そっと明日を待つ

 兵士からは危険だからという理由で、取り敢えず会議のある翌日までは外出しないようとのお達しがあった。自分の身などいくらでも自分で守れるから余計なお世話ではある。がしかし、面倒事に巻き込まれたくないのと何より商談相手の機嫌を損ねないためにも外出を避けるのが無難だろう。


 つい先ほどまで命を賭けた攻防が行われていたとは思えないほどにゆったりと時間が流れていた。思わず欠伸が出てしまうくらいにはこの部屋は退屈で満ちていた。少しノイズの多いレコードからは知らない曲が流れている。共用語ではなく恐らく現地の語で紡がれるその曲は、このご時世に似つかわしくないほど底抜けに明るかった。戦争をいくらうともうとも、軍事費は残酷にも税金を食い潰す。ある人は平和を望んでいるかもしれないが、戦争を望んでいるのもまた人なのだ。二元論で語れるほど簡単な問題ではないが、平和と戦争の間の隔たりは確かにある。


 窓の外を見遣ると全体的な色調は落ち込み、太陽の動きは見えないものの夜が近づいていることを悟る。町を行き交う人々は俯き、空を見上げようともしない。節電の為か電灯はまばらに点灯するのみで、子供の日に思い描いていた都会の景色は掛け離れていた。物資の不足しているこの世界では、皮肉にも既に感情の飽和が起こっていたのだ。欲望は欲望を呼び、無限に増殖していた。形ある物にはいつか終わりが来るとはよく言うが、人間の欲望は不定形だ。何にでもなれるということは、恐ろしい悪魔に変貌することも有り得る。そして、俺はそんな悪魔を相手取って商売をしている。本来であれば命はいくつあっても足りない仕事であるし、事実知り合いの武器商人が命を落とすことなどざらだ。


 しばらくの間は酒を飲む気にもなれず、どこかに気を紛らわすものは無いかと探す。都会の空気に当てられてしまったせいで、どうしてもアンニュイな気持ちになってしまう。仕事でなければ長居をしたいような所ではないこの国は、俺の心をじんわりと蝕んでいた。自然を包み込むような温かさを持っているのだとしたならば、都会は突き放すような冷たさと表現できるだろうか。人々の物理的距離が近づいた代わりに心理的距離は遠のいた。その孤独と上手く付き合わねば生き抜けないコンクリートジャングル、俺には息が詰まりそうだ。そして俺は部屋の奥に置かれていた物に気づき、口角を上げた。


 ◆


 何とはなしに私は目を覚ました。車内を見渡すも奴の姿は一向に見えない。これには既視感があった。それもつい先日のことだったような気がする。今と同じように目を覚ましてから、あいつに置いていかれたと気づくにはそこまで長い時間は掛からなかった。あの後そんなつもりはなかった弁明しているようであったが、信用できない。どうせあの食事を独り占めするために私を連れていなかったのだろう。残念ながら私の特定能力を見くびっていたために、それは叶わなかった訳だが。あいつの匂いはしっかりとこの鼻で記憶している。それにこの雪の世界で狩りをこなしてきた私にとっては、匂いを頼りに追跡することなど造作もないことなのだ。


 それはそれとして。今は奴の居場所を突き止めなくてはならない。またしても一人で旨い料理に有り付こうだなんて許してはおけない。私はハッチに体当たりを敢行して無理やりに抉じ開ける。起き抜けのせいで体がまだ重く少し手間取ったが外に出ることに成功した。そこには眩い太陽、の代わりに見慣れない光源がいくつもあった。それだけではない。そこら中に壁があってこちらへ迫ってくるのかと思うほどだ。あいつが持っているような武器を携えてこちらに背を向けて佇んでいる者たちもいた。前方をきょろきょろと見回すことに夢中でまだこちらには気づいていない。どうしたものかとハッチから顔だけを覗かせたままにして様子を伺う。彼らに見つかったら具体的には分からないが面倒なことになるというのは本能から察した。


 装甲の凹凸を利用して私は物音一つ立てずに地面へと着地した。かなり長い間眠っていたから鈍っている分、エネルギーは有り余って体内で燻っている。足を思い切りたわめて、いつもの構えに入る。飽くまで最初はそっと、そして段々と加速してやがては風になる。地を舐めるかのごとく吹く颶風のように足を動かす。私の体が彼らの隙間を縫うように駆け抜ける頃には全速力に到達していた。


「うおっ!?」


 案の定、こちらの存在を初めて認識したようで虚を突くことができた。出だしは我ながら申し分無しである。さて次は…………しまった、何も考えていなかった。だが止まるわけにはいかない。私はともかく走り続けることを選んだ。走りながら目の前に広がる大きな壁の中央付近に何か穴が開いているのを見つける。丁度、私ぐらいの大きさなら通れるぐらいの大きさだ。こんな状況では形振り構ってはいられない。ともかく飛び込まなくてはいけないと思い、少し高めの位置にある穴に目掛けて跳躍した。


「……なぁ、あいつ何だったんだ?」


「さぁ? 突然湧いて出てきた狼が全速力で走りながらダストシュートに突っ込んでいきました、なんて上に報告しても信じてもらえないのは確かだがな」


 ◆


 その特徴的なフォルムは金属光沢の美しさを全面的に引き出しており、中央付近からは先端に吸い口マブサムがある長いホースが伸びている。その金属部の下には壺が繋がって水が溜められている。俺が部屋で見つけたのは一般的に『水煙草』と呼ばれる嗜好品の一種だった。タバコ葉とフレーバーを炭で焼くことで発生した煙を水にくぐらせて水蒸気を出させ、それを吸って愉しむのだ。紙巻き煙草に比べて水がフィルターとなっているので、ニコチンの量は少ないとされている。しかし、その代わりに長い時間を掛けて吸うので一酸化炭素の量は多い。高価で特殊な道具が必要になってくるのと、手間をかけなければ吸えない点などから個人で楽しむにはハードルが高いとも言われている。俺は特に煙草などを好き好んで吸う訳ではないが、こんな退屈を紛らわしてくれるのにはうってつけだと思った。


 早速、丁寧に棚に鎮座していた水煙草をテーブルに移す。元あった方のテーブルは先の争いでボロボロになってしまったので、交換してもらった。壊したのは俺だが、こちらの不手際ですからということで弁償はせずに済んだ。それはそうと、俺は水煙草の形に惚れ惚れしていた。地域によってデザインは変わるが、この水煙草は古くから受け継がれている伝統的なものを採用している。くびれが多く細長い花瓶といえば良いだろうか。置いているだけでも立派なインテリアになる上に、実用性も兼ね備えているのだ。


 まずパイプから取り外した硝子製のボトルに水を入れていく。目安はパイプの先端が少し浸かる程度。今度はクレイトップと呼ばれる上部に取り付けられた皿を一旦本体から取り出して、フレーバーを盛っていく。ここで言うフレーバーとは、細かく刻んだタバコ葉に糖蜜や香料を加えてペースト状に加工したものである。またフレーバーをクレイトップに盛る際は多くても八分目ほどが目安で、入れ過ぎると焦げ付いてしまう。空気の通りを良くし、全体へ均一に熱を伝えるために隙間を空けておくのも忘れずに行う。そして上から穴が沢山空いたアルミホイルを被せる。アルミホイル越しにフレーバーを加熱することで蒸らして香りを強める働きがある。こうしてから本体にクレイトップを戻す。


 次に炭の準備に入る。専用のバーナーには錬金術が使用され、円形の金属棒に彫られた古代文字によって『火』を操作して炭を加熱するようだ。二本の金属棒は同心円状に並び、その間にサイコロ状の炭を載せる。そして火ばさみで赤みを帯びた炭を丁寧に持ち上げて、アルミホイルの上に置く。


 一応吸えるようにはなったが、ここで慌ててはいけない。フレーバーが蒸れるまで五分程度敢えて放置する。そして時間が来れば試しに何度か吸ってみて、調子を確かめる。最初の方は薄かったり、味が不均一であるが吸っていくうちにそれは改善されていく。コツはゆっくりと、そしてなるべく長い時間をかけること。段々と好みの濃さになってきたところで、部屋の窓を開け忘れていたことに気が付いた。開けるついでに、この部屋を狙撃できそうなポイントを確認しておく。あのような事件が起こった後にはどうしても慎重にならざるを得ない。


 もう一度、吸い口を咥えて煙を吸い込む。腹式呼吸によって吸い出された煙は俺の体の中を容赦なく支配していく。煙が届いていない脳にまで快楽信号としてそれは伝わる。煙は肺に入ってから溜め込まずにすぐに吐き出す。けれど焦らず自然と煙が出ていくイメージでか細く吐き出すのだ。感覚としては欠伸に近いだろうか。慣れれば水中の海豚イルカが出している輪を煙によって作ることもできる。


 ただ時間がなだらかに過ぎていくのを感じられる、非常に幸せな空間がそこにはあった。背徳感の裏返しによって提供される悪魔的な心地良さ。今日ぐらいはそんな代物に身を委ねてみても良いだろうと自分へ言い聞かせながら、俺の視界は天使の羽のような白い煙に覆われていくのだった。

 

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