哄笑の裏に

 ――交渉は常に相手の二歩先を行け。それが俺の持論だった。己が要求を通そうとし合えば、その先に待つのは決裂である。だからこそ、俺はこの場で落ち着きを取り戻さなくてはいけなかった。


「議論の余地はありませんよ、風見鶏ヴェインさん。これは我々で既に決まっている事項なのです」


 大佐の毅然とした声が俺を追い詰めていく。気の休まる時など寸分も与えないといった意思が伝わってくる。彼はここで決着に持っていく腹積もりだ。


「だとしても六割は法外です。それに事前の電報ではこちらの要求を出来る限り飲むという話でしたが?」


 それならば、こちらも用意していたカードを切るまでだ。言質をしっかりとっているため、強く出ることができる。


「出来る限り、という言葉に嘘はありません。我が国の逼迫ひっぱくした財政を鑑みて、なお譲歩しているつもりです」


 この建前を本音に翻訳するならば『何があろうと貴様に無駄金は払わん』といったところか。事実、六割でも額だけ見れば十分な額である。ただし俺は自分の生んだ兵器に自信を持っているし、手前味噌にはなるが依頼も引く手あまたといった状態なのだ。ブランディングという意味でも価格の最低ラインは損益分岐点を大幅に超えているところに設定している。


「そもそもの話、そちらが値切りを交渉できる立場であるか今一度確認した方が良いかと」


「どういう意味です?」


「あなた方は、設計図をどうしても手に入れなければならない状況に置かれている。違いますか?」


 初めて相手方の言葉が詰まった。そう、この停戦国家は焦っているのだ。敵国が俺と交渉し、新武器を手に入れて軍備を拡張している。停戦とはいえど、戦時中であることは変わらない。和平交渉か敗北宣言が出ない限りは攻め入られるリスクを互いに恐れている。


 あちらが軍を関所に設けたなら、こちらは防壁を設ける。別国と同盟を結んだなら、同じように協商を結ぶ。そうやって皮肉にも敵と足並み揃えた国家運営をしていく。彼らは恐らくそうやって危うい均衡を保ちながら生き永らえてきたはず。この交渉が決裂して困るのは俺ではなく奴らなのだ。


「……なら、分かりました。この価格で購入いたしますよ、ふふ」


「大尉! 何を勝手に!」


 先に口を開いたのはずっと中佐の隣で奇妙な笑みを浮かべていたストリモン大尉だった。エクセルキトゥス大佐はそれに対して珍しく感情を露わにして激昂する。急に口を挟んできたかと思えば、上官である中佐の意向を無視して購入を決めてしまったのだから、このような反応になるのも道理だ。


「中佐、長期的な目線で見れば安い買い物ではないですか。それに今後とも御贔屓にさせていただきたいですから、ふふ。ねぇ、風見鶏さん?」


「え、えぇ。そうですね……」


 大尉の独特な話し方と雰囲気に飲まれてぎこちない返事になってしまう。しかし彼の言うことに異論がないこともまた事実。こちらとしてもお得意様が増えるに越したことはないので、願ったり叶ったりではある。


「国の財政が苦境に立たされているのは貴方が一番良く分かっているはずです!」


 中佐の興奮は覚めるどころかより悪化している。今まで押し留めていたものが堰を切ったかのように溢れ出しているようだ。しかしながら大尉が俺の側についている今なら、この場において不利なのは中佐ということになる。このまま上手く交渉が纏まれば今日中にはこの国を出られそうだ。


「このままでは埒が明かないようなので、今日のところは一旦お暇させていただくとしましょう」


 一転して、嫌な予感がした。


「それでは明日の同じ時間にまたお伺いさせてもらいます。よろしいですか?」


 俺は首を全力で横に振りたい気持ちを抑えながら首肯するしか無かった。


 ◆


 これほどまでに人間の語が話せればと思ったことは無かった。そもそも人間と出くわす機会が滅多に無かった私がこんな感情を抱くことになるなんて。


「この白くて美しい毛並みは冬狼スノルフか。だけども君たちの棲家は森にあるはずなんだが。群れをはぐれたにしても、ちと遠出しすぎなような気もするが……まあ、いいさ。細かい事情なんて抜きにして、飯でも食うかい?」


 私の腹の虫がタイミングよく返事代わりに鳴った。これではまるで私がご相伴を預かるためにわざわざこの店に来たと思われそうで恥ずかしかった。彼はその音を聞いて満足そうな顔をしたかと思えば、厨房へと小走りで向かっていく。彼の後ろ姿は餌を見つけた犬のようであった。厨房の方からは上機嫌な鼻歌が聞こえてくるが、私の意識は完全に先程の会話へと注がれていた。


 奴がこの寂れた定食屋に足を運んでいたのは間違いないだろう。仮に他人の空似だったとしても、今はこの貴重な手掛かりに賭けた方が良い。店主の口ぶりからするに直近の話ということも分かる。即刻、ここから飛び出していきたい欲求に駆られたものの、食欲に叶うことは有り得なかった。


 兎にも角にも食事が待ち遠しかった。とはいえ、急かす素振りを見せるのはみっともないので、態度にはおくびにも出さないように努める。


「ほら、お食べ」


 そう言いながら彼が出してきたのは皿に盛りつけられた牛の生肉だった。奴が普段私に差し出すような見すぼらしい小さな肉塊とは比べ物にならないほど大きい。口内が急速に乾いていく感覚と実際に涎が止め処なく溢れるという矛盾した妄想と現実が私を襲う。我に返った頃には肉に齧り付いていた。新鮮で歯ごたえのある肉からはこれでもかと汁が滾り、口の中を荒々しく満たしていく。ほんのりと零れる脂の甘味が肉の上質さを示す何よりの証左だった。


「美味しそうに食べてくれて僕も嬉しいよ。とってもお腹が空いてるみたいだかったから、そのまま生肉を出しちゃったけど気に入ってくれたようで何より」


 店主は些か嬉しそうに独りごちた。今日初めて会った者から出された食事を安易に食べることは危険だ。だけれども彼にはその不安を取っ払うだけの人の好さを感じていた。そういえば、あの旅人と出会った時も似たようなことがあったなとふと思い返す。


 奴が不可思議な術で巨牙猪ファングを倒してしまった後、私はその場所を再び訪れた。空腹に耐えかねて猪の死体を貪りに戻った。すると旨そうな物を持っていたので奴に毒見をさせてから食べてやったのだ。当時食べていた川魚より雑味と臭みが薄く、すらすらと食べられていたのでよく覚えている。


 野生の動物にとって食は貴重だからこそ、食べ物を恵んでくれる者に対しては総じて弱い。それが美味しいともなれば尚更。奴との関係だって食事を与えさせてやってるに過ぎない、そのはずだった。食料をこうしてくれる者がもう一人増えたことで、ようやく気付いた。確かに目の前にいる店長に感謝はしているが、奴ほどの信頼感はまだ抱けなかった自分に。


(私は奴に食事以上の価値を見出しているとでも言うのか……?)


 答えはいくら考えても出ない。されど一つ、付随して想起されたことがあった。それは大熊カムイとの一騎打ちのこと。戦いを制したと油断しきっていた奴の代わりに私が身代わりとなった。あれはよくよく考えればおかしな話である。奴が傷を負うことは飯の調達という文脈では不都合が生じる。ただ私は奴がいないことに気付いたとはいえ、わざわざ外に出なくてもよかったはずだ。そうすれば死にかけていた奴を目撃することもなく、奴の身代わりになることもまたなかった。つまりは私には奴を心配する心があったと状況的に考えるのが自然だ。たまたま用を足しに外へ出ただけかもしれなかったのに、居ないという事実だけで危険な外出という選択をした。短絡的に飯が食えなくなってしまうとは考えなかった。というよりも、そんな余裕がなかったような気がするのだ。もっとこう切羽詰まっていた感覚に苛まれ、居ても立っても居られない気持ちが奴を追う中で増大していった。


 これ以上は思索にに耽ってもしょうがないと一旦意識を現実に引き戻した頃には肉は消えていた。どうやら考え事をしている間に食べきって味を堪能をし損ねてしまった。非常に勿体無い。

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