→【変わった日常を過ごした。】→当日まで何事もなく過ごした。


→【変わった日常を過ごした。】→当日までの毎日を何事もなく過ごした。




 家族との関係は、事故る前の、芽依との関係を後悔した俺でも悪くはなかった。

 むしろ、芽依とのことを気に病んでいたことを察して優しくなっていたくらいだ。


 子供が傷を癒そうと、親に甘えた。


 正直、やったことといえばこれだけなのだ。

 これだけのことで。

 これだけのことが、大きな後悔になってしまった。


 大きなひずみを生んだのだ。

 どうしようもない傷を生んだ。


 それは、俺にとってというだけじゃなく、家族全てにとって。


 現実の俺は一人っ子である。

 つまり、弟か妹かだった存在は、生まれずに亡くなってしまったということだ。


 それは事故である。

 一度目の、大きな事故。


 不運。

 不運だ。

 それは、それでも、俺にとってというだけではないはずだった。


 車で出かけていて、向こうから居眠り運転のトラックが、なんていう。

 どこかで聞いたような、でもあまり現実では自分たちが直面することなど想像もしないような、不運な事故だった。


 そしてそもそも、俺たち家族は更にその巻き添えだ。


 被害者の車に居眠りトラックがつっこんで、被害者の車が思わずハンドルを切って流れた先にいたのが俺たち家族の車。

 回避は、できなかった。


 そのくらい避けろよ、等というのは、唐突な危機に遭遇した体験のない人間の戯言だ。

 実際には、上から物が落ちてくる場合でも、それを目視していてもそのまま回避行動をとれず直撃するという事もままあるのだ。

 誹られるような事ではない。事故というのは、そうして起きるのだから。


 俺たちの後ろの車まで複数巻き込んだ、大きな事故だった。

 死者も複数。


 トラックに直接突っ込まれた車に乗車していた人間は全て死亡。

 トラックの運転手も死亡――これは、こういってはなんだが下手に重傷を負って生きているよりは救いがあったのかもしれない。犠牲者が多すぎた。


 爆発、火災などによって重傷者も多数。

 そんな中、俺たち家族も当たり前のように無傷ではいられず。


 こっちのうちの家族で死者でた犠牲者は、子供一名。

 産まれられない子供が一名。


 そして、母親が目を覚まさなくなった。


 父と俺だけが、ただ治るような怪我で終わった。

 運が良かったですね、などという心無い言葉と共に、その怪我も後遺症もなく治った。

 記憶の中の俺は、これから性格が変わる事故にたどり着くまで、ずっとずっと悪夢としてこの光景をみていたようだ。






『お前がっ……!』


 父の恨み神髄という目がこびりついているようだ。夢で見たことがあるが、結構な迫力だ。夢の場合は、誇張されている部分もあるのだろうけども。


 もし、もし優しい世界であったなら。

 そんな世界だったのなら。

 誰もかれもが世にいうような正しい大人で、正しい親で、正しい家族でいられたら。


『これからは、残った俺たちで頑張っていこう……母さんが起きた時、胸を張れるように……!』


 なんていいながら涙を流して親と子供、お互いが抱き合い力を合わせて絆を深めながら色々乗り越えてやっていく感動ストーリーでもできたかもしれない。

 そしてある日、成人する当たりとか高校卒業間近とか、そういう転機で目を覚ますのだ。


『おはよう……父さん、老けたわね?』

『お前はずっと綺麗だよっ……』


 とかいう場面すらできて、辛いこともあったけど、自分たち家族は幸せになります。みたいな創作みたい展開でもリアルでできる可能性もあったろう。


 でも、許されなかった。

 そんな世界なんて、ない。

 少なくとも、親や家族や、他にも巻き込まれた人たち全てには。


 現実は、完璧に『大人』どころか『親』をやり続けるなんて不可能だ。妥当に、すらもむずしいのが現実で。

 子供だってそうだし、怪我人病人に奇跡なんて起こらないのが当然で。


 綺麗なモノでないのが当たり前で、やせ細っていく別の誰かになっていくような身内を見るのは、辛くて、追い詰められて、怖くて、受け入れがたいもので、ストレスで億劫でもあるけれどそれをいうとクズ呼ばわりされるから誰にも言えなくて更に袋小路も珍しくはなくて。


 それでも、人は人に無自覚に聖人を求めることが多い。


 そして物事ではほとんどの場合、そうであることが褒められてもそうでないことが罪であることはないのに。求める方こそ頭がおかしいという事も多いというのに。


 それもきっと、他人事だからだろう。


 できないのが、そんなに悪いのだろうか。

 親だって人間だ。

 親ができないことも状況もあるだろう。


 一番恨める、恨みたかった人間は死んでいて、恨みやすいところに自分以外の人間がいた。それが自分の子供でも、そうしてしまうことを責められる人間は、潰れるような思いをしたことがないのだろう。


 もちろん、本人は文句を言っていい事だとも思うし、たまったものじゃない。


 それでも、父の感情を、その流れを、理解できなくはないという話。

 ただ、それをしてしまえば――するのならば、二度と親は名乗らない、名乗れないのだという現実くらいはしっておけという話でもある。

 親が人間であるように、その子も人間であるから。


 どちらも、ただただ綺麗な感情を向けうことなどないのだから。


『世話はしてやる……だが、なるべく近寄るな』


 事故が起きて子供にいった言葉。

 まぁ、そんな風に関わるまいとしつつも金は出してくれるだけまだ理性は残っているレベルだろう。

 俺本人に負い目があるからなおさらそう思ってしまうのかもしれない。


『お前……いや、いい、なんでもない……通院は、しろ。報告も、定期的に、入れろ』


 高校生の時、事故った俺を見舞った父。

 そのことを思い出せば、理性が残っているというか、もう自分でもどうしようもなくなっているのがわかる。


 家族として、恨み切れず。

 けれど奴やたりのようにぶつけずにもいられず。

 恨んでしまうこと自体に負い目もあるけれど。

 それでも、恨まないときっとおかしくなってしまうから、もうやめられなくて。

 放置もできなくて。

 今更ただ親にもなれなくて。

 心配しているとは、今更言えもしないし、認められなくて――


 のような、想像でしかないが、顔や声がわかりやすいくらい複雑なものを示していたから。

 そう見えたのはきっと、――特に事故る前の俺の――願望も多分混じっているんだろうけれど。

 それでもだ。


 世にいうような、ちゃんとした親にもなれなかった。

 親を止める事もできずにしがみついている。


 そんな風にも見えて仕方がなかったのだ。

 きっと、俺が死んでしまったら、それこそが色々なとどめになると思うのも、思い違いではないだろう。


 情というのは、抱けばなかなか捨てきれない持ち物だ。

 家族とは、捨てきれないほどがんじがらめになるものだから。

 情とは、糸のように細い粘着質なものなのかもしれない。






 と、事故や現在の両親の事を思い出すと俺をして鬱に落ちそうになるわけだが。


 いや、まぁ、なんというか。


 ……ゲームだ。

 ゲームだから、ここで避けても、現実は何も変わりはしない。

 むしろ……むなしくなってしまうかもしれないけれど……


 それでも、そうじゃない未来を俺は見たい。俺なら違うと思いたいだけだとしても。

 きっと、事故起こして開き直れないクソ暗くなりがちな俺のままだって、そう思うはずだ。


 とはいえ。


 やることは難しくない。

 数日前に考えた通りに、簡単なことなのだ。


「いや、うん、今度でいいよ、本当に」


 出かけなければいいという。

 たったそれだけ。


 父が俺を恨んでいたのは――なんというか、その日にでかけたいのだ! と我儘をいった事実があるからだから。

 やめておこうという父を押して、その日具合を悪くしていた母に『約束してたのに』とゆすりまくっていたからだから。


「本当に? お母さんは大丈夫よ?」

「うーん。無理をさせるのは確かによくないが……」


 それはきっと、下の者ができるからはっきされてしまった独占欲とかそういうものや、芽依との事があったからとか不安とか、いろいろなものが含まれていたのだろう。


 体験して改めて思うが、母も、父も――基本的には、善良で、優しいのだ。

 その時、『最近、生まれてくる子供の事ばかりだった。寂しくさせていた』とでも思ったのだろう。思ってしまったのだろう。

 それで、出かけることになってしまった。それを許してしまった。


 そして、事故に巻き込まれた。


 だからまぁ。なんというか。

 これも、他人事のようにいうなら、不運だったとしか言いようがないことではある。

 恨まれる理由にはなるんだろうけど、結構無茶でもある、とは正直。

 よく恨み返さなかった。俺も。

 今の俺なら多分、よくなったとはいわないが、違う道をたどっただろう。


「俺も見ているから大丈夫なくらい……だよな? 無理はしてないよな?」

「してないわよ。ちょっと頭痛がするくらい、いつもあったじゃない。心配し過ぎなの、二人とも」

「いやいや、大事をとるのは大事だよ、ね?」

「うまいこというなぁうちの息子」

「ほんとねぇ、親父ギャグっぽいけどナチュラルな流れに美しさを感じるわねうちの息子。グッジョブ!」

「そんなつもりはなかったのでやめてださい」


 理解はできるが、大人げはないといえば大人げないのも事実ではある。責任の所在を全て子供に押し付けたわけだから。そうしないと多分父自身がダメになっていたんだろうとはいえ。


 記憶を記録のように見てしまう俺をして、俺が全部悪かったのではと一瞬錯覚しそうになる。

 が、これも当然というか、芽依の時と同じように実はというか、俺のせいだけでは決してない事だ。本当は。


 誰が我儘いった先で事故に合うことまで予知できるというのだろうか。

 子供俺が悪かったのは、具合悪いのに我儘いった事実くらいだろう。それも単体で見ればそこまででもない。

 なにせ、その具合の悪さだって歩けないほどでもなかったというとアレだが、酷すぎるというレベルじゃなかった。

 頭痛がちょっと薬飲みたくなるくらいする、みたいなレベル。

 子供ができていたから、父が心配しただけで。


 だから、重なった結果なのだ。これも。

 責任を感じすぎることはおかしいことなのだ、これも本来は。

 これに関しては、芽依の時と違って思い悩み引きずるのが傲慢すぎる、というのはいいすぎになるだろう。

 なにせ、父やらなにやらがそう思うようにそうするつもりはなかったとしても誘導されていたに等しいからだ。信頼していた親から、芽依で後悔して傷ついていた隙間を埋めていた親からそれをやられたのだ、そうなっても仕方ない部分は――これずっと暗かった下地作ったの父でもあるのでは? なんか嫌なことに気付いた気がする。


「芽依ちゃんとも一緒ってお約束してるからがっかりしちゃうでしょ?」

「いやがっかりするより心配する方なんだよなぁ……」


 とか、つらつら考えながら迎えたこの日だったのだ。

 だが。

 どうして。


「みんな健康な時にいけばいいじゃん……!」

「啓、恋にスピード違反はないのよ」

「ワォ、うちのワイフアグレッシブゥ」

「糞みたいに下手な海外三流ドラマみたいな芝居止めろっ……お互い見合って肩をすくめるな! すぐそっちに絡めるな!……ナイスツッコミみたいなリアクションするのもやめてください……」

「最近、息子がなんかよわよわになると敬語になるの、お母さん好き」

「お父さんも好き」


 『くっ……これがどうしても俺を事故に合わせようとする歴史の力とか修正するパワーとかそういうのか……!』みたいなのは、さすがにこういう場面でいう台詞じゃないし、いうならもうちょっとかっこいい場面で言いたい。

 なんで俺がお出かけするのを必死に止める係になってるんだろうか、本当に。


 ここで、記憶からなるべく家族がうまくいくようにいい子にしたり適度に我儘いったりバランス調整した事とか。

 芽依が最近うちにきたり、基本善性ではあるうちの両親がそれを――まぁそれでも当然息子優先というか、息子と仲がいいからであるようだが――気にしていたり。

 助けるためにしたことも、怒られるのと褒められるのとしたが、事を起こしたのは事実でそれを心配していたり。


 そういうのが重なった結果であるのだろうけども。

 まさかの障害であった。割としつこい。息子とその友達と遊びに行って楽しませつつ気分転換させたくて必至っぽいのである。


 ドラマみたいに平和な現実なんてねぇよ……みたいなハードボイルド気取りみたいなのが恥ずかしくなるような、ホームドラマ展開は悪くはないけど……恥ずかしいのと、今はやめてほしいのが本音だった。


 なんかもうでかけても大丈夫なのでは?

 事故とか鬱展開はこの調子だと起こらないのでは?

 過剰に警戒しすぎだって、起きないかもしれないし、起きたとしても芽依の時と違って少しずれたり道変えたりするだけで回避できるだろうに。


 みたいなのがぐるぐる頭をめぐってしまう。

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