真相糾明

 この地に来てから夜を明かすのは何度目になるだろうかと私はふと考えた。腹の方は店主のお陰でまだ大丈夫そうだが、肝心のあの男が何時になっても尻尾を見せない。あの男ではなく寧ろ尻尾があるのは私の方なのだが。私はそんな益体もない事を考えながら、とある宿屋の前にいた。あの店からそう遠くない位置にあるが、前回訪れたときは入口を掃除していたボーイに手で追い払われてしまったので、暫く近づいてこなかった。


 けれど今はこんな夜ということもあり、この辺には人の気配は……いや、微かに誰かがいる。それも複数人だ。建物の影に潜むようにしてひっそりとけれど確かに存在している。巧妙に隠そうという意思が感じられるが、野生で培われてきた五感には敵わなかったということだ。私が悦に浸っているとその影たちは宵闇の中を動いた。そそくさと彼らは入口から侵入して行く。ここまで気配に気を遣っているというのに入り方は随分と大胆だ。


 暫くすると奴らは黒い袋に何かを詰めて同じ口から出てきた。ちらっと一瞬だけ角度の問題で中身がこちらから確認できた。


(あれは……あの男じゃないか!)


 くすんだ銀髪を含め、顔全体が見えたので間違いない。私は少し動揺しつつも彼らの後を追う。彼らは私の見えない建物の影に馬車を用意していた。慣れた手つきであの男が入った袋を荷台に隠してしまった。ただでさえ光の少ない今の街でよもや人が秘密裏に運ばれているなど誰も気付けないであろう。今のところ奴らは私の存在に気づいていないようで、周囲を見回しながらゆっくりと馬を走らせた。今あの馬車に突撃しても多勢に無勢で勝ち目は無い。私ほどの賢さを持ってすれば、この状況下で尾行するのが最善だということはすぐにでも導けてしまう。いやはや、自分の頭の良さには困ってしまう。


 馬車はのろのろとしていながらも何処か決められた場所に向かっているようで、その速度の割に迷いなく角を曲がっていく。進めば進むほど建物の数は減っていき、代わりに規模の大きい工場などの工業施設が増えてきた。その奥に不自然に隔離されている建物があった。

 

 塀で囲われている上で有刺鉄線を張り巡らせている。人間界で罪を犯した者たちが集められる刑務所だ。どうも私には、ここがあらゆるものを排出しないことで清潔さを誇示している風に見えてしまう。刑務者だけでなく、ここで行われた非道の一切を外へ晒さず、全てこの中で完結させようとする意思が垣間見えるのだ。我々獣の世界とは違い、社会からの拒絶ではなく寧ろ囲い込むことで断絶させるらしい。私たちよりよっぽど残酷じゃないか。


 馬車が門の前に立つと同時に厳重そうな鉄門扉が動き出した。どうやら中にいる者が扉を開けているらしい。迂闊には入れなさそうだ。とうとう扉は完全に閉まってしまい、馬車は刑務所の奥へと進んでいてしまう。扉の開け締めをしていた警備員は眼を擦りながら詰め所らしき場所で帽子を深く被りながら眠りについてしまった。


 今しかないと思い、助走をつけて私は高く飛んだ。私の跳躍力を以てすれば簡単に飛び越えられてしまう程度のものだ。かん、と金属音が鳴り私は焦った。何とか着地は成功したが、どうやら爪の部分が鉄扉の上に当たってしまったようだ。


「ん、うぅん。何だぁ……?」


 警備員が寝ぼけながら起きてこようとする。このままでは不味い。私は咄嗟に気持ち小さめに遠吠えしてみる。


「なんだ、野良犬かぁ。ふわぁ……」


 奇跡的に作戦が功を奏したようで、彼はまた眠りについてしまう。不真面目な警備員だったことに感謝せねばなるまい。私は匂いを頼りに馬車を追いかけることを再開した。


 ◆


 気が付くと鈍色の世界が待ち受けていた。とてもではないが寝心地が良いとは呼べない鉄板の上に毛布を敷いただけのベッド。そしてその隣に便器というよりもはや只の穴が部屋の隅に置かれている。どうやら大変喜ばしいことに衛生的な問題には事欠かず生活できそうな空間だった。端的に表すなら牢屋、若しくは監獄。厳密には違うらしいが今はそんな事どうでもいい。大切なのは状況把握だ。俺は気を失うまでのことを思い出しながら情報を整理する。


 俺は複数人による襲撃を受けた。思い当たる節は幾つかある。まず過去の怨恨説。職業柄、反感を買うことは日常茶飯事であるし考えられる線ではあるが、だとしたら何故このタイミングになるのか説明できない。どう考えても森で孤立していた時に狙ったほうが仕留めやすい上に誰かに見られる心配がなく安全なのだ。


 次に考えられるのは無差別的な犯行。しかし明らかにあの動き方からするに、俺を最初から狙っているのは明白だ。だとするならばやはり敵国のスパイの線が一番有力になる。こう言ってはあれだが実際に一度狙わているので、答えは既に決まっているに等しい。俺は恐らくあの国に逆戻りさせられたのだ。戦争を有利に進めるためにどうしても彼らは俺に取引をさせたくはなかった。そうすれば自分たちだけが俺の武器の設計書を持つことが出来る。このままだと俺はひっそりとここでテロリストか何かに仕立て上げられて処刑される。その前に拷問されることもあるかもしれない。そんなのは真っ平御免である。


 そこにかつかつと軍靴を踏み鳴らす音が聞こえた。段々とそれは大きくなり、苦しくなるほど反響して脳を小刻みに揺さぶってくる。軈てそれは俺の眼前で止まる。


「お目覚めになられたんですね、風見鶏ヴェインさん」


「そんな……馬鹿な」


 そこに居たのはエクセルキトゥス中佐その人だった。先日まで武器の取引をしていた側の人間であり、味方というわけでは無いがやはり動機がはっきりしないので有力候補には成り得なかった。取引は問題なく成立したはずであるし、仮に齟齬が生じていたとしてもこんな荒事を犯すリスクがどこにあるというのか。世間にバレてしまえば国際問題ものであるし、中佐の立場だって危うくなるというのに。


「全くもって分からないという顔をされてますね。言っておきますが、私はこの国に忠誠を誓った軍人の一人として誇りを持っています。ですのであちらの国に寝返るなんてことは決してしておりません」


 中佐自身がスパイの線もこれで消えたということになる。


「風見鶏さん、いえヘルメス・シュレイヤーさんにお聞きします。世界平和には三つの方法があると私は考えています」


 急に何を言い出すかと思えば、世界平和なぞについて中佐は語り始めた。それに俺の本名まで割れているというを示すことで、暗にお前のことは全て知っているから無駄な抵抗は諦めろとでも言いたいのか。


「一つは皆仲良く手を繋ごうという方法です。誰もが相互理解をして歩み寄り、差別や偏見から解放された世界にしていこうという、机上の空論です」


 中佐は当然のように言い切った。人類誰もが最初に習うであろう理想形をあっさりと否定してしまった。その是非は置いておいて、俺は彼が軍人だということを再認識させられた。


「次に逆転の発想で反逆者を皆殺してしまえ、という方法。平和に異を唱える者はこの世界にいらないと排除してしまえば、残るのは自ずと自分に賛成してくれるイエスマンだけになる。これも理想論です。端的に言えば持続性が無い。結局この方法によって得られるのは、過大な独裁国家と死屍累々の戦場だけです。そして最後には恣意的な意思決定により、自ら終焉の道を歩むことになる。歴史がそう証明している」


 この中佐が誰よりも独裁者らしい風貌している気がするが、本人は独裁を好まないらしい。


「最後に」


 彼はそこで一度、息を整えた。覚悟を決めるというよりかは、言いたくてしょうがないという興奮が若干混じった呼吸だった。


「これが最も現実的で有効な手段であると私は考えています。それはを設定することです」

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