もう、そういうことですらない。
外身だけ同じなのだ。
中身が知らないだれかであるかのようで、芽依でもあるような、矛盾した気持ち悪い感覚。
昨日までの芽依ではなく、他の何かとミキサーにかけたものを中身にしたその皮だけそのままかぶったナニカみたいだった。
「ふっ……ふ……はっ……」
本体とかVRゴーグルがおかしいのかもしれない。
ずっと現実に戻っていないから。
異常が出ているのかもしれない。昨日からよく息が切れる。それは、恐怖だけだと思いたくないだけなのだろうか。そもそも、これだけ続けられていることが異常といえばそうなのだ。そうだ、戻るべきだ、戻る、
「啓くん、大丈夫ー?」
「――は――?」
頭が真っ白になる。聞こえた声は後ろから。
声が聞こえたほう、つまりドアから後ろに振り向けば……ベッドにいつの間にか、外に追い出したはずの芽依が座ってこちらを心配そうに見ている。
ドアの外に追い出して鍵をかけたのだ。俺は。
「じゃーん! びっくりした? 手品でーす!」
きゃらきゃら笑う芽依に焦りを覚えて、無視するようにがちゃがちゃと鍵を開けてドアを乱暴に開けた。
確認したいのか、逃げ出したいのか。
「ばぁー」
そこには、こちらを見てにやにやと嬉しそうにする芽依がいた。
馬鹿みたいに思わず後ろを振り向くと、ベッドに腰かけていたはずの芽依はいつの間にかいない。
ゆっくり首を戻しても、姿は変わらずそこにある。頭がおかしくなったみたいだった。
「――はぁっ?」
ため息のような、しかし絞り出してかすれたような声がでる。
顔の筋肉が引きつるのがわかる。
すとんと、力が入らず腰を落としてしまう。
気が付けば、嘘のように足が震えて立てない。
目の前にいるこれが何をしたいのかわからない。
「ふふ、そんなに怖がらなくていいんだよ。大丈夫だよ。何もしないよ。一緒にいるだけなんだよ。私は違うもん、ちっぽけな自尊心を満たすために異性をそそのかしてけしかけたりしないし、仲良くなりたいのになれなかったからって逆恨みもしないよ? 電話だってかけてあげるし、監禁とかだってしようとか思ってないし、傷つけて喜んだりもしないの」
「なにいってんだ。頭おかしいのか、勝手に入ってきて、くっちゃべってんじゃねぇ!」
誤魔化すように、手元にあったティッシュ箱を投げつける。次に次に落ちているものを投げつける。
声は張り上げたつもりだったが、どうにもぶれていて、最後のほうは酸素が足りなくてかすれるほどみっともない。
力の入らない手で投げられたものの数々にもそう勢いはなく、余裕そうにきゃーきゃーと言いながらドアの向こうにあれは隠れた。
「啓くんは助けてくれた。啓くんがいったんだよ。死なずにすんだんだから考えろって――」
「ひっ――」
生暖かい空気が当たる。
ドアの向こうに隠れたはずの声。
ずっ……と俺の頭の左右から手が伸びてきて、くるりと曲げられて。
後ろから、絡みつくように抱きしめられた。
頬に頬が当たる感触。見る気になれない。
生暖かい生物の温度のはずなのに、一かけらの安心も生まれてくれない。
意味が分からない。全部、全部、意味が。何も。
何が起きているのかわからない。こんな、いきなり。昨日まではわけがわからないくらい、リアルで、リアルだったのに。
振り払う。乱暴に。
でも、芽依はまた、そんなことが気にならないように笑っていた。思いのほか簡単に振り払えることが、逆に相手の余裕さにみえた。
腰が抜けてしまったように立てないから、ずりずりとまたみっともなく下がる。とにかく近くにいたくなかった。とりこまれでもして、俺も別物になってしまいそうで。
異常だ。
昨日までの異常が比ではない異常だ。何かおかしい。こいつは誰だ。
芽依だ。芽依のはずだ、見た目は同じならそれは同じ人間だろう。俺の感覚がおかしいのか?
いや、人間は出たり消えたりできない。手品? そんな馬鹿な話があるか。
「啓ー? 芽依ちゃーん? ご飯できたよー」
母の声。不思議そうな声だ。それはそうだ、子供部屋でこんな意味の分からない展開が繰り広げられているなど誰が予想できるものか。
釣られるようにそれがそちらを見たからか。それともそんな母に一瞬安心したからか。
何が影響したかわからないが、俺は弾かれるように立ち上がることができた。
「あ」
走る。
走った。
転びそうになりながら。
「啓?」
「なんだ? どうした?」
パジャマのまま、半ば習慣でか、靴だけひっかけるようにして、後ろに聞こえた疑問そうな声たちは無視をして外に出る。
離れなければ。
急いで離れなければとそれだけの気持ち。
とにかく拙い。拙いことが起きてる。
バグ。そう、バグかもしれない。
昨日までとゲームが違いすぎると思う。
人生のやり直しみたいなことじゃなかったのか。昨日までそうだっただろうが。
オカルトだろうが何だろうが、いきなりジャンル違いになんかするのはおかしいだろうが。
バグだバグ。
やり続けがやっぱりまずかったのかもしれない。いったんやめる必要があったのかもしれない。
アップデート。アップデートだ。
不具合なら取り除いてもらえるはずだ。ネットに繋がってる意味なんてないはずなのに繋がってるはずだし。最近のゲームじゃ繋がってるのが当たり前だから疑問には思ってなかったけど、おまけみたいに思ってたけど、なら修正も入りやすいはずだ。戻って落ち着いて原因さえ調べればこんなこと。
走る。
走る。
走って、体力が限界に近づいて、立ち止まった。
学校に行こうと起き抜けに言われたイメージから近寄りたくなかったのか、無意識に学校から少し離れてしまうコースを走っていたようだ。どちらかといえば入っちゃダメな山が近い場所。
息を整える。なかなか整ってくれない。
少し喉が渇いた、近くの自動販売機につい目が奪われる。
その自販機の影から、すっと、人影。
「ねー、どこまでいくの? 学校行かないの?」
「あああああああああ!!!!???」
悲鳴だか怒号だか、よくわからない声が漏れた。
変わらず微笑む芽依がいる。こちらに、コップを差し出して。
それは家にいるような手つきで。俺の自宅で使っている愛用のコップで。ここは外なのに。おいて走ってきたはずなのに。
「びっくりした? 啓くんのおかげなんだよー。私は啓くんの近くにいるんだー。いれるの。そうできるんだよ。啓くんの」
けらけら笑って楽しそうに話す声は、届いているが中身は理解もできない。
体力のことなど知ったことないとばかりにまた走り出す。
だって、追いつけないはずだ。追いつけなはずだから。芽依は走るのが遅いし体力もないはずなんだ。だから走り出せば引き離せるはずで、そうでなければおかしくて。
そんなことをいったら、すでに先回りするようにさっきいたことがおかしいけれど。
「違う違う。なんか、知らない、近道でもあったんだ、そうに、違いない」
知らない場所にいきたかった。
そう思ったから、足は山の方へ向かう。いったことがない。俺も、多分昨日まで芽依もないはずだ。
心のどこかでそんなことは意味がないといってはいたが、知ってる場所よりはと。
「大丈夫。大丈夫。駄目なことはできないやつ、だ。俺以外、に、猫被り、は! うまい」
息切れして喋るのは苦しいが、暗示のように、安心させるように、言い聞かせるように吐き出さずにいられなかった。
芽依はとにかく俺や俺の家族といった人間には嫌われたりがっかりされたくない傾向にあるのだ。だから、駄目だと言われるようなことは基本的にはしない。少なくとも自分だけで率先してはしないはずだ。
あれが芽依であるならば。
入り口からしばらくは意外にも整っている様子の山道を昇っていく。
そこまで険しくない道が続く。が、それも最初の方だけだ。だんだん山らしく斜面もきつくなっていく。
大丈夫。体力的にはきつくなってきたが止まる気にはなれない。大丈夫、まだいける。
「獣道、地味てきた、な」
ちょっと意識が朦朧とする。腹も減ったし、何より喉が渇いていた。
それでも進む。止まった瞬間またでてくるような気がしてならなかったから。
痛い。
足がいたい。体中痛い。草木で傷ついて痛い。休みたい。休めない。
「あ」
意識がそれすぎていたか。
単に体力の限界だったからか。
結構昇ってきてしまっていたようで。
ふらりとしたその先は当たり前のように斜面で、良く滑りそうであり。
握力も限界だったから、体は支えられずに。
「ああぁぁ……」
色々と生い茂っていて、とても痛そうなことになりそうで。
下手をすれば命を失っておかしくないその斜面を、間抜けな声しか出さず俺はただただごろごろと滑り落ちていった。
痛い。
かゆい。
熱い。
「ぁ……ぅぅ……」
意識が飛んでいたらしい。
顔を這いまわっていた虫を払い落とす。手に激痛が走った。
「ぎっ……ぐ……ぅぅ……」
体中が痛かった。息をするのも辛い。
生きているだけで感謝すべきなのだろうか。幸いというか目はやられていないようで、ちゃんと見える。しかし顔は全体的に痛い。
視線だけ向ければ、結構な距離を転がってきてしまったようだ。どこなのかわからない。けれど、ちょうどさっきよりなおさら分かりにくいが、なんとなく道になっている気がする場所にいるらしかった。
「これ、は……」
左手が痛いと思ったら、どうやら枝が貫通しているようだった。
自覚すると、更に痛くなってくる。とても熱くて、とても痛い。
抜いたらダメだと、どこかで聞いたことがあるような気がする。でも、良いと言われたって今自分で抜けそうな気持ちに離れなかった。涙が勝手に次々に出てくる。痛みと感情で器が限界だった。
それでも立ち上がろうとする。このままここにいても泣く以外何もできない。
どうして、どうしてと繰り返しながら涙を流して、刺さった箇所は見ないようにしてなんとか力を入れる。
足にも激痛が走った。
何かが刺さったりしている様子はないが、ズボンは破れて血がにじんでいるし、右足の足首には鈍い痛みに熱を持っているような感じがするし、左足は脛が強烈に痛い。折れてはいないかもしれないが、ヒビくらい入っていてもおかしくはないくらいに。怖くて、歩けなくなりそうで、見る気持ちになれない。変に曲がったりしないから、大丈夫だと繰り返す。
満身創痍だ。
多分、一歩間違えば死んでいてもおかしくはなかった。
「なんで、何で俺がこんな目にあうんだよぉ……」
涙が止められない。
理不尽だと思った。
とにかく痛かった。痛くて頭が回らない。どうしてこんなところにいなきゃいけないのか。家に帰りたかった。
ゆっくりと、道らしきものに沿って歩く。
どうにか人を見つけるかしないと、逃げる逃げないより別の事で死んでしまいそうだから。
もう無いような体力を振り絞って歩いた。ずるずると引きずるように歩いた。
「ぼろぼろ……社……?」
道の先には、朽ち果てたようにボロボロになっているものの、社であるのだろうものがあった。
その先に道はない。ここにたどり着くまでのものだったのだろうか……?
上も下もどういけばよくわからなかったから、行ける方向にいったつもりだったけれど、もしかしていかなければいけない道は逆だったのだろうか。人が来ているような場所には思えない。
そう思うと、振り絞っていた力が抜けてしまう。
「どうしたらいいんだよ……助けてくれよ……」
八つ当たりするように社に向かって呟いて、ふらふらとその社の袂に座り込む。
無気力になっていく。
危ない兆候だと思う。
ゲームならライフバーが真っ赤になっているところだろう。
いや、そうだ。
「いや、そうだ、そうだよ、これ、ゲームだったじゃん……そうだよ……」
痛みやらでまた飛んでいたか、今更ながらにそんなことを思い出した。
しかし、急激に眠気が発生して、瞼が勝手に落ちてきていた。
眠ってはまずい、という気持ち。
いや、ゲームなのだから、まずいほうがゲームオーバーってことで終われるんじゃ? という自棄と現実的なのものが混じったような気持ち。
その両方が戦っていたが、決着がつく前に俺の意識は先ほどをなぞるように崖を転がり落ちていってしまった。
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