第一交渉
入ってきたのは長身で立派な顎髭を蓄えた初老の男性と、十中八九金が入っているであろうアタッシュケースを持っている年齢不詳で背の低い男性だった。三十代と言われればそう見えるが、四十代にも五十代にも見えるが何といっても薄気味悪さが滲み出ている。二人とも軍服ではなくビジネススーツを着込み、髪も整髪料の特有の光沢とツンとした香りが辺りに広がっている。俺はケースを自分の隣に置き直した。
「この度は我が国にご足労いただき誠にありがとうございます。私は軍兵器部門所属のプロディティオ・エクセルキトゥス中佐と申します。以後、お見知りおきを」
仰々しい挨拶と自己紹介をしたエクセルキトゥスと名乗った初老の中佐は背筋が凍るほどの鋭い目つきをこちらに向ける。その瞳の奥に壮絶なこれまでを見出すのはそう難くなかった。
「こちらはは軍経営部門のフェアラート・ストリモン大尉です」
一切の笑みを零さない中佐とは対照的に、ストリモン大尉と紹介された男は不快な笑みを湛えながらお辞儀をした。様々な点で正反対な彼らは俺の正面の椅子に腰掛けた。
「では早速ではございますが『設計図』の方を拝見させていただけますでしょうか?」
こちらを催促するかのような口調に若干の不快感を覚えながらも、俺は机の上にケースから取り出した設計図を並べる。モノローグを基に大量生産できるよう簡約化及び現代化を施した小銃の内部構造が事細かに載っている。
俺は武器商人といってもかなり特殊な部類に属しており、武器そのものを売るのではなく、設計図を売って報酬を得ている。工場を持つのには金も人員もかかる上に何より場所が制限されてしまう。既存の武器市場に個人で参入するなど、ライオンに木の棒だけで挑むが如き所業であり、勝ち目がない。そのため、俺は製造は顧客任せにしてそのアイデアだけで武器を流通させようとしているのだ。その分、既製品とは一線を画す特異な性能を持った武器を
「これは……見事だ。洗練されたフォルムと一切の無駄のない錬金式が銃身に書き込まれている。確かにこちらの要求通りの品ですね」
中佐は設計図をまじまじと見て感嘆しているようだ。あちらの要求は小型の焼夷弾のような弾を小銃で撃てるようにして欲しいというものだった。通常焼夷弾と言えば爆撃機によって空から落としたり、砲弾として敵戦車に打ち込んだりするのに使用される。対象を燃焼させる目的で使うので燃料もそれなりに必要になる。したがってその小型化となると高性能な燃料が必要になり、費用対効果が低くなる。
そこで登場するのが錬金術という訳だ。『火』を発射時に弾丸に付与することで疑似的に焼夷弾を作り出すことができる。錬金式の工夫により『風』によってエネルギーを周囲から吸収することも可能で、一度着火すればなかなか消えない火を生み出すことができる。
「性能は申し分ない。素晴らしい出来と言わざるを得ないでしょう」
ただ、とエクセルキトゥス中佐は言葉を続ける。
「肝心の金額の方が割高であるのもまた事実。私どもは戦車を買いに来たのではないのです」
交渉術の一環として、普段の値段より高めに吹っ掛けている自覚はあったが、まさかこんな最初の段階で突っ込まれるのは少し予想外だった。つくづく厄介な相手だと俺は思った。
「お言葉ですが、中佐。こちらとしましても、持てる技術も余すところなく注ぎ込んでお客様の需要に最大限対応した結果として、どうかご納得いただけないでしょうか」
歯が浮くような台詞に自分のことながら身震いしてしまった。いつまで経っても敬語と自分を下げるような物言いには慣れない。けれでもこれを疎かにして良いことなんて一つも無かった。どういう訳か、軍に限らず人の上に立つ者は相手よりも優位にいることを特段好む傾向にある。野生の生き物においても同様の
「譲って、六割ですね」
「何だ……ですって?」
危うく敬語が取れ掛けそうになるぐらいの衝撃があった。原価を出せるような商品では無いが、そうだとしても明らかに見合っていない。端的に言って、舐められている。
「我々は冗談と浪費を好みません。いくら完成度が高かろうが所詮は歩兵用の小銃。これでも軍事予算は毎年
そんな事情知ったことではないし、ここにその中佐様からすれば取るに足らない小銃があれば是非とも脳天をぶち抜いて差し上げたい気分だ。きっとその賢くて石のように硬い頭なら銃弾ぐらい跳ね返すだろうに。
「俺にも矜持と面子があります。こんなに安く買い叩かれたと他の客に知れれば今後の取引に支障が出かねない。俺としても譲る気はありません」
多少の値切りには応じるつもりだったが、ここまで
◆
寒空の中で私は彷徨っていた。体は外気温に合わせようと絶えず小刻みに震えている。早朝は夜ほど人がごった返しておらず、比較的移動しやすかった。奴の匂いを感じやすくなったとはいえ、人々の匂いという匂いが掻き混ぜられた後では希望は薄い。そんなことは分かっている。でも。奴を見つけなくてはならない。
その時だった、唾液分泌を促してくる香りがしてきたのは。いつだったか、香草焼きとやらを奴が作っていた時に嗅いだものと同じだ。興味と食欲が同時に唆られた末に、その匂いの源泉へ自然と足が動いていた。
(ここか……)
暫くその香りだけを手掛かりにしてそこら中を歩き回り、日がちょっとばかし上がってきた頃にそれは見つかった。扉から零れ出る得も言われぬ旨そうな馨香が確かな存在感を寂れた赤茶色の建物に与えていた。この香りが無かったとしたら、目に留まらず通り過ぎてしまっていた。耐えられるとはいえ、空腹は空腹。満たしておいて損はないと体が告げている。
鼻を使って押戸をそっと開けてできた隙間に体を滑り込ませる。建物の中は私が暮らしていたあの森を想起させるほどの殺風景だった。生物らしい血の通いが一切感じられない空気が場を支配し、ここに来たことを若干後悔する。私は自分の鼻に絶対の自信を持っているが、それでもおかしくなったと思うぐらい乖離を感じる光景だった。
「おやおや、今日は珍しいお客さんがよく来る日なのかねぇ」
奴と似た声。声色などではなく、もっと根底にある部分が似ている。白髪で口元回りに皺がある人間が声の主だった。この空間に似つかわしくないという表現は烏滸がましいのかもしれないが、場違いな印象をどうしても受けてしまう。
「どうしてこんなところで僕が働いているのかって顔してるね」
純粋に驚いた。こいつ、もしかしたら私の心が読めるのかもしれない。
「君みたいなお客さんを待っているからっていうのが理由の一つかもしれない。あ、ちょうどさっきね? 旅人さんが一人ここでご飯食べてくれたんだけど彼もいいお客さんだったんだ。くすんだ金髪で、君の毛みたいに綺麗な白い肌をしてた」
(何だって?)
私は耳を疑った。先程の驚きが小さく感じるぐらいに。目の前のこいつが挙げていた特徴は今まさに私が探している奴そのものだったからだ。これは運命の悪戯か、はたまた――――。
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