黙りこくる嘘
「一体、何を仰るのかと思えば。私が毒を持ったとでも?」
先に静寂を破ったのはホテルマンの方だった。眉を潜めて心底意味が分からないといった顔つきになる。時間にして十秒にも満たないその間は、正しく張り詰めた糸だった。長くは持たないけれどそれでも十分な存在感で俺たちの意思を伝える媒質となっていたのだ。
「ああ、その通りだ。そして、世間一般的に今の君の態度はしらばっくれていると表現される」
俺はなるべく冷静に話すように努めた。脳内で辻褄が合っていく感覚に酔いしれながらも、それを相手に悟らせないように落ち着けと心の中で言い聞かせる。若干の不安と入り混じりながらその興奮が和らいでいくのを待つ。
「そんな馬鹿な。私はお客様のご注文通りにお酒を提供させていただいたまででございます」
ならここで今すぐ飲んでみろと言っても、お客様の物には口を付けられないの一点張りになるかもしれないし、何よりそれでは面白くない。俺はもったいぶった口調で話し始めた。
「俺がこんな結論に至ったのには三つ根拠がある。一つは酒の注ぎ方だ。君は蒸留酒をワインに注いだ後にグラスの
「……何を仰りたいか計りかねますが、確かに私は生まれも育ちもあちらの国です。けれども、今は妻と一緒に国籍をこちらに移してあります。周りの目はやはりこんな状況かですからあまり良くはありません。これで満足でしょうか、お客様」
彼の語気が次第に強くなってきている。ずっと疑いの目を向けられてイライラしているのか、はたまた焦っているのか。まだ分からない。しかし、着実に真実には近づいてきている。そう直感的に思っていた。
「では二つ目だ。俺が注文してから蒸留酒を持ってくるのが早すぎるということだ。君が来たのは俺が部屋に入ってすぐのことだ。予め用意していなければおかしいとは思わないか」
「冷蔵庫に瓶はいくつか常備してあるので何ら不思議なことではありませんね」
俺はその言葉を聞いて内心ほくそ笑んだ。徐に俺は彼の方へと歩み寄って、酒瓶を奪い取る。何が何だが全く分からないといった様子で彼は俺にされるがままであった。
「けれどこの酒瓶は温い。少なくとも、冷蔵庫から出したてとは到底思えないぐらいには。ではこのタイムラグは一体何なのか。まぁ、さしずめ毒を仕込んでいたんだろう。そして俺が来るときには既に誰かに持っていかれないために別の場所で毒入りの酒瓶が用意されていた」
「…………単に私の体温で温くなったのでしょう。難癖もいい加減にしてください。お客様とて許せる部分とそうでな」
「最後に三つ目。これが極めつけだ」
俺は彼の言葉を遮るようにして語り始めた。当然、無礼な行為であり普段ならしないことでもあるが彼の分かり切った口上に耳を傾けるほど暇では無かった。
「あの飛龍云々のことを知っているのはごく少数だ。俺と軍部とホテルの上層部だけ。一介のホテルマンが知っていいような話じゃない。だけど、君は全く怪しむこともなく訳知り顔で対応してしまった。これが君の最大のミスだ。本来であればこの注文を聞いて訝しんで聞き返してくる君に対して、電話の場所を質問するつもりだったんだけどな」
またもや沈黙が始まってしまった。あれだけ反論を重ねてきた彼の姿はもうそこには無い。俯いていてよく表情は読み取れないが大方青ざめているか、顰め面といったところだろう。疑い始めたときは確定しきっていない部分があり賭けではあった。それでもだんだんと目に見えて狼狽えていくホテルマンとは逆に、俺の考えは確信へと変わっていった。
しばらく時間が経過し、すっと彼は胸元に手を差し込もうとした。それを視認にした俺は即座に腰からリボルバーを抜き、彼の前に銃口を突き付けた。銃口はぴたりとホテルマンの眉間に合わせられており、少しでも俺が右手に力を籠めれば死の直線が生み出される。テーブルを隔てて対峙しているこの距離であれば主導権は俺にあるだろう。
「諦めろ、既に詰んでいる。君は傷つきたくないだろうし、俺は余計に銃弾を使いたくない。利害が一致しているじゃないか」
「この暗殺任務をこなさなければ何かしらの罰が下る、違うか? 何はともあれ死ぬよりはましなはずだ。そしてそんな君に望むのはただ一つ、大人しくしてるだけ。いいか、じっとしててくれるだけでいいんだ」
彼は動く気配を見せない。一応警戒は続けておきながらも、室内にある内線に手を掛けようとしたその時だった。
「あなたの仰る通り現状私は詰んでいますが、ボードゲームというのは盤面をひっくり返すことができるんですよ。文字通りね」
彼の言葉の真意を理解した頃にはもう遅かった。彼は思いっきり机の天板を脚で踏みつけた。てこの原理で無まれていない側が持ち上がり、彼はそれに合わせて机の背後に隠れる。見事に俺との間に壁が形成されてしまった。隙を突き、こちらに引き金を引く暇を与えない見事な腕前だった。
「拳銃弾ではこの分厚い天板を破ることはできない。これで形勢は元通り……いや、こちらの好きなタイミングで発砲できるから私の方が有利だ!」
彼は興奮冷めやらぬといった様子であった。もう演技しようとすらしないようだ。声が震え、机の裏で痺れるような恍惚に身を委ねているところだろう。
「また一つ、たった今、君の過ちは増えた。とはいっても、無理もないことだがな」
「なんですって?」
俺は左手をそっと右手の指で包み込み、悪魔と握手をするかの如く引き金を引いた。おおよリボルバーから発せられたとは思えないほど大きい銃声と共に閃光が部屋を埋め尽くす。強烈な反動によって、こちらが後ろに何歩か
「がっ……!?」
彼の痛みに呻く声が聞こえる。急所は外すつもりで撃ったが、如何せんこちらから見えないため実際は何処に命中しているかは分からない。少なくとも声を上げるだけの余裕はあるようだ。
「俺の銃と弾丸は特製でね。ちょい威力を高めすぎたかもしれないが、貫通力としては申し分無しってところだな」
分厚い天板すら軽くぶち破ってしまうぐらいのエネルギーが、ポケットに収まりきってしまう。その純然たる事実が俺自身でも末恐ろしいものであった。錬金術は古代文字を書き込むスペースさえあれば、容易に熱源を用意できてしまう。もちろん、複雑な操作を求めるのならそれに比例して要求される文字列も多くなる。返事をしている場合ではなさそうな彼を放置して、俺はそのまま内線電話に手を掛けた。
◆
兵士たちが派遣されてくるまでにそう長くは時間が掛からなかった。下手に警察などを呼ぶと面倒なことになりそうなので、軍部の秘匿内線を使うことにした。このホテルは国の重要人物が宿泊することもあるらしく、ホテルの各部屋とフロントを繋ぐだけでなく、軍部とも隠された電話線が繋がっているのだ。当然、一般人がおいそれとアクセスができるようなものではなく、特定の手順を踏む必要があった。
彼の身柄は軍によって拘束されて、どこかへと連行されていった。まるで最初からそう決まっていたかのぐらいの手際の良さだった。机や酒瓶に至るまで撤去されていき、気づけば何もなかったかのような状態に戻っていた。軍部からはまた直々に商談の際に話があるとのことなので、一先ずは一件落着ということに相成った。国についてから数時間経っただけとは思えないほど慌ただしく危険で濃密な時間。この国ではもう一波乱起きるかもしれない、そう思わせるだけの出来事だった。あの者は一体誰の差し金で、一体何の目的で俺を殺そうとしたのか。大方予想はついているが、まだ予想の域を出ることはない。
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