軈て来る過去の前に
武器商人。別名、死の商人。人と人との諍いを金にする。決して楽な職業などではない。文字通り、死線を越えて商機を掴みに行く。知識が無ければ安く買い叩かれ、体力が無ければ命を落とす。顧客を喜ばせたのなら、必ずどこかに不幸になる者も対となって現れる。
「すみません。私ったらお客さんにこんな話を突然……迷惑でしたよね」
「迷惑だなんて、そんな」
シスターは我に返ったかのように眉を上げた後に謝罪の言葉を口にした。彼女には何の落ち度も無い。ただ正当な非難をしただけだ。その正論は寸分の狂いなく俺の胸を指す。俺にはこの声を聞く義務がある。武器を売るものとして、そして戦争挑発の片棒を担いでいる者として。それでも俺は自らの使命のために武器商人を続けなくてはならない。
◆
俺がまだ国立錬金学院の学生だった頃。冬休みを利用した二回目の帰省。寒々しい空の下で俺は駅馬車を乗り継いで半年前のように実家のある村へと赴いた。今年の夏休みにも一度帰省していたが、冬にはまた別の村の顔を見ることができる。この季節は待機節と呼ばれ、村のあちこちで神の聖誕祭に向けた準備が進められていた。聖誕祭近くということもあり、小さいながらも家々に飾り付けが施され、どこか陽気な雰囲気に村は包まれていた。
「おお、ヘルメスの小僧じゃねぇか」
小さい時はいたずらをして、よくどやされていた鍛冶屋のおじさんから挨拶された。
「おかえりなさい、ヘルメスちゃん」
仕立て屋のおばさんは腰が前に比べて随分と曲がってしまっていた。
「帰ってたのか、おかえりヘルメス!」
父親の畑仕事を継ぐと言って村に残った旧友は筋骨隆々となっていた。
「おかえりなさい」
実家の玄関を開けて最初に出迎えてくれたのは父だった。相変わらずウエスやブラシ、掃除用のロッドなどを床に並べて胡座を掻きながら銃の手入れに勤しんでいた。狩りを通して色々なことを教えてくれた父には今でも感謝している。
「あ、兄貴お帰りなさい~」
三歳下の妹は野菜を千切りにしている最中だった。母譲りの料理上手で、この帰省の楽しみの一つになるぐらい彼女の腕は一級品だった。どうやら村長の孫とまもなく結婚するとか何とかで、花嫁修業にも抜かりが無さそうだ。
この香りを嗅ぐと家に帰ってきたんだなと実感する。生誕祭前の浮かれた気持ちと柔らかな木の香りは全く子供の頃から変わっていないんだなと常々思う。
俺は荷物を置きに自室へと足を運ぶと、そこにはちょっと不格好な机と椅子、そして棚があった。狩りの傍らに家具職人もこなしていた器用な父に教わりながら俺は自分の手で自室の家具を作った。お世辞にも真っ直ぐとは呼べない机の足が、初めて触った
「母さんは?」
居間へと戻り、ずっと姿を見ていない母の所在を問う。
「今は買い出しに出掛けてるよ。今年は奮発して店で鳥を買うんだって!」
興奮気味に妹が言った。
「それはいいな」
「ふんだ。どうせ、父さんが取ってくる鳥は毎回小さいですよーだ」
父が
「もう、お父さん拗ねないの。お父さんの鳥も脂が乗ってて美味しくて私は好きだよ?」
「おお! 我が愛しの娘よ~!」
妹からの言葉に対して大仰に喜ぶ父。
学院の頃はこれほど気の許せる人は居なかった。教科書に則って人を傷つけるためだけの教えを説く教師と、単位さえ取れればいいと楽することだけを覚えた学生の集まりに果たしてどれだけの価値があるだろうか。軍人養成校と揶揄されても致し方ない。それでも俺が思い描いていたはずの世界とは異なる学院を辞めようとする度に、家族の顔が思い浮かんでいた。学院に合格したときも自分が受かったかのように喜んでくれた彼らに申し訳が立たないからと何とかこの年も無事に進級することが出来ている。
「ただいま~、いい鳥が手に入ったわよ。あれ、もうヘルメスは帰ってるのかしら」
扉の開く音ともに聞こえる母の声。幼いときから聞き馴染みのあるこの声はいつ聞いても安心する。
「うん、帰ってるよ。おかえり母さん」
家族全員がこれで揃ったことになる。自分で言うのもあれだが、我が家の関係は他の家と比べてもかなり良好だと思う。決して裕福とは呼べないが、それでもこうして家族仲がいいことは掛け替えのない財産だと感じている。
「あんた、学校へはちゃんと行ってる? バランスのいい食事と適度な運動も欠かさずにね。あとお友達は……」
「はいはい、母さん。その話はまた後で。ご飯の準備しようよ」
俺は母の言葉を遮りながら彼女の荷物を受け取り、台所へと持っていく。母は心配性で、夏休みも一字一句同じことを聞かされ若干うんざりしていたのだ。けれどそれが母の優しさの現れであることも分かっているので、こうしてはぐらかすのは気が引けた。
母の手から受け取った袋に入った鳥はとても重く、台所まで運ぶのにも一苦労だった。家族四人で食べるには少々大きすぎるかもしれない。
「……お母さん、流石にちょっとこれ大きすぎない?」
妹も俺と同じ感想を抱いたようで、喜びより持っ先に呆気に取られているようだった。
「今年は去年と違って戦況が落ち着いたから肥料が多く手に入ったおかげで、いい鳥が育ったらしいの。こんなサイズの鳥なんてもう二度と食べられないかもしれないでしょ? だから買ってきちゃった」
今の今まで忘れていたが、母はこの思い切りの良さでいつも俺ら三人を驚かせることが得意な人だった。村の会議でも忌憚なく意見を言うことから村民からも一目置かれている。
「よし、ここは父さんの出番だな。久々に捌き甲斐のある獲物に出会えた」
腕まくりをしながら自信あり気な笑みを浮かべた父が鳥の前に立つ。
「はいはい、ちょっと待って。まだ聖誕祭じゃないでしょ。食べるのはもうちょっと我慢」
母がすかさず父を静止する。そしてここである一つの問題が露見した。
「でも、これどうやって保存しとくの?」
妹からの素朴な疑問だった。家の冷蔵庫には到底収まりきるはずのない図体が居心地悪そうに俺達の前に鎮座している。外に干しておく訳にもいかないし、況してや室内など以ての外である。ということは。
「……まさか今日中に食べないと駄目ってこと?」
母もようやくそのことに気づいたようだった。それと同時に俺はまたもや忘れていた事に気づいた。村の集まりで彼女が出す意見は採算度外視すぎて注目こそされどまともに採用されたことが殆ど無かったという事に。
結局、鳥は父の手によってすぐに解体されることになった。彼の手捌きは本当に見事だった。背中や足の付根などに切込みを入れてから関節、そして腿肉が外されるのにそう時間は掛からなかった。骨のくぼみについたソリレスという肉まで簡単に取ってみせた。次は胸の骨に沿って肉を引っ張りながらナイフを入れ胸肉とささみ及び手羽を綺麗に取っていく。そして関節周りの筋を切って骨を抜く作業になる。小骨も手間取ることなく鮮やかに抜く。肩甲骨の付け根と首を持って鶏ガラを分解して首の肉や内蔵を保護する役割の横隔膜を取り出す。本来であれば内蔵を処理する工程が挟まるが店売りなので既に中抜きされていると父は語った。かくして、ものの五分程度でよく見る分解されたお肉たちがずらりと並ぶ結果となった。
「いつ見てもすごいわね~」
母が感嘆した様子でそう零す。
「そうだろう、そうだろう。もっと小さい鳥をこれまで捌いてきたんだ。これぐらいの大きさになれば目を瞑ってもできるぞ」
「また父さんたら調子良いこと言っちゃって」
この妹の突っ込みには家族全員が笑いに包まれた。楽しい楽しい家族の
◆
「顔色が悪そうですが大丈夫ですか……?」
シスターの声で今度はこちらが我に返る番だった。
「すみません、少し考え事を」
これ以上のことを思い出すのは辛い。俺だってまさかあんなことになるとは思ってもいなかった。神の悪戯だとすれば何とたちの悪いことだと、運命を呪ったりもした。だが思い起こさなくては今の自分というものが揺らいでしまいそうなのもまた事実で。
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