死の商人と修道女

 リナと自らを名乗った少女に手を引かれるまま、路地の奥へと進んでいく。大通りから切り離された世界が俺を出迎えてくれた。そこら中を漂う生ごみを煮詰めたような悪臭には顔を顰めてしまう。下卑た笑い声と怒号か疎らに聞こえ、死んでいるのか寝ているのか見分けがつかない浮浪者たちが新聞紙の上で雑魚寝している。活気は寧ろ大通りよりもありそうだった。そして少女は見慣れた光景とばかりにものともせず進む。


「シスターはとっても優しいんだけど、怒るととーっても怖いの。この前もクラインとベッカーが言いつけを破っておやつをつまみ食いしちゃったときなんて、すごかったんだよ!」


 なんとも微笑ましいエピソードだが、周囲の異質さとのギャップに適応できていない俺は生返事することしかできなかった。リナと俺の意味のない受け答えの応酬が止め処なく続くかと思われた頃、俺たちは目的地へと辿り着いた。


「ここがシスターとみんながいる『しゅーどーいん』だよ」


  路地裏の一角にひっそりとそれは佇んでいた。聳え立つ建物の合間に不自然にできた空隙を埋めるようにして十字架を掲げた修道院が建っていた。治安の悪いこの路地裏で場違いなくらい荘厳な雰囲気を醸し出している。小さいながらも立派な二階建てで、精緻な装飾が各所に施されている。


 リナはとてとてと玄関口まで行き、勢いよくその戸を開け放った。


「ただいま~。牛乳買ってきたよ」


 すると足音が響いた。それも一つや二つではなく、数え切れないくらいの音が連なっている。


「リナ姉、おかえりぃ!」


 威勢のよい返事が返ってくる。中を窺ってみるとそこにはリナと同世代か少し小さいぐらいの子供たちが玄関で犇めき合っていた。少なく見積もって十人はいる。


「あれ。その人、誰?」


 子供たちの内の一人が訊いた。


「このお兄ちゃんはね、牛乳が取れなくて困ってる私を助けてくれたの。だからお礼をするためにここに連れてきたのよ、クライン」


 リナは顔をほころばせて答える。俺はこの子が先程話題に出ていたクラインかなどと思いながら、軽く会釈して挨拶する。


「初めまして。俺はヘルメス。ヘルメス・シュレイヤーだ。旅人で今はこの国に訪れてる」


 少年少女たちを前に嘘すれすれのごまかしを言うのは憚られるが、死の商人であることを打ち明けるのも気が重い。故に旅人と名乗るしかなかった。


「へぇ、旅人さんか。かっけー! ねぇねぇ、じゃあいろんな言葉とか話せるんだ」


「あぁ、一応ね」


 多言語を話せるといっても、アクセントや語彙が似ている言語がこの大陸には多くあるのでそう難しくはなかった。ただ極東の島国では独自の言語が形成されており、かなり苦労した記憶がある。その後も質問攻めに合ったが何はともあれ、子供たちからは警戒されていないようで安心した。


「こらこら、みんな。お客さんを困らせるんじゃありませんよ」


 奥から白色のチュニックに黒のスカプラリオ、そして頭にはウィンプルを被ったシスターが子供たちをたしなめながら歩いてきた。俺が想像していたよりもずっと若く、まだ二十代かそこらぐらいの女性。素朴ながらも端正な顔立ちをしていた。典型的な修道服に身を包んでおり、敬虔な修道女の出で立ちそのものだ。


「ここに何か御用でしょうか? まさか、うちの子が粗相を……」


 少し表情を曇らせるシスター。もしこの人数の子を彼女一人の手で育てているとしたら、相当な気苦労もあるだろうし心配性になるのも無理はない。俺が答えようとすると、リナがさっきのように説明役を買って出てくれた。


「――そうだったんですか。リナが大変お世話になったようで。ありがとうございました」


「いえいえ、当たり前のことをしたまでなので」


 本当にテンプレートみたいなやり取りをこなす。リナを助けようと思ったのも有り体に言えば気まぐれだったのでこうやって面と向かって感謝されるとこそばゆかった。


「では何にもないところですが、良かったら上がっていってください。お茶でもお淹れします」


 そこまでしてもらうことはしていなかったが、リナが渡したいものがあると言われお言葉に甘えることになった。しかしながらそれは飽くまで結果としてそうなっただけで、内心としては少々面倒なことになってしまったと焦りが生まれていた。リナを助けたことを後悔することはしてないものの、スプル探しという本来の目的からは遠ざかる一方だからだ。


「どうぞお掛けください」


 案内されたのは応接間らしき部屋で、豪奢な布張りのソファーがこれまた艷やかな光沢のある机を挟んで向かい合わせに二つ置かれている。しばらく待っていると橙赤色の美しい液体がカップに入れられて運ばれてきた。この目が冴え渡る独特な清涼感には覚えがあった。


「これは薄荷茶ミントティーですか」


「ええ、中庭で栽培していまして。子供たちはあまりお気に召さないみたいなんですけど、私は好んでよく朝に飲んでいるんです」


 シスターは柔和な顔でそう言った。薄荷ミントはリキュールなどにも用いられる薬草の一種で、消化を促進させて胃を落ち着かせる効能があるとされている。


「ここにはシスターは何人いらっしゃるんですか?」


「私一人だけです。元は男性信者用の修道院だったのですが、皆戦争で……」


 シスターはそこで言葉を詰まらせる。やはり彼女一人でこの人数の子供たちの面倒を見ているらしい。更にその原因の一端を担っていると言えなくもない立場としては、居た堪れなくなる。


「そして空き家同然となっていたこの場所を私が孤児院として使えないかと教区長に提案したのが始まりです。最初は慣れないことも多く大変だったんですが、今では年上の子がお兄ちゃんお姉ちゃん代わりに年下の子の世話をしてくれているんです」


「かなり苦労なされているんですね……」


 こんな気休め程度のことしか言うことができなかった。彼女は暗い面持ちをさらに険しくしながら呟いた。


「私の苦労なんてたかが知れています。前線へと赴いたまま帰ってこない神父や修道士たちに比べれば。けれど、きっと全てあの戦争のせい」


 語尾には恨みと怒りが混じっていた。決して子供たちの前では見せない、見せられないであろう表情に俺は口を噤まされた。半端な慰めの言葉など、彼女の前では侮辱にすら成り得る。そんな気がした。


「今は停戦していますが、またいずれ戦禍がこの国を襲うでしょう。そうなれば物資は途絶え財政は困窮し、元の過酷な生活に逆戻りです。もう二度とあんな悲劇は起こしてはならない、そう思うのです」


 古い詩に登場する戦乙女のような力強さでシスターの言葉は紡がれる。


「私たちは決して裕福ではありませんがそれでも地方の人々に比べれば財も貯蓄もありました。それにも関わらずひもじい思いを幾度となく経験しました。地方の農村など目も当てられない状態だと風の噂で知りました」


 農村部の打撃は計り知れないものだ。真っ先に農地が戦地へと変貌し、国力とも言うべき穀物らを文字通り焼き払っていく。そして焦土と化した畑を瞬く間に屍が覆い尽くす。


「私は戦争が憎いです。何もかも無慈悲に、凄惨に、貪欲に奪っていく戦争が。軍も憎い、大切な人を奪うから。兵も憎い、殺し合う運命だから。銃も憎い、引き金を引くとき心臓をも握り潰すから。戦車も憎い、街を破壊するから。要塞も憎い、本当に尊いものは何も守れないから。けれど何より」


 そこでシスターは一呼吸置く。まるで、それは嵐の前の静けさだった。


「武器商人が憎い」


 俺は息を呑む。世界が止まったかのように錯覚した。


「あの人たち……いや、は一番醜い生き物です。人の生き血を啜って生きる吸血鬼と何ら変わりはない。それでいて、自分だけ安全な場所で悠々自適に過ごしている。あいつらのせいで戦争は加速の一途を辿っていると言っても過言じゃない」


 俺は何も言い返せない。目の前にいるのはその憎むべき張本人ですよと言い出す勇気も無い。ただ押し黙ることしか出来なかった。

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