真の現在
これも全て父の受け売りではあるが、肉において雑味の強い内臓系は後から食べた方が良いということで、ささみから頂くことにした。去年までの野鳥は全て丸焼きにして食していたので食べる順番など考えたことも無かったが、淡白なものから段々と味が濃くなっていくそのグラデーションを感じながら、俺は鳥を隅々まで味わい尽くした。食器を皆で片した後は共に近況報告などをし合い、時間は光のように過ぎていった。
「あ、兄貴に渡したいものがあったんだ」
妹がぽんと手を打ちながらそう切り出した。
「そうそう、フレイちゃんよく覚えてたわねぇ。危うく渡しそびれるところだったわ」
母は居間にある棚をごそごそと探し始める。ここでもないそこでもないと十数秒ほど探し続けてようやく手がある所で止まる。
「合ったわ! もう、ここにあったならそう言ってくれればいいのに」
その手の中にある物に対して無茶なお願いをする母。すかさず妹からもそんなこと出来る訳無いでしょと突っ込まれてしまう。
「今年の夏、写真屋さんで家族写真を撮ったのを覚えてる?」
そう言えばそんなこともあったと思い出した。真夏だというのに正装を着なくてはならない上に長時間同じ姿勢を維持しなくてはいけなかったので、酷く汗ばみ不快だったという嫌な記憶が蘇る。
「でね、その現像がようやく終わったのよ~。それでそれで、じゃーん!」
母が両手を前に突き出し、手の中のものを見せてくれる。それは金属製のロケットペンダントだった。チェーンが付けられており、首から下げられるようになっている。中には現像された家族四人の写真が入っており、俺の不器用な笑みがしっかり映り込んでいた。
「やっぱり、こういうのあると遠く離れていても家族のことを思い出せていいかなって」
普段遣いするにはほんの少し気恥ずかしいような気がしたが、母の思いを素直に受け取れるぐらいの年齢にはなっていた俺は有り難くそのペンダントを貰った。
「うんうん、似合ってるじゃないか」
「いい感じ!」
「大切に持っておいてね」
父からもお褒めのことを貰い、妹と母もうんうんと首を縦に振っていた。俺は照れ隠しにそっぽを向くことが精一杯だった。
俺以外の家族が全員寝た頃に俺はこっそりと寝床を抜け出す。目的は星がよく見える近くの山の頂上に行くためだ。山と言ってもそこまで高くはなく、小高い丘といった方が適切なのかも知れない。小さい頃は父に連れられて登っていたが、いつしか外に出ることよりも紙や本と睨み合うことが増えていった。
流石に手ぶらは心配なので、俺はこっそりと父の猟銃と幾つかの弾を拝借した。昔の戦争で父が使っていた所謂骨董品というやつで、狩りの場で使うには申し分ないほどの性能だが今の戦争ではより長距離かつ高精度な狙撃銃が台頭している。直接撃つというよりかは飽くまで威嚇のためだが、皆が寝静まる夜ということもあり使うのは極力避けたい。
田舎というのは夜がとても早く訪れる。それは単に人々が夜更かしをあまりしないというだけでなく、物理的な光量が都会に比べて小さいことにも起因している。不夜城と称される都市部の歓楽街は派手派手しいネオンサインで装飾されたバーやキャバレー、クラブなどが軒を連ね、幾人もの男女が行き交って混沌としている。
見たことのない銘柄の葉巻を燻らせながら高級車を乗り回す男性や裸同然のドレスを身に纏う眉目秀麗な女性など、普通に暮らしていてはお目にかかれない人々を観察できる。それに対してこの故郷の村では、聖誕祭などの余程の行事が無い限りは商店が夜七時ほどで閉まってしまい、それに合わせるようにして村民たちは家へと帰ってしまう。
天蓋に散らばる無数の星たちを見るのには家の窓からでも十分に見れるがやはりあの頂上からの景色は格別だった。それを目指して俺は猟銃を担ぎながら只管に足を動かす。やはり体力は落ちており、昔は楽々往復していた山路が今では片道で息も絶え絶えになってしまう。道中何度も転び書けそうになりながらも頂きへと辿り着いた俺は、背中が汚れることも気にせずに寝転んだ。
「星がよく見えるな」
満天の星が視界いっぱいに瞬いている。星の光が大気を通過する際にその密度の変化によって屈折されることで起こるシンチレーション、と言うと只の物理現象の一つに聞こえるが、目の前に広がる光景はそんな無機質な言葉では語り尽くせないほど神秘的だった。昔の人々が星を繋げて星座を作り、神話を生み出した原動力は正にこの玲瓏な光にこそ宿っていたのだと感じる。感傷的な気分になりながら、俺は吸い込まれそうなほど広大な夜空を眺めていた。
ふと気になって下を見下ろしてみる。小さい頃はあんなに大きく感じていた村がこんなにちっぽけに感じるのは、きっと物理的な距離のせいだけではないだろう。
「あれは何だ……?」
視界の端に俺は不可思議な白い点の集合を認めた。星にしては妙に輝きすぎているし、山の峰に沿って並んでいるのは不自然だ。もっと人工的な何か、例えば。
「明かり?」
その明かりは横列を乱さぬまま、下に降りていく。更には反対側からも同じような光が呼応するように生まれ同じように列をなして山肌を下っていく。どちらも向かう先は村。悪寒がした俺はすぐさま下山を始めようとしたが猟銃を置いてきたことを思い出し、慌てて取りに戻った。これまで来た山道をほぼ滑るようにして降りていく。緩やかと言っても山路は山路。一刻でも早くあの村に戻らなくては、と焦る気持ちとは対照的になかなか上手く進めない。首のペンダントがジャラジャラ音を立てながら胸の上で跳ねていた。この時ほど自分の運動不足を嘆いたことは無かった。
その時だった、砲声が山全体に轟いたのは。雷が落ちたかと思うほどの爆音と共に、火の手が村の中心部から広がっていく。
「焼夷弾だと!?」
発火しやすい薬剤や錬金術の『火』などを用いて燃料に引火させ、広範囲に延焼させることを目的とした砲弾。村の建物は勿論のこと、飼料用の干し草など村には燃えやすいものばかりが集まっている。当たり前だ、誰がこんな風に燃やされるなんて予想するのか。火事が起きても近所同士で協力し合いボヤ騒ぎ以上の火災などまず起こらなかったというのに。大方の予想はついていたが、自分の中で信じられなかった。もとい、信じたくなかった。
今度はお返しと言わんばかりに逆側からの砲撃。だいぶ麓の方まで降りてきたことで弾の軌道がはっきり見える所まで来た。俺は泥まみれに成りながらも必死で足を動かした。そして今度は機銃掃射の音も疎らに聞こえてくる距離にまで到達し、俺はその惨状をありありと目にすることになった。
ありとあらゆる場所が炎に包まれ、吸い込まれる空気は喉を灼かんばかりの熱量を持っていた。悲鳴や怒号に混じりながら聞こえる金属音はやがてそれ以外の音を消していく。それはさながら獣のようであった。俺は家の方向に向かって、炎に突っ込んでいく。
「母さん、父さん、フレイ!」
呼びかけ虚しく、返事はない。逸る気持ちを抑えながら俺は更に進んでいく。砲声は鳴り止むどころか、その苛烈さを増すばかりだ。砲弾が掠るだけで致命傷になるぐらいに人間は柔い。命懸けであり、また命賭けでもあった。自分の近くに着弾し、腕や足が吹き飛ぶ恐怖よりも家族の安否が知りたい気持ちが勝った。
「え」
数十分前までは何事もなかったはずの家は見るも無惨に倒壊し、赤く猛々しく燃え上がっていた。この壊れ方を見るに恐らく弾頭が直撃したと考えてるのが自然だ。
「う……」
微かに誰かが呻いた。俺は音の聞こえた家の裏手へと急いで回り込んだ。そこに居たのは瓦礫となった家の梁の下敷きになっている両親だった。
「へ……ルメス? 無事、だったのね……」
「今起こすから」
俺は燃え盛る木の柱に手を伸ばそうとする。
「駄目だ」
これまでで一番低い父の声だった。今まで幾度となく怒られたり喧嘩してきたが、それでも聞いたことのないくらいの冷たさがあった。けれど俺はその裏に愛とも呼べる優しさを感じ取った。
「お前は、まだ若い。こんな所でくた、ばっちゃ駄目なんだよ。生きろ、生き抜け。父さん達からの最後の望みだ、聞いて、くれるな……?」
「そう、よ。こんな所で諦めたんじゃ、私達も死にきれないわ。生きなさい!」
その後のことはよく覚えていない。自国の兵士たちが茫然自失としたままの俺を見つけて運んだことは後から聞いた。どうやら敵国の急襲が比較的山がなだらかで国境付近に位置するこの地域から行われたのだという。俺はそれが分かってたならどうしてもっと早く兵を動員しなかったのだと兵士に詰め寄ったが、あれでも早かったのだと言われた。そのおかげで死なずに済んだ村の人も何人かいる。だったら尚更、俺の家族は殺されなくてはいけなかったのか。あの戦いでどちらの陣営が勝とうとどうでも良かった。本当の勝者なんて誰も居ない。強いて言うなら武器商人ぐらいだ。ただあの三人が生きてくれればそれで良かったのに。
あの時のことは今でも夢に見る。夢の中で、いつも何度でも父と母は火の魔の手に飲まれ、俺は何も出来ずに終わるのだ。
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